日本百名山の短歌 88 荒島岳
日本百名山の短歌 88 荒島岳
「私の故郷は石川県大聖寺だが、母が福井市の出だった関係から、中学(急性)は隣県の福井中学に入った。山への病みつきはその頃からである。・・中学に、三年の時であったか、・・姉の嫁ぎ先である福井県の勝山町まで行った。たしか春休みだったと思う。九頭竜川に沿って遡って行くと、名の花盛りだったことを覚えている。荒島岳を初めて知ったのはその時だった。勝山町から東南に当って、ゆったりと両側に尾根を引いた大きな山が見えた。子供心にも、美しい山だなと印象に残った」
これが深田久弥が初めてこの山と出会った時の印象として書かれている。
さらに彼はこの山に登り、山頂から白山を見た。さらに百名山の選択に能郷白山と比べているが、「山の気品」は荒島岳が上だったと評している。
私がこの山に登ったのは、2005年9月1日であった。
2枚の写真
*九頭竜ダム方面から見た荒島山は姿がよく、ここから見る限り、百名山か・・・とおもわせる。
荒島岳に登った後に白山に登り、夜は「風の盆」を見て帰る予定であった。
北陸道から福井に入り、勝原からスキー場から登山した。
正直言って、山としては面白い山とは思えなかった。
ヤマレコ→https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-137626.html
下山して九頭竜ダムへ向かう途中の峠から眺めた荒島岳の姿が、二枚の
写真写真です。
深田久弥が初めてであった荒島岳の眺めではないかと思う。そして私も
その光景から荒島岳を確かに「品」の良い山だと思えた。残雪期とか3月等に登って白山の展望台とするには最高の山なのだろうが、私が登った日には白山は見えなかった。
この山の短歌を得るには、一つのドラマがあった。ネットで荒島岳の歌を検索していたところ、願いがかなって歌を得たのです。福井のコスモスの会員の方で歌集『荒島岳』を研究していると言う記事を見つけて、コスモスの本部にメールで問い合わせをしたら、近藤寛さんの歌集を編纂された御子息からご連絡を頂いて、私の「日本百名山の短歌」シリーズをご覧いただいて、その収集に役立つのであればと、その新編集の原稿を頂いたのです。
歌集「荒島岳」を検索したところ福井大学に一冊あって、アマゾンや古本屋ネットで検索しても手に入らないとあきらめていたのですが、奇蹟が起きたようです。今回は荒島岳を取り上げますが、「歌人の山岳詠」と題して、近藤篤さんを取り上げたいと思っています。
さて、一首として見い出せないでいた荒島岳の歌が、一人コスモスの歌人、近藤篤氏によって詠まれていました。
「近藤篤は一九一〇年(明治四十三年)生まれで、「あとがき」にあるように一九七〇年 (昭和四十五年)の春頃、全国的な短歌結社「コスモス短歌会」の福井支部の歌会に人に誘 われて参加し短歌を作るようになった。 父の歌は樹木、花、山など自然を詠んだものが多く、これらの名前も難しいものが多い。」
と冒頭に紹介されています。私の父と同い年になり、英明氏は二男で私より年配で八十半ばのようにお見受けします。英明氏もコスモスの会員で歌を詠まれておられます。そこで、頂いた歌集は、本来の歌集の半分の内容だと言われておりますが、荒島岳は八首、白山が十二首ありました。山の歌は意外と多く、槍ヶ岳などにも登っておられるようです。
一九七八年(昭和五十三年)
元旦に妻逝きてより八年過ぎこもりつつ読む「西行の歌」
という歌があって、晩年長く一人で歌によって生涯をささえられたのかなとも推察しました。
山の歌は一九七七年(昭和五十二年)四月、以下雑誌「「コスモス」の「あすなろ集」掲載の作品として、
雪靄の空のあなたに白妙の越の白山浮き上がり見ゆ
が初見でした。*は英明氏註です。
近藤篤
一九八三年(昭和五十八年)
昇り来で日は片照らす明暗の荒島岳をあかむらさきに
*荒島岳(あらしまだけ)は、福井県大野市にある標高千五百二十三メートルの山である。別名大野富士(おおのふじ)。深田久弥の日本百名山の一つ。
一九八三年五月 臨時増刊号 自選歌集
ひと群の鉾杉の上白妙の荒島岳は天に裾引く
一九八四年(昭和五十九年)
朝光に浮かび出でたる荒島はほの明りつつ稜線長し
一九八五年(昭和六十年)
朝茜褪せつつ雪の荒島はおぼおぼと白し東の空に
一九八七年(昭和六十二年)
荒島は曇の奥に寂びさびと雪を被きし稜線を引く
一九九七年(平成九年)
目交ひに雪の荒島岳聳立す左肩下に小荒島添へて
*小荒島岳―一一〇六メートル
一九九八年(平成十年)
落日に雪の壁輝る突兀(とつこつ)の嶺は荒島ヶ岳の奥
*突兀―山、家などが高く突き出てそびえる様。
二〇〇〇年五月 COSMOS 集 「あすなろ集」特選 五首
春の日の遍き空に雪積みて神のごとしも荒島岳は
と、荒島岳を詠んだ歌は西暦二千年五月が最後となった。
作者は「昇り来て」の歌が一番愛着があったのではないかと推察してしまう。「片照らす」という言葉にその気持ちを感じてしまう。中々でてくる言葉ではない。「春の日の遍き空」(あまねきそら)と読むようだ。まんべんなく広がる様を言う。
「目交ひに」は登っての歌でしょうね。「左肩下に小荒島添へて」は稜線に出ないと実感しない。私も登ってまさにそう見えた。
最晩年の二〇〇三年(平成十五年) に、二つの山の歌を詠んだ。
乗鞍に尚残れりと岩原に群れ咲く花の駒草を指す
白山は神の如しも日に輝りて白皚々(がいがい)の嶺を仰げば
歌人近藤篤氏もその人生において自然がもたらしたいものは大きかったのではないだろうか。山に「神」を感じるのは、「人間」だからだと思う。
冬の荒島岳はまた格段と趣を異にするだろうと思う。三月の晴れた日には最高の白山の展望台となるだろう。私が登った時には、まったく白山には目が向いていなかったようだ。
2022年07月10日 08:40日本百名山の短歌全体に公開
荒島岳の短歌を得た
先日、歌集「荒島岳」を福井のコスモス支部で読まれているとのことで、コスモス短歌会に問い