5月25日の夜に出て、26−28日の三日間、宮城県七ヶ浜町の避難所にグループで出かけてボランティア活動してきました。
前情報では、食事や寝具は自前でということでしたので、山道具と3日分の食料を詰め込んで出かけました。
七ヶ浜町なんて聞いたこともない町でしたが多賀城市に隣接して、松島に相対している風向明媚で、七つの浜があり、漁業とのりの養殖の小さな魔でしたが、近年仙台市の住宅地として人口2万人の町に鳴りました。合併には応じず、東京電力の火力発電所のお陰で財政的には潤っている町でした。
今回の津波で菖蒲田浜地区の470戸のうち400戸が流されて、一番大きな被害を受けました。支社が70人くらいで、行方不明者もまだいるそうです。
そういう町に、われわれのチベットサポートグループのリーダーのご縁で、この町を訪れることになりました。
私たちはお年寄りのボディケアマッサージのお手伝い。メインはリーダーのE女史で、わたしはお手伝いのお手伝い。もっぱらマッサージを受けたお年寄りとのおしゃべり役。
家を失った人たちを少しは元気つけられたかな。
この町はちいさな町なのでボランティアの人たちも少ないです。土曜日には宇都宮の文星芸術大学付属の高校生たちが炊き出しの支援に来てくれました。
名古屋のNPOが1年間ボランティアを募って派遣するそうで、若い人たちが4泊5日とか5泊とかで来てます。
夜はボランティアの宿舎が男女部屋があり、そこでみなさんシュラフで寝泊り、食事はみんなで当番でちいさな食堂で、朝晩いただいていました。近くにはスーパーやお弁当屋もあり、食事にはもう不自由することはありませんでした。
2ヶ月半たって、仮説住宅ももの町は建設がすすみ、6月中には避難所は閉鎖されるそうです。
いろいろ見聞きして、被災された方々が、ほんとうにめげずに、また多くの方たちの支援に感謝されていることを知りましたが、反面行政や政府の施策がなにもみえていません。
自衛隊が災害覇権で小隊が来ていました。
それから町では被災後、泥棒がやはり多くいたようです。外国人の集団がうろうろしていたとか。ローソンの店が襲われて、オーナーががっかりしていたとか、けっしてきれいごとではない側面も多々あったようです。
目に余るような略奪行為はないものの、こそこそとやる連中がいることは事実ですね。
私が出会った男性は、逃げる途中、津波に足をとられて転倒してお母さんの手をはなしてしまった時に、お母さんが流されてしまったということを話してくれました。遺体はその後見つかったそうですが、なかなか引き取りにでむけな
かったそうです。出向く手段がなかったといいます。
仕事もなくなって働き盛りの男性にはつらいことです。
彼らの心の奥まで立ち入ることはできないけど、話を聞いて、肩の力を抜いてあげることはできたと思う。マッサージを受けて体も心も軽くなったから、話をしてくれたのです。
おばあちゃんの話も貴重でした。わたしは若い人たちが、被災された人たちの話を聞くことが大事だと思います。その経験は若者の将来に決して悪い影響は及ぼさないでしょう。そう思いました。
夫婦二人無事逃げられた老年のカップルのお互いを思いやる気持ちに、何気ない姿の中にある尊い愛の形を見た思いがします。人は一人では生きていけない。「一歩譲り合って生きていかねば」といおばあちゃんの言葉が残っています。
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