甲斐駒ヶ岳雪崩遭難事故の顛末記


- GPS
- 11:40
- 距離
- 8.3km
- 登り
- 1,881m
- 下り
- 138m
コースタイム
天候 | 3/18土曜日 雨のち雪 3/19日曜日 快晴 |
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過去天気図(気象庁) | 2023年03月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
ログは雪崩現場で止めてます。 ボッチは19日日帰りで雪崩発生後に到着しました。 |
予約できる山小屋 |
七丈小屋
|
写真
感想
日曜日のラッセルリーダーと雪崩発生時には僕が先頭にいました。
前夜にメンバー6人と小屋番さんとで7合5勺のルート取り、積雪深と雪崩リスクの懸念等を共有しました。
スタートは気温等を考慮して4:30。
スノーシュー2人、ワカン4人の構成。
テント場から上部について積雪が多くなると、夏道ではなく尾根筋と地形を見極めながら標高を上げていくのがセオリーです。
降雪後に誰も登ってないので、しっかり踏み固められた登山道とは違った難しさがありますが、序盤の難易度はそれ程高くないと思います。
夏道と合流する地点(現在は立ち入らないようにトラロープが張られています)を過ぎるとルート取りは少し難しくなります。
それは夏道をよく知っている人だと左側から回り込むように進んでしまう恐れがあるからです。
ここは傾斜も増してきて若干谷地形のようになっているので、尾根状の高い場所へ早めに移動する必要性があります。
そこを意識しながら順調かつ安全に7合5勺の岩まで約50m付近まで登って来ました。
積雪はシューで膝クラス。
ワカンだともう少し深くなると思います。
一晩でここまで降ったのは今シーズン初めてとか…
夏道では山頂へ向かって岩の左側から乗り上げていきますが、積雪が多くて雪崩れリスクが高いなら岩を右から巻いて行く方が安全。
これは花谷さんや小屋番さんからのアドバイスでもあります。
しかし雪崩翌日の調査によると、この日に関してはどんなルート取りをしても雪崩が発生する確率が非常に高い状況だったと聞きました。
ルートを右へ右へと向かっているその瞬間。
僕の3m左前方の斜面がゆっくりと雪崩始めました。
サラサラっと流れてきた上層の雪で左足を掬われ倒れ込み、そしてあっという間に6人全員の身体を簡単に引きずり込む勢いになっていました。
きっと僕が見た雪崩より下部にいたメンバーの方が雪崩の大きさ強さ、迫りくる恐怖感は遥かに大きかったと思います。
どうやら僕も立木に左足を強打して速度が遅くなり止まったようで、感覚からすると10mは流されなかったように思うけど、今になってはその距離感も分からなくなってます。
幸いと言う言葉を使っていいものか疑問もありますが、流された距離は様々だけど全員の意識があり無事が確認できました。
しかしハスラーさんと女性1名は痛みが強く自力で動けなさそう。
緊急性が高い状況だったので迷わず110番通報。
それと共にツエルトや低体温症を防ぐため防寒対策をしたり、お湯を飲ませて身体の中から温めたりカイロを使用すること等をしました。
その後はヘリの到着まで励まし呼び掛け続けました。
警察と消防の防災ヘリ、花谷さんと七丈小屋と迅速に連絡を取り合い雪崩発生し救助要請より約2時間後にはヘリが到着。
風も弱く視界も良好だったのは本当に助かりました。
救助が終わりヘリを見届けたら僕たちも下山しますが、7合5勺の大岩に残る破断面がくっきり見えていました。
調査結果では60cm程の深さの雪がごっそり流れたと聞きました。
想像より大規模な雪崩だったようで雪山の恐ろしさを感じました。
反省すべき点は幾つもありますが
・数日続いた好天に前日の降雪があり、雪崩リスクが飛躍的に上がった状況を深く理解出来ていなかった
