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古い話題になりますが、今年のゴールデンウィーク、旅行で鬼怒川温泉に泊まりました。鬼怒川温泉からは塩原の高原山がよく見えます。この高原山は幾つかの峰からなり、1795mの釈迦ヶ岳に次ぐ第二の峰に、鶏頂山(けいちょうさん)という名前が付けられています。ホテルの窓からもその丸みを帯びた三角の頂がよく見えたのですが、さて、なぜこの山に鶏頂山という名前がついたのでしょう。
鶏頂山という名前の山は他に知りませんが、鶏冠山(「とさかやま」、もしくは「けいかんざん」)なら、奥秩父の甲武信岳の近く、木賊山から笛吹川東沢に落ちる尾根上に2112mの鶏冠山があります。登ったことはありませんが、ヤセ尾根に岩峰を連ねた山姿をトサカに例えた山名であることは一目瞭然です(写真1)。山梨県内にはもう一つ、大菩薩連嶺にも黒川鶏冠山(1716m)があります。こちらの方は目立たない山で、注意して見たことがないので自信はありませんが、地図を見る限り、平らな稜線にいくつかの峰を連ねた山容をやはりトサカに見立てたらしいことは容易に想像がつきます。鶏頂山というのも同系列の山名だと推測するのが自然です。
そんなことを考えつつ、温泉宿から高原山方面を見ると、明らかにトサカ型に見える山がありました(写真2の中央から左にかけて。中央奥が鶏頂山、右が釈迦ヶ岳)。鬼怒川温泉から見ると鶏頂山と大体同じ方角ですが、手前にはるかに低く、しかし確かにトサカの形をしています。地図上ではこの山には名前がついていませんが、最高点で970m。鶏頂山というのは本来この山を指す名前であったのが、地図を作った際、鬼怒川方面から見て、大体同じ方角にある山に移されて誤記されてしまったのではないでしょうか。
こんなことを言うのは、似たような例が他にもあるからです。深田久弥が『日本百名山』で紹介しているのでご存知の方も多いかもしれませんが、越後の巻機山の一峰とされる「割引岳」(1931m)の名は、本来その南側山腹にある天狗岩、別名「破目山」(ワレメキヤマ)を指す名前でした。山麓の清水部落から見た際、割引岳は丁度天狗岩の後に位置するため、天狗岩を指す「ワレメキ」がその裏側の山に引き写され、しかも「ワレメキ」が「ワリビキ」に変わってしまったのだろう、と深田は推測しています。この例でも、「破目」という山名は、岩が黒々と露出してあちこちにルンゼ、ガリーの「割れ目」が見える天狗岩にこそふさわしいものでした。
ウィキペディアを見ると、鶏頂山の山名について詳しい解説があり、富をもたらす金鶏がこの山の頂上で休息した、という伝説から「金鶏山」という山名が生じ、それが後に「鶏頂山」に変化した、という説と、山容が鶏の頭頂部のトサカのように見えることから鶏頂山と名付けられたという説が挙げられています。第一の説は荒唐無稽で、地名の由来にはよくある後付け伝説にしか思えません。第二の説については、鶏頂山自体はトサカに似ているとはどう見ても言えませんが、高原山全体を南側から見たとき、峰の連なりが全体としてトサカに見える、という説には一応の説得力があります(写真3)。しかし、トサカが一直線なのに対し、高原山の峰々は釈迦ヶ岳を中心に放射状に広がり、方向が変われば見え方も随分違ってきます。それに引き替え970m峰はギザギザのヤセ尾根で、トサカに見立てられるにふさわしい山容をしています。
現在、鶏頂山の頂上には「鶏頂山神社」が祀られており、社伝によればこの神社は762年に創建されたことになっているようです。また山腹には戦後満州からの引き揚げ者が入植して開いた「鶏頂開拓」という集落まであります。このことからすれば、遅くとも戦後早い時期までに、鶏頂山が高原山の1756m峰の名前として一般化していたのは明らかです。今さら山名の由来に疑義をはさんだところで、鶏頂山が鶏頂山でなくなるはずもありません。
しかし、私としては、970m峰こそ本来の鶏頂山で、地図上の鶏頂山は誤ってそのように呼ばれるようになった、という説に固執したいと思います。この説をきちんと立証するには、古地図や神社の記録を検討して、「鶏頂山神社」という名称が新しいものであること、古絵図などで「鶏頂山」という名前が残されている場合、それが藤原の集落に比較的近い場所に記されており、またトサカのような形で描かれていたりする、というような証拠を見つけてこなければなりませんが、そうした時間的余裕は今の私には残念ながらありません。しかし、誰かが真面目に史料に当たれば、「鶏頂山=970m峰説」の正しさが立証されるのではないかと考えています。
鶏頂山を含む高原山には、登ろうと思いながら、まだ果たしていません。来年の春先あたりにはぜひ登ってみたいと思います。
たんのさんおひさしぶり、忙しそうですね。
北関東の山は僕にとってはあまり馴染みが無い「手薄な」山域なのですが、馴染みが出て来た山域などでこの山の名前、由来や如何に?というテーマは常にあります。
日本百名山の深田久弥が実に凄いのは、あの時代に全国を歩いたこと以上に、そうした古典古文書を調べ上げた上で書いている事ですよね。僕には近所の山一つだけでもそんな事できません。先日も登った山など久しぶりに読み返してみると、最近初めて知った事などが既にそこに書いてありました。
Yoneyamaさん、お久しぶりです。コメントどうも有難うございました。将来時間ができたら、山に登り、帰りに地元の図書館で資料を見たり、そんな山旅をしたいと思っています。山登りの方もぼちぼち復活しようと思っています。またよろしくお願いします!
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