山頂の三角点標石(柱)を靴で踏み付けながら「ハイ、タッチ!」などと悦に入っている登山者を散見します。(中にはその場面を写真に撮り、わざわざネットで公開している方も)
日頃神聖な山や自然に畏敬の念を抱きながら登っている一人として、とても不快に思うのは自分だけでしょうか。
登山や登頂には、憧れの念願が叶って、或は登りの辛さを克服して、美しい草花や風景に魅了されて・・等々人様々な思いがある事でしょうが、共通するのは登頂の感動とともに無意識に湧き出る「山や自然、登山路を開拓・管理してくれた先人、両親や妻(夫)等々への感謝」の気持ちではないでしょうか。
多くの方が感謝の念でわざわざグローブを脱いでタッチしている標石(柱)に靴で踏み付ける光景を目にすると、その無神経さと共にデリカシーの欠如に不快で残念に思ってしまうのです。(ひとりごと)
はじめまして。
おっしゃること、とても共感致します。
剣岳、点の記を見て感じました。
明治当初、正確な国産の測量技術がなく
外国人教官からの
苦学から始まった、明治の先人たちによる
山岳測量。
三角点を設置する前の調査、石のかつぎあげ
など、多くの方の苦労の歴史が込められた
「しるべ」だと思ってます。
足で踏みつけ、写真を公開するなど
ふんまんやるせない気持ちです。
見かけたら、それとなく注意したいと
思ってます。
Komaki さま
はじめまして、コメありがとうございます。
先人の標柱敷設のご苦労を想像すると、とても足を揚げることなど出来ませんね。
それとなく注意することが出来れば良いのでしょうが、ついつい「相手も気分を害するのでは」と考えてしまい中々出来ずにいます。
(注意出来ないストレス?もあるのか、近年はあまり他の登山者とクロスしない山にばかり入っています(泣) )
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