・日曜日の天候が良いこと、誰も登っていない山頂へ行ってやりたいという自我が強くあった事は否めない
・ルート取りにしても、もう少し早めに尾根状の地形の上に乗るべきだった
・冬の甲斐駒のノートレースや降雪の悪天候も経験しており、何度も登頂しているので撤退するとしたら御来迎場かルンゼ下かと考え、7合5勺は越えられると思っていた
これだけでなくまだまだ至らない反省点は数多くあります。
今回の雪崩は人的に起こしてしまった物。
登らない撤退する選択肢、判断を見誤らない、リスクを多方面から推察する思考力。
もしここならこうしよう!と立ち止まってシュミレーションする想像力。
今の自分には全てが欠けていました。
上級者との大きな違い…
そこをしっかりと埋めていきたいです。
最後に
早朝より今回の事案に対応頂いた警察、防災ヘリの関係者の皆様。花谷さんを始め七丈小屋の洋平さん。
下山時に僕のザックを背負って下さった北杜警察署の山岳救助隊の原さん。
テント泊に来られていたSさんと、日帰りで追いついてくれたボッチさん。
皆様の尽力に感謝を申し上げます。
そして入院中のお二人の状況が1日も早く回復をすることを願っております。
そしてこの拙い感想を見ていただいた皆様の雪崩に対する再考の一助になることを願い、雪山で、そして大好きな甲斐駒ヶ岳で同じ事が繰り返されないで欲しいと思います。
このような遭難案件を起こしてしまい、今回は大変申し訳ございませんでした。
12月、七丈小屋での忘年会は出来ず、下界でハスラーさんの痛々しい姿を見てから約3ヶ月…あの痛みに耐える辛い姿が嘘だったんじゃないかと思う程に回復していた。
復帰祝いは甲斐駒ヶ岳の山頂でみんなでしようと今回の山行を計画した。
土曜日に花谷さん、七丈小屋の小屋番さんからは雪崩の危険があるから日曜日の登頂はオススメ出来ないと言われていた。小心者の私は雪崩が怖いなぁと心配しつつも、好天予報にワクワクする気持ちの方が勝っていた。
スノーシュー2人とワカン4人。ラッセルの先頭は順番に交代して進んで行った。昨日降った新雪は思った以上に積もっていて、昇って来た太陽が雪面を赤く染めていた。登りながらどこが雪崩注意の場所なんだろ?樹林帯だし大丈夫だろう。って話をしながらもう少しで一本剣のところまで来ていた時、突然進行方向左前の斜面に大きく亀裂が入ったのが見えた!雪崩!って思った瞬間、間髪入れずに身体は雪崩の波に飲み込まれ流されていた。とにかく埋もれてはいけないともがき、途中の木に捕まろうと手を何度も出したが止まらなかった。途中で身体が回転し頭が下向きになって雪が被って来た時にはもうダメかもって思ったら雪崩が止まってくれた。後からログを見ると私は30mほど流されていた。周りを見ると1人しか見えなかった。他のみんなは埋まってるんじゃ無いかと思い大きな声で呼びかけると、上から返事があり全員の姿を確認できた事に一先ず安心は出来たが、うずくまる人が2人。私の近くにいた女性に声をかけると胸を打って痛いけど大丈夫と言われたので、上の怪我人の状況確認に向かった。
怪我をしうずくまる2人は本当に辛そうで、救助要請をしてもらった後はみんなで持ってる防寒具や道具を使って2人が冷えないように努めた。私の携帯にも何度か消防の方が連絡をくれて、現場の状況を説明しつつピックアップに備えた。その間にテント泊で来られていたSさんと、ハスラーさんの復帰祝いを一緒にしようと後ろから追いかけて来てくれたボッチさんが一緒に助けてくれたのが凄く有り難かった。
ヘリが無事到着し、ハスラーさんがどんどん吊り上げられて行く姿を見た時、少し安心したのか涙が溢れ出て止まらなかった。怖さと悔しさ、色んな物が入り混じっていた。
結局搬送された女性2人は腰骨や肋骨を何本も折る重傷で入院。ハスラーさんは肋骨骨折でも何とかその日中に帰る事が出来たが、仲間が負傷する大変悔しい結果となってしまった。
