私のヤマレコの日記を、ふと何を思ったか整理してみようと思い立ち、2011年の1月からの日記を見てみたら、結構面白い。始めは本文だけをまとめるつもりで北が、日記へのコメントが結構あって、そのコメントへの返事も日記の一部と思い、全てを取り込んでまとめてみようと考えた。
B4サイズで上下二段組の形でワードデ編集してみる。縦書きにする。たかが10年とは言え、更に書いていない年もある。ヤマレコの記録よりも日記の方が意外とコメントが多かったりしていて、改めてびっくりしている。
まだ始めたばかりだけど、整理し終えたら、また感想を書くことにしたい。
私は2006年にアメーバーのブログを初めて15年経つわけで、60過ぎてからの自分の書いたモノが残されているので、それらを整理したいと思っている。
またエクセルを使って、登山日の記録を作成していたが、私の場合、1962年くらいから山が始まっているが、1970年から90年まで山に登っていないのだが、その表を一生の記録に作り変えると、年ごとの月の欄に出来事を記録していると、一生の記録が出来上がることになった。
そこに学生時代や仕事のことを加えると、見事に自分の一生の一覧表になる。山の記録はヤマレコに残るけれど、仕事の記録は残らないことに気付く。
私が従事した仕事を眺めてみると、現在その会社は大きくなっているけれど、私がかかわった仕事は、時代の変化の中に跡を残さないように消えている様に見える。
その昔、大型店の出店に反対した野党が作りだした大型店出店規制法、通称大店舗法と、生産緑地法と言う悪法があって、それらがバブル崩壊後の日本の再生の足かせとなった。官僚による「運用」で現在ではほとんど当初の制約は無くなっているので、悪法だとわかる。その時に苦労して対応していたのが、自分の仕事であったが、その成果の店舗の多くが消えている。
私の手元に、田部重治著『わが山旅五十年』二見書房と、柳瀬留治著『山旅五十年』短歌草原社がある。
また『山を愛して二十年』という三田尾松太郎が書いて富山書房が昭和十四年出版した本がある。この人は、深田久弥の先駆であろう。だれもこの人を研究していないように見えるし、ウィクペディアでも検索できなかった(間違えていたかもしれないが)。
それで、この人物については改めて知りたいと思うのだが、深田が山岳文学なるモノを集大成するような「日本百名山」を書いたけれど、それの先駆を間違いなくこの人はしている。日本の近代登山の開始期に、記録を文学的に残した人だ。もちろん小島鳥水などもそうではあるが、この三田尾松太郎は知られていない。
そんなわけで、改めて私の山旅50年を振り返ると、ヤマレコに書いた日記は六十を過ぎてからのものである。
でも私は人生100年をめざしているので、これからの25年をどのように綴れるかを大事に考えている。
まあ、言ってみれば最晩年の時期になるでしょう。私の生き方は『下手』であった。そのために豊かな晩年をむかえられていない。それでも山があるから、山の友がいるから生きていける。
どなたかの記事に昨年の富士登山の最高齢者が九十二歳の女性であったと書かれていた。私が登った歳には九十六歳の男性であった。
また私のレコに、木曽駒に百歳の人が登ったとあった。百歳で富士山に登ったらニュースになるかな?
山を登ることは生きることに通じると思う。
日記を整理していて、初めのころに出会った方々の近況を知りたくなった。改めてそれらの方々のレコを覗いてみようと思う。
もうしばらくで梅雨も明けそうですが、その後は暑い日が続くのでしょうかね。でもこの夏はできるだけ山に通いたいと思っています。百高山の残り二十山を何とか登り終えれば、あとは楽しい《山旅》をしたいと思う。
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