奥多摩から八ヶ岳までの縦走の3日目、ぼくはある場所に立ち寄った。
雁峠。標高は1,780m。
割合近くにある雁坂峠(2,082m)が
日本三大峠のひとつとしてあまりに有名なためか、
その読みすらも正しく読まれないこと頻々だが、
「かりとうげ」ではなく、「がんとうげ」と読み、
奥秩父中部、笠取山の数百m西の広々とした草原に位置する。
笠取山頂からゆっくり歩いても、3〜40分もあれば辿り着く。
其処は、荒川、多摩川、富士川という3つの大河川の分水嶺で、
交通の便が極めて悪く、自動車以外では日帰りでまともに来られない、
奥秩父主脈の中でもとびきり奥に位置する。
ただでさえ訪れる人が少ない雁峠。
その広い草原から少し外れた林の中に、
2階建ての小屋がひっそりと建っている。
もう20年近く前から無人で、
現在では荒廃しきっているその小屋名を、雁峠山荘という。
「山と高原地図」の「雲取山・両神山」には
建物マークの脇に「無人」と記載されており、避難小屋扱いとなっている。
雁峠山荘は、1967年に開催された埼玉国体の山岳競技用として、
当時の埼玉県営林署によって1965年に建造された。
その後、旧秩父郡大滝村(現秩父市大滝)の千島茂氏(のち村長)が
県と管理委託契約を締結し、
委託された管理人が2名ほど断続的に小屋番として管理していたが、
1984年以来無人となり、荒れるがままとなっていた。
この雁峠山荘を再建しようとしていたのが加藤司郎氏である。
彼は、千島氏に幾度となく再建を打診し、
1988年になって管理再建を委譲された。
そして1990年末から週末、年末年始、GWなどの長期休みの間に
管理人として滞在するようになり、朽ちていた建物に少しずつ手を入れ、
やがて再生された。
加藤氏は埼玉県職員という立場もあり、委譲された管理に対しては、
完全な無報酬だった。
すぐ近くに笠取小屋があることもあり、
当初は雁峠山荘が営業小屋として機能していることを知る人は
ほとんどいなかったそうだが、
加藤氏と、加藤氏の熱意に心打たれた若い仲間たちで築き上げていった、
素朴で温かい雰囲気に魅了されたリピーターたちで、
一時はかなりの賑わいになったという。
ところが、1994年に千島氏が大滝村長に就任して以来、
県から管理を委託されているこの雁峠山荘が、
どうやら埼玉最西部に位置する山奥の村のちっぽけな政争に利用されたらしい。
やがて、1996年3月を最後に、
千島氏が県と締結していた管理委託契約は県から一方的に破棄され、
同時に加藤氏へ委譲していた管理も解消、加藤氏は静かに雁峠山荘から去った。
管理人という立場ではなくなった後も、
加藤氏は時折雁峠山荘に通っては、掃除などをしていたという。
中篇につづく
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