小屋に戻った3人は何とか荷物を分担し担ぎ下ろす事にした。uromamさんは自分も足を負傷していたのに、私とミナジローを置いて行けないと自力下山を決意してくれた。本当に心強かった。ミナジローはザックから溢れ出るほどたくさんの荷物を担いで最後まで歩いてくれた。ほんと頼もしくてカッコよかった。
荷物が重く、疲れもあって下山に時間がかかってしまったが、花谷さんと県警の方が途中まで迎えに来てくれて、駐車場ではハスラーさんがずっと私たちの下山を待っていてくれた。一先ず無事に下山出来た事が良かった。
しかしたくさんの方に迷惑や心配をかけ、重症者2人も含め本当に申し訳ない事をしてしまったと深く反省しています。
下山後ハスラーさん、uromamさん、ミナジローの4人で今回の雪崩について反省会を行った。7.5合目を越えていたとしてもその先更に危険な状況になっていた事を聞くと、甲斐駒ヶ岳の神様がこれ以上進まないように止めてくれたんだと思った。雪崩の勢いがもっとあれば、私も谷に落とされていたかもしれなかった。
今回の件で自分自身の雪山と雪崩に対する知識不足とリスクの認識の甘さを痛感した。樹林帯なら大丈夫!なんて事は無いし、自分が遭遇するなんて思ってもみなかった。自然の力に人間なんて微塵も敵う訳もなく、改めて山の状況に合わせてこちらが行動しないといけない事を学びました。今回経験した事は忘れる事無く、今後に活かさなければならない。そして雪山や雪崩についてしっかり学びたい。このレコを見て一人でも多くの人が雪山登山について見つめ直すきっかけになってくれたらいいなと思います。
とにかく全員の命が無事で本当に良かった。みんなの怪我が治ったら今度こそ復帰祝いを甲斐駒ヶ岳で出来たらいいな。
入院中の2人がどうか一日も早く回復し、山に復帰出来るよう願うばかりです。
最後になりましたが、警察、消防、花谷さん、七丈小屋の小屋番さん、テント泊のSさん、ぼっちさんなどたくさんの方々が親身になって迅速に動いて下さったおかげで今こうしていられるんだと思っています。私たちのために本当に本当にありがとうございました。
覚書
・ツェルトは必ず持参
今回荷物に入らないと自宅に置いて来てしまったが、救助が来るのを待つ間に必ず必要。エマージェンシーシート等もあると良い。
・スマホの充電はフル満タン&モバイルバッテリーも持参
警察などと連絡を頻繁に取るため電池の残量は重要
・座布団マットやカイロ、お湯、ダウンなどとにかく冷えない用に暖を取れる物が必要
ハスラー復帰戦を予定していた。
七丈小屋の常連さんたちなので小屋泊まりも楽しむとのこと。私は日帰りでお呼ばれ。
前日から麓は雨、山は雪だったようだ。
昨夜から気が進まずイヤな予感がしていた。
友達に今日はなんか行ける気がしなくて気弱なんだとLINEしていた。そんな予感が当たってしまった。
2時に尾白川駐車場をスタートし、1500メートル超えた辺りから重い雪のラッセルが続いた。
いつも刀渡りで積雪量を判断するが、ここ最近降っていないにも関わらず、すごい積雪量に驚いた。
この日はパートナーのハスラーが長い闘病生活からの復帰登山だったから絶対に駆けつけたかった。
予定通りで歩かねばと小屋までノンストップで歩き続けた。
小屋に着く前にキャーと高い声。気のせいかな。
予定通り6時前に小屋につく。
アイゼンに替装し、ここからは4時半スタートしている仲間のトレースがある。
小屋から200mアップしたくらいだろうか?
らしきグループがいる。
この時間にいるわけない、でも昨日上がったのはハスラーたちしかいないはず。
別行動してるのか?疑問に思いながら追い着いた。
さっきの声の理由がわかった。
ハスラーが見えて、その姿に涙が出た。こんな日に、やっと歩けるようになったのに。
鼻血を出して唸っている。
どうして?何が起きたの?
