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(幼少期)隣家のない集落最奥の山麓に生まれ、幼少期から山が遊び場だった。1里程離れた村の学校にも薮に囲まれた砂利道を小中9年間毎日歩いて通った。(往復約8キロ)夏は渓流の釣り、秋は遡上する鮭の捕獲、冬は林間スキー、春は野兎狩りと、年中忙しく山と共に過ごした。😊
(青年期)都会に出て社会人となりスキーに傾倒した。JAS準指導員(当時)にまでなったが、少年期に魅了されたトニーザイラー*の「山スキー」が忘れられず山スキーに転じて各地の雪山を転戦し深雪滑走を完成させた。👍
*オーストリアのスキー選手。S31コルチナ冬季五輪の三冠王者。出演映画「白銀は招くよ!」は大人気だった。
(壮年期)関西単身赴任で「西国33ケ所古寺巡礼」や「鈴鹿山脈」等で山歩きを楽しみ本格的山歩きのキッカケとなった。😛
(老年期)そして今、山好き*が高じてヤマレコに加入し、頭の中が山でいっぱいになってしまった。(笑)
*特に山花鑑賞
(画像は47年前北海道旭岳での春スキー)
tonkaraさんは、根っからの山人なんですね。さすがです。
トニーザイラー、懐かしい名前ですね。
日本に来て、猪苗代スキー場で滑ったのを見た人の話では、あっという間に通り過ぎて、良く分からなかったそうです。凄い早さだったそうです。話の主は、県大会で入賞するほどの足前なのですが、とにかく早かったと言ってました。
日本は、アルペンスキーではオリンピックで銀メダル一個ですね。皆川とか取れそうな人はいたのですが、なかなか実現しませんね。ほんと頑張ってもらいたいです。
私は、一時、シール付けてスキー登山もやったことはあるのですが、技術も未熟で、いまは屋根裏の肥しになってます(+_+)
こんばんわ、コメ有り難うございます。
妙高は名高い豪雪地ですが、私の故郷も幼少期豪雪に覆われ、時折スキー登校も強いられました。
冬籠もり中のスキー遊びでは林間でリーダーの滑走跡を一人づつ滑り(→滑走順が後になる程スピードが上がる)、転倒やコース脱落すれば後順位に回るゲームでした。リーダーも気張って急カーブや狭い樹間等難しいコースを取って後続者の脱落転倒を誘いますが、失敗して転倒してしまえば最下位に転落させられます。振り返れば立木激突等危険な遊びをしていました。ただしその体験が後のトニーザイラーに自分を重ねた「山スキー」に大変役立ちましたね。(笑)
学生時代の小樽天狗山、サラリーマン時代準指の札幌藻岩山、山スキー(深雪)のニセコが私のスキーのメッカです。
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