昨日の11月15日に、長年行きたかった天祖山に行った。8日の日に有間渓谷と、東日原の偵察をして、登山口を確認した。
10月25日には仙元尾根から蕎麦粒山へ、そして浦山へ林道を下った。11月1日は、棒ノ折峰から有馬山と蕨山への回遊をした。2週続けてロングの歩きをして、8日は偵察でお茶を濁した。そして15日、思い切って天祖山に行く。
「天祖」などと言う山名は、皇海山と並んで昔から気になっていた山でした。この山を知ったのは1990年の「東京周辺の山」アルペンガイド別冊による。1990年と言うのは私が山を復活させた年なのだ。
この本では天祖山の山頂まで急な登りとあるが、登りの記述よりも下りの梯子坂のクビレから孫惣谷へ下る道が案内されているが、その後の大和高原地図には、その道は消えている。残念ながらピストンにする。
7時40分に登り始めて、ともかくほとんど休みことなく登った。壊れた神社は大日天神の社でここまで1時間25分とある。私は9時1分についたからコースタイムより早い。
大日天神の社から天祖山まで1時間20分とあるが、山頂は11時20分だから、途中15分休んだとしても、2時間かかったことになる。あの後半のコースを1時間20分で歩くのは、どうかな。
下りは11時40分くらいに下り始めて、14時10分に戻ったから、2時間半、1990年のガイドでは2時間弱、足を痛めて歩くのがダウンしましたからね。1990年の案内書とは相当違いますね。最近のガイドブックは見ていないからわかりませんが、夏と晩秋とでは道が見えない分、遅れると思う。・・これ自己弁護。
大日天の社からの道は、はじめて入った者としては赤布を探すのに時間を要した。それと大日天からの道が意外と長く感じたせいもある。
一度初夏に来てみたいと思う。
この山道は楽しくない。眺望もないし、穏やかな場面もない。ひたすら急な悪路である。それでも高い峰をめざしていかねばならぬ。この尾根で一番高いのが天祖山なのだから。10時半に休んだ時点から山頂まで35分はかかっている。
会所の建物をみて、あっ、やっと山頂だと思った。山頂付近は広い台状になっていてその橋の小高い場所に天祖神社がある。この神社は閉じられたままだ。だがこの神社は立派な建物だが、祭礼などあるのだろうか。会所は寝泊りが出来そうで、玄関の戸のガラスが無いので冬は寒かろう。
神社の周りをぐるっと回って、裏から長沢背稜への道をみたが、良くわからない。ヤマレコには長沢背稜から雲取山へと回遊した記録があるが、道を探し回る元気はなかった。
ふたたび神社の前から賛同を下って会所に戻り、下山に向おうとしたその時だった。山頂台地を取り巻く樹木が途切れて、雲取山の稜線が正面に見えるところに、雲の上に浮かぶ富士山があった。
開けた空間に、稜線と富士の間に雲をおいて雪を付けた富士が静かにある。私はこの山に不安ながら登ってきたその「ご褒美」だと思った。
「ご褒美」と思った瞬間、私は今の暮らしの中で耐え忍んでいる数々のことを乗り越えて前へと進もうとする自分に対しする「ご褒美」だと思った。そう思えたら涙が出てきて止まらない。
誰もいない山中で、富士山の後ろに大日如来が私を見ていると思えた。私は手を合わせ、「ありがとうございます」と何度も心の中で繰り返した。自分の75年の人生を過ごしてきた自分を励ましていてくださる。私を見ていてくださるのだ、と感じた。
私は癌の手術のときにも大日如来の気配を感じた。私は守られている、と強く感じた時がある。
こんなことを書くと何言っての、と思われるかもしれないが、私は嬉しかったし、生かされていると感じた。私は十分に幸せにいきていると感謝した。最期を迎えるまでの妻の幸せを願い、孫たちの未来を守ってくだされるように祈った。この数分の出来事であるけれど、一人でいたことと、その富士の背後に大きな大日如来の存在を霊感した喜びに感謝した。
日々の苦しさは口に出せないが、兎も角、私の貧しい生き様だけど、守られていると言う実感を得たことが、この山にきたことへの「ご褒美」になったのだ。
確かに幾度となく、富士山を眺めているが、今回だけは特別だった。
写真は撮れていない。3回シャッターを押したのに一枚もSDカードに残っていないのです。私の脳裏に残しておきます。
下山の最後で、足が筋肉痛を起してしまいましたが、なんとか下山しました。
私の守護尊は不動明王なんですが、これは大日如来の怒りの相なんですよ、確か。妻の守護尊も大日如来です。
このような思いをしたのは、63歳の時の癌になった時でしたが、あれから12年、68歳で脳出血していますが、まだガンバルぞ。そいう思いにさせてくれた一日でした。
多分何度も登れば、不安なく登ることができるでしょう。
山道を黙々とゆくわれと影時にぬくもる日向かな
耐え忍ぶ暮らし中探してる一条の道しめす赤テープ
一人来て手を合わせてる富士の嶺坐する如来の姿おもえば
我をして生ききれと言う声をきく山の頂天祖山にて
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