8月は、山に放浪しようかと思っていたけれど、全てやめにして家にいることにしました。
理由はいろいろあるけれど、まあ、今年はのんびりしていようと決めたのです。
日本百高山は75歳までに登り切ろうと考えて、急がす騒がず。
まずは体力づくり。
左肩の筋肉が炎症を起こしていて長期治療が必要なのも気分的にマイナス要因。
腕の筋肉と肩の筋肉が弱いと鎖場や岩場で不安ですからね。
毎日早朝、近くの神明社にお参りに出かけています。
先日、宮司さんと「祈り言葉」を説明していただいたのですが、
「清めたまえ、払いたまえ、神(かむ)ながら くしみたま、幸(さきわ)いたまえ」
と三回唱えるのですが、「かみながらくしみたまさきわえたまえ」の「かむながら」は、「神様のおられるところ」というようで、「くし御霊」は、人間の霊は、肉体の「霊」と「昇華する霊」があって、死ぬと「肉体の霊」は消えるけれど、「昇華する霊」が二つに分かれて、一つは先祖の「霊」となり、今一つが「くしみたま」と言って「神様のところ」に宿るというか行くのだそうで、先祖の霊は祖霊になって家族を見守るのだそうです。
ですから、「祈り言葉」では、神のところに行く「くしみたま」が「さきわい」をくださいますように、ということになるそうだ。
最初の「清めたまえ 祓いたまえ」は、自分の身を清めてください、悪霊をお祓いくださいという願いで、「くしみたま」による「幸」をお祈りするということになるようです。
山には必ず神様がおられますので、必ず手を合わせて、無事を祈ります。日本の登山の歴史は西洋の自然を征服するという発想ではなくて、自然そのものと共存して、自然の恵みに感謝をするという動機がもとにありますから、西洋とは少し違う対応なんですね。その表れが庭園の作り方でしょう。
毎朝、神様にお祈りすることは気持ちの良いことです。私の家には神棚がないのですが、今一番神棚がほしいです。
この夏は、毎朝神社に詣でて手を合わせて、健康であり、命が長らえますようにとお祈りして過ごしたいと思います。
山の登り方も少しづつ変えていこうかなと考えています。
インド人は晩年は神様のそばで過ごすことが大事なことと考えているのです。ヒンズー教も日本の神道と似ているところがあります。
またこの夏のTV番組も多く見たいものがあります。戦後七〇年、節目の時の夏、ゆっくりと時代を見つめ、自分と周りの人々の幸せを祈るのも大事な過ごし方かな、なんて考えたりして、76歳前までに主な山にお参りしたいと考えています。
それから先は、国内の旅を考えます。四国の遍路もしてみたい・・・と、まだまだやりたいことはたくさんあります。終わらない!
このクソ暑い夏に負けないで、孫が返ってくるのを待ってるぞ!
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