緊迫した状況下でヤマネコさんが説明してくれて、皆の怪我の程度を確認した。Aさんはかなり重い症状。ウロマンさんは救助に当たってるが太腿が痙攣している。こんな時に限って、痛み止め錠剤を持ってきてないのを悔やんだ。
ウロマンさんとヤマネコさんが各所に連絡し、対応してくれている。山レコで座標を確認し位置情報を伝え、場合によっては少し登ったり下らなければいけないという。
陽は差しているが風もあり寒い。
なんとかこの場でヘリで吊り上げてもらえないものか祈った。
テント泊で山頂を目指されたSさんも一緒に救助に加わってくれて、不器用な私がかけたチェルトをピッケルやカラビナで固定してくれた。
1番下にいて、負傷を訴えていなかった女性が胸が苦しいと訴えた。動けるうちに小屋に下ろした方が良さそうだ。ヤマネコさんが行くと言ってくれたが、途中倒れたりした時、1番元気な私が同行すべきだと思い私が行くと言った。
小屋に下ろして戻ってこよう。ハスラーには、ついててあげれなくてごめんね。戻ってくるからと伝えて、女性と一緒に小屋に向かう。
何度も立ち止まり辛そうだ。
どんどん苦しそうになり、肩を貸そうとすると痛がるから骨折してると思い、ゆっくりでも歩いてもらう。なんとか小屋に着いた時は自力で靴も脱げないほど。
小屋番のようへいさんが、ヘリポートの雪かきなどサクサク指示やタスク分けが素晴らしかった。
事故から2:40後ヘリで3人とも救助されて、やっと安心した。
重軽症を覆ったもの、幸いにもみんな命は助かった。
ようへいさんが注意喚起された一本槍の手前が雪崩れた。1日で降った雪量がかなり多かったらしく、雪崩の危険性が大だったようだ。
多勢が歩いたことが要因なのか?
とにかく、こんな日は注意喚起があったなら尚更止めるべきだったのかもしれない。
入院中の方の怪我の回復、皆さんの心の回復を祈ると同時に、今回のことを自分にも当てはめて大事にならないよう気をつけよう。
登山を始めて10年目になりますが、始めると同時に山岳遭難の事例集を読み漁り、同様の山岳遭難事故を起こさないよう常に緊張感をもって山行を積み重ねてきました。
ただそうした情報収集の中ですっぽり抜け落ちたものがありました。
雪崩です。
自分の中に雪崩は豪雪地帯で起こるモノ、BCスキーの世界での事で、そもそも雪崩リスクの高い山域には足を踏み入れないようにもしてました。
実際これまでの積雪期の山行も八ヶ岳や南アルプスなどの雪崩リスクの比較的低い山域を選んでいました。
しかし今回その南アルプス甲斐駒ヶ岳で雪崩に遭遇しました。
スタート時点で登山口で七丈小屋の花谷さんから、そして宿泊先の七丈小屋でも小屋番さんから雪崩に対する注意喚起がありました。
でも今回の山行が僕自身に対する甲斐駒復帰パーティ的な祝賀ムードもあり、雪崩に対する警戒感を解いたことはありませんが「思いとどまろう」「山頂はまた今度」と言う声は僕自身含めてあがりませんでした。
雪崩が起こりやすいポイントとして七丈小屋から八合目までの中間点七合5尺手前一帯であることは認識してましたので、気温の低い日の出前にそこを突破しようと計画を立てました。
雪もあがり満点の星空のもと4:30に小屋をスタートしてやや重い湿雪と雪の深さは想定内、順調にラッセルして雪崩リスクの低そうな尾根筋を進み七合五尺まであと僅か、、、、、そこで雪崩は起きました。と言うよりも我々が雪崩を引き起こしてしまいました。
御来光直後の6時、三番手を歩いていた僕は「雪崩れた!」の一声を聞くや否や二番手のyamanekoさんの身体が顔面にぶつかり後方へ倒れこみ雪崩に流されました。口や鼻に大量の雪が押し込まれ息苦しい中、太い立木が迫ります。立木に脇腹を強打してさらに頭を下に数十メートル、、、、、ようやく止まりました。
雪崩が収まった静寂の中、誰かがメンバーの名を呼ぶのが聞こえて、口と鼻から血塗れた雪を吐き出すも肋骨の痛みで声が出ない。それでも必死に声を振り絞り返事をしました。
幸いにも6名全員が雪に埋没せずに、すぐに生存確認できました。
全員スタートからヘルメットを装着してましたので、頭部負傷が避けられたのは幸いでした。
結果的に重傷となっていた女性が花谷さんや七丈に電話してくれて、uromamu さんとyamanekoさんが警察と消防の窓口になって救助要請してくれました。minajiro さんとyamaneko さんがお湯を飲ませてくれたり防寒対策を施してくれたり、テント泊の方が駆けつけて負傷者の身体が落ちないように足場などを固めてくれたようです。自分はと言うと、肋骨の痛みから来る息苦しさから身体をくの字に曲げたまま顔をあげられず、さらに雪崩に遭遇した恐怖で身体の震えに絶えているだけと言う状態でした。合流予定だったボッチが駆け付けてくれて背中をさすりながら声をかけてくれましたが、大した反応もできませんでした。
ボッチはその後重傷者の一人の女性を小屋まで下りるのに同行してくれたうえ、minajiro さんの荷物を登山口へと下す役を引き受けてくれました。
身体の震えが収まり斜面に腰かけるほどまで落ち着いて、ようやく冷静に辺りの状況を見ることができました。
僕の居場所からさらに50メートルほどに雪崩の末端が広がっていたこと、僕らが歩いたルート以外雪崩は発生していないこと、湿雪の表層雪崩だったことで身体が埋没しにくかったのかも、重い雪の塊の分、身体が受ける衝撃が強かったのかも、そんなことを考えていました。
救助要請から約2時間で山梨県の防災ヘリ赤富士が我々の上空へと飛来し、驚愕の手際の良さで僕と重傷者の女性、そして七丈小屋でもう一人の女性重傷者をピックアップし、あっという間に僕らは山梨県立中央病院へと搬送されました。
ストレッチャーに乗せられ処置室で様々な処置が施されCTでの診断の結果、肋軟骨の骨折。
自然治癒しか手立てはなく、低体温症の可能性もないので痛み止めなどの点滴が終わったら帰れますとのこと。
救急の処置室を出ると花谷さんと警察の方がいらして、そこで事情聴取を受けました。
1時間ほど待っていると、女性二人が肋骨や骨盤骨折などの重傷だと言うことを知らされました。
大切な登山仲間が大怪我する経験も初めてでしたので目の前が真っ白になりました。
その後、花谷さんの車に同乗して防災ヘリの基地に御礼を言いに伺い、登山口へと戻りました。
ヘリにザックは載せられないので財布やケータイ、車のキーしか持たず、全て現場に放置。
それを残った三人で小屋まで下ろしてくれて。
僕は少なからず身体や心に傷を負った彼らにこれ以上の負担はかけられないと「カメラだけ下ろしてくれれば十分だから」と伝えたのですが、、、、、なんと彼らは三人で五人分の雪山装備を全て抱えて雪のある黒戸尾根を下ってくれたのです。
それがどんなに苦難に満ちたことであるか、、、、、経験のない僕には想像をはるかに越える苦行だったと思います。
いったい何時間くらいかかるのだろう、、、、、夕方5時半に吊り橋の先まで見に行くと電話があり、笹の平分岐とのこと。
足はヘロヘロだろうから8時前かな、、、、、。
花谷さんに報告すると、花谷さんと北杜警察の方とで迎えに行ってくれました。
そして7時半、彼らのヘッデンの灯りが、、、、、。
ひとりひとりにハグをして「ありがとう😭」こんなことしかできない自分が情けなくもあり恥ずかしくもあり。
今日と言う日ほどかけがえのない信頼できる仲間がいてくれるありがたみを痛感したことはなかったです。
今回僕自身の雪崩に対する認識や警戒感の甘さから大切な友人二名に重傷を負わせてしまったことは弁解の余地がありません。
二人の女性にはとにかく一日も早い回復を祈るばかりです。
今回のメンバー6名が黒戸尾根を歩いた回数はトータルで80回を上回ると思われます。
これほど通い慣れたルートであっても、いや通い慣れたルートだからこそ心に隙が生じていたのかもしれません。
「登山にベテランなし」遭難事例集などで言い古された言葉ではありますが、今回の事故を教訓に謙虚な気持ちで山に向き合う、それを胸に刻みつつこれからの登山に活かせればと思います。
最後に警察や消防の関係者の方々、医療スタッフの皆様、七丈小屋の皆さん、テント泊の方、そしてボッチ、私たちのために貴重な時間を費やすことになってしまい申し訳ありませんでした。そして大変なご尽力をいただいた上、尊い命を救ってくださり本当にありがとうございました。
この場をお借りして御礼申し上げます。
なお皆さんからの反響がどれほどあるのか全く予測がつかないためコメント欄は閉じさせていただきますが、個人的にメッセージは受け付けます。
批判的なご意見をお持ちの方もいらっしゃるとは思いますが、叱咤激励的な意味合いのメッセージをいただけると嬉しいです。
誹謗中傷的なメッセージにはお応えできないこと、ご承知おきください。
よろしくお願いいたします。
雪崩に遭ったことを、反省と教訓のため、登山者の方へ共有のために私達が至らなかった事を含めて当日起こったことを書き残したいと思います。
3/18(土)尾白の登山口は雨でした。
久しぶりに皆で集まり"七丈小屋"に泊まる。日曜日は天気がいい。そんな楽しみと希望あり、迷わず出発することを決めました。
標高1500mくらいで雨は霙に変わって、その後深々と降る雪に変わりました。風も無くて、気温も低く無かったため、3月なのに積もりたての雪景色が見れて嬉しいねと話しながら皆で七丈小屋まで歩きました。
小屋では楽しい時間を過ごしました。その中で小屋番さんからは雪崩の懸念がある場所(7.5号目の一本剣手前)をお聞きして、あまりお勧めしないと言われました。登山口の駐車場で花谷さんからも雪崩のことを聞いていました。
その言葉を聞いて、私達は山頂へ行かないという判断では無く、早い時間に出発する、という判断をしました。
私は雪の時期に甲斐駒ヶ岳へ登るのは途中撤退を含めて3回目なのに、雪崩の懸念がある場所は何となくあそこかな、というくらいしか思い出せず、好天の山頂を楽しみにしていて雪崩が起こる危険を深く考えませんでした。
3/19(日)4:30頃七丈小屋を6人で出発しました。雪は止んでいて、星と麓の夜景が見えました。
私はアイゼンとワカンを装着して出発しました。
積雪量は膝くらいの50〜60センチで、一日で降った量は今期一番だったそうで一気に積もった雪でした。
スノーシュー組が率先してラッセルをしてくれ、ワカン組も後から交代し、皆んなで隊を組んでラッセルをして進みました。
自分のラッセルの順番が終わって交代してもらい、後ろを見るとちょうど日が昇ったところだったので(6時ごろ)、カメラを出して写真を撮ったり、食料補給をしたり休憩した後、隊を追いかけました。
私が追いつく頃、先頭は急な斜面で奮闘していました。隊は先頭から少し離れて、まっすぐ下に並ぶ状態で立ち止まっていました。
(私はそこがまさに雪崩の懸念があった場所だった事は後から知りました。一本剣のある岩の左側斜面が危ないと聞いていたので、岩の右側へ向かっていました。
そこは急斜面でしたが、まだ立木があり樹林帯が終わる前だったのでこの場所で雪崩が起こるかも、とは思いませんでした。)
すると、斜面がスパッと切れて先頭でラッセルしていたウロマムさんが動いたのが見えて、あっ!雪崩だ、こっちに来る、どうしよう、と思った瞬間あっという間に雪の中に呑まれました。
何がなんだか分からないまま立木に体が引っかかり雪がどんどん上から流れて自分に重なってきて、こんな重い雪で全身埋まったら、怖い、生き埋めになる、という恐怖でいっぱいでした。
泳ぐようにもがけと聞いたことがあったので体を動かそうとしましたが、雪で木に押し付けられて重くて思い通りには動けず、流れが止まる事を祈るしかありませんでした。
流れが止まった時に顔は埋まっていたのかよく分からないけど、両目のコンタクトレンズが無くなっていました。体を自分で雪から出すことができて、痛むところはなく、大きな怪我はありませんでした。
まずは皆んなが埋まっていないか確認しないと、と思い全員の名前を順番に叫びました。
近くに3人(ウロマムさん、ハスラーさん、Aさん)が居て、返事があり、残りの2人(ヤマネコ、Bさん)は私たちよりもっと下に流されていました。
遠くの下の方から声が聞こえ、2人とも居るという事が分かり、全員が埋まっていないことを確認できました。
ウロマンさんが救助要請を、Aさんが山小屋や花谷さんに連絡をしてくれました。
近くのハスラーさんとAさんが痛みで動けなかったので、ウロマムさんがAさんを、私がハスラーさんの様子を確認しました。
ハスラーさんは胸を痛めて話すのも苦しそうで、ザックを外すのを手伝い、痛みの状態や楽な体勢を聞いたり声をかけました。下から登ってきたヤマネコにハスラーさんを任せ、私は警察と連絡を取り合っているウロマムさんに代わり、Aさんのところに行きました。胸の痛みがあるのと、腰を打ったとの事で、呼吸が荒く、足を触ったり体勢を変えると痛む状態でした。
ウロマムさんが警察と、ヤマネコが消防と連絡を取ってくれて、救助体制を決まったら連絡してくださるとのことでした。
怪我をした2人に防寒着を着せて、ツェルトを巻いて寒さから体を守り、お湯を飲んでもらったり、楽な体制になれるようにしながら、声をかけ続けて連絡が来るのを待ちました。
Aさんは息をするのも苦しい中、私達が寒くないか心配してくれていました。幸いな事に太陽が当たっていた為、私たちは低体温症になることはありませんでした。
私たちの後ろから来ていたソロテント泊のSさんが追いつきカイロをくれたり、怪我をしている2人が楽な体勢になれるよう雪を掘って固めたり、テン場へシュラフを取りに行ってくれたりと、助けていただきました。
後から合流予定で日帰りで来てくれていたボッチさんも追いついて、私達の状況を見て驚かれたと思います。
一番下に流されたBさんが安全な七丈小屋に戻るとのことだったので、一緒について行ってくれました。
Bさんは小屋に向かっている途中で胸の痛みが酷くなり、七丈小屋から搬送されることになりました。
8時頃、ヘリが8時40分に到着すると連絡があり、ヘリが到着した時の指示を受けて、ヘリが来たら下から点滅するヘッドライトで照らす事、搬送される人は落下しそうな帽子など、とアイゼンは外す事、財布や携帯などの貴重品だけをチャックのあるポケットに入れる事、との事でした。
搬送されるのは3人だとお願いしましたが、ウロマムさんも足の痛みがあったのでヘリ到着までに搬送されるか決めて欲しいと言われました。
ウロマムさんは残るヤマネコと私を心配して、自力下山する事にしてくれました。
搬送されるAさんが財布を山小屋に置いてきたとのことで、ヘリ到着まで時間があったので私は山小屋に取りに戻りました。
山小屋に戻ると、小屋番さんからヘリ到着時間までに間に合わないし危ないから戻らないようにと指示があった為、財布は後から病院へ届けることを上のヤマネコに連絡して山小屋で待つ事にしました。
先に山小屋に戻っていたBさんに話かけると、胸と背中に痛みがあり息が深く吸えず、体を曲げることも、話す事も苦しい状態でした。
山小屋に着いた時には、顔が真っ白でよく歩いてこれたと小屋番さんがおっしゃっていました。
Bさんと一緒に戻ってくれたボッチさんが搬送する為の荷物の準備を手伝ってくれていました。
搬送は山小屋の屋根にあるヘリポートからするとの事だったので、小屋番さんとヘリポートの雪をどかし、Bさんを案内しました。痛みがあるので肩も貸せず、Bさんは頑張って自力で歩きました。
小屋番さんからヘリが来たら危ないので第二小屋の前まで避難するように言われ、ボッチさんと2人で移動してヘリが来るのを待ちました。
時間通りの8時40分頃 ヘリが到着し、雪崩の現場にいる2人をその場から吊り上げて、その後山小屋のヘリポートからもBさんを吊り上げて、あっという間に去って行きました。一緒に見ていたボッチさんと良かった、良かったと喜び合いました。
小屋番さんから、山小屋の中で暖かいお茶を飲んで休んでと言ってもらえて、私とボッチさんは山小屋の中に入りました。
ボッチさんには私達の荷物を下に運ぶのも手伝っていただき、とても助けられました。
山小屋へ戻ってきたウロマムさんとヤマネコと、荷物をまとめていたところ、ハスラーさんから連絡があり、怪我の状態と今日戻れる事を聞き、少し安堵しました。12時ごろ下山開始し、尾白駐車場に着いたのは19時半でした。
雪崩に遭い全員の命が無事だったことは、本当に良かったですが、幸運が重なっただけだと思います。大怪我を負った仲間もいます。今はまだ連絡は取れないけれど、回復されるのを祈って待っています。
雪崩に遭わない行動を取るために、状況を見極めて判断する事が大切であり、今回の行動の中で、あの時はこう考えていたけど、こうするべきだった、という話をメンバーで話し合いました。
最後に救助をしてくださった警察や消防の皆様、七丈小屋の皆様、助けてくださったソロテン泊のSさん、ボッチさんに心から感謝します。ご迷惑とご心配をおかけして大変申し訳ありませんでした。
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