現代社会で生きていく上では、我々は常にありとあらゆる競争を強いられている。受験競争、出世競争・・・。そして、勝ち組、負け組に篩分けされる。
隣の人の年収が俺より高い。AちゃんはOO大学に入ったのに、自分はXX大学しか受からなかった・・・。他人をうらやむ気持ちは、やがて妬みや嫉妬を生み出し、その人の足を引っ張ることを始める。
人と競争して、己の実力を高めることは、悪いことでない。「切磋琢磨」は、私の好きな言葉ではある。しかし、足の引っ張り合いは、お互いにとって不幸な結末しか待っていない。
人間は、それぞれ違った能力を持って生まれてくる。本来自分とは、人とは違う唯一無二の存在なのである。社会的背景や時代的背景で生まれたある基準で、違う者同士が比較し、競争し合うことは、本来は意味がない。自分は自分。他人は他人なのである。自分の個性を尊重し、他人の個性も尊重する。こうゆう心境になれば、決して不幸につながることはない・・・と、頭の中では理解している。でも、無意識下では、いつも人と比較している自分がいる。
だから自分は、それを忘れるために山に登る。自然は、分け隔てなくその恩恵をみんなに与えてくれるからである。しかし、山に行っても、無意識下で競争している自分を見つけることがある。
それは、山に登っていて、ほとんどの人に抜かれる(自分の歩き方は非常にノロイ)のは、なんとなく悔しい気分になるとか、「丹沢の大倉尾根を若い時なら2時間台で登っていたのに、今は4時間もかかっている」などと若いころの自分と比較して、悔しがっているときもある。これでは、本来の山の楽しさを十分に満喫しているとは言えないだろう。
人(あるいは過去の自分)と比較することをやめる。それより、今この瞬間の感覚を存分に味わう。これが無意識下で、できるようになれば、山でも日常生活でも、本当の幸せを実感することができるのだろう。
Mipapa さん
こんにちは。(^-^)/
私達は皆
既に充たされている。
そのことに気づいた時
他人と比較することが
如何にナンセンスか
解るんじゃないかな。。。
ワッ!哲学的だ!!
そーかーー。
自分も充たされていると、頭では思います。
しかし、心の底から・・・が伴わない。
どうしても(無意識的に)他と比べてしまう 。
隣の芝は青く見えちゃって、どうしても不満が出てきちゃう 。
常に自分は充たされていると思うように意識的に心がけると(感謝の心?)
sionさんの様に吹っ切れるのかな〜?
まだまだ、人生修行が足りませぬ 。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する