岩手山を詠える歌
皇太子の御歌(今上天皇)
旅の朝の窓より見れば岩手山真向かいに立つふもと紅葉 (八幡平市HP)
「盛岡の短歌」第8回 年間最優秀歌
鈴木 操 いつの日も凛と聳ゆる岩手山めげずに生きよと鼓舞する如く
岩手山と言えば石川啄木であろう
石川啄木http://jintatatu.web.fc2.com/framepage99.html
ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな
汽車の窓はるかに北の故郷の山見えくれば襟を正すも (岩手山山頂歌碑)
岩手山秋はふもとの三方の野に満つる蟲を何と聴くらむ(岩手山登山口御神坂駐車場)
神無月岩手の山の初雪の眉にせまりし朝を思ひぬ(歌碑:啄木ふる里の道 岩手山SA上り )
啄木の歌について、語り出したらとまらないと言うような、啄木好きもいるだろう。私が岩手山に登った時にはこの山をみることがなく、その姿をはっきりとらえたのは、八幡平からの姿であった。盛岡側から見る姿とは違い、左にピークを置いて右になだらかに尾根をひく。
一度は裏岩手から火口の鬼ケ城を見ながら登りたいと思う。啄木の歌は、全て盛岡側から見た歌であろう。
啄木と言えば私はおの歌を忘れない。私の人生を支える歌でもあった。
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ(岩山 啄木望郷の丘)
山とは関係ないが、啄木には愛着がある。
冒頭に掲げた今上天皇が皇太子の時に読まれた歌だ。素直に情景を詠まれた歌と言えるだろう。
おおらかな歌と思う。
なんでこれが最優秀なんだろう。「鼓舞する如く」なんて気に入らない。「われを鼓舞する」だと私は思う。自分に引きつけないと他人事になる。啄木の歌と比べるまでもないが、「ありがたき」も「襟を正す」も啄木に対してなのだ。「こころ」を詠うものとして、岩手山を讃えるにしても興ざめなのだ。
斉藤茂吉が岩手山を詠っていないのだ。ネットで茂吉と山の歌をまとめてあったが、無かったのは啄木に遠慮したのかな。私が見つけていないだけかもしれないが。
九条武子 岩手富士紺の色してやゝやゝに闇にこもろう夕べを語る 「薫染」
結城哀草果 碧き沼をわれ去りかねてをるときに夏雲かつぐ岩手山みゆ 「群峰」
平福百穂 ここにして若鷲山のひむかしの岩手の国は傾きを見ゆ
柏崎驍二 岩手山山頂に拾ひこし石のわれを励ます青にえの稜(カド)
(にえ=金偏に花)=刀の焼の時に地肌との境にできる雲状のかたち)
(日本山岳短歌集)
下村海南 から松の秀末にかすむ岩手山水無月の窓に雪を被けり
植松壽樹 焼石のくづるる斜面踏みたへつ風に真向ふ息絶えむとす
々 吹きおろす風に厦向ふわが顔へまともに営る痛き雨粒
々 たか山の焼石原に生出たる駒草の根のきよき真白さ
武藤繁太郎 落葉松の萌えたつ岩手山の裾原のけぶれる中の百鳥のこゑ
植松の歌は、登山しての歌で、私が登った時の様な悪天の時だろう。
深田久弥はこの山について、紹介する。
「岩手山は古くから南部富士と呼ばれた通り、秀麗な一個の独立峰には違いないが、しかし単純なシムメトリイではない。その常型を破ったところに、却ってこの山の傲岸不屈な力強さがある。一に「南部の片富士」とも称せられたのは、見る場所によって(北側や南側からは)半分は富士形のなだらかな線を持っているが、あと半分は一様ではないからである。
最も端正に見えるのは東側からであるが、しかしそこから頂上に登った時、この山は下から察したほど単純でないことを悟るであろう。われわれが東の山麓から仰いだのは、岩手山の首脳部には違いないが、更にそこから西岩手と呼ばれる複雑な地形が続いているのである。
その複雑さは、この山が数回の爆発を繰り返したことによる。初めに西岩手の噴火があった。
現在その火口壁が、北側の屏風尾根、南側め鬼ヶ城尾根として残っている。そしてその中央の凹地は、東西三粁、南北二粁のほぼ楕円形の旧噴火口であって、そこに御釜、御苗代と呼ぶ二つの火口湖がある。
その後、その東部が爆発して、現在の最高部を形作った。東の山麓から望む秀麗な南部富士がそれである。その頂上の噴火口はお鉢と呼ばれ、その中に更に火口丘が盛りあかって、二重式火山となっている。」
まさにその通りで、私は本来ならば、深田久弥が取った綱張温泉からの道をとりたかったが、ピークハントだけ考えて単純なコースにしてしまったのだ。天気が悪かったので正解とはなったが、宿題はの残されているのだ。
岩手山の西の風景、屏風尾根や鬼ケ城尾根を歩いてこの山を詠うという歌には出会っていない。
網張温泉から登り、檻ヶ城尾根を通り、山頂で1泊して岩手山を愉しんでみたいものだ。
柏崎驍二の歌は印象的でしょう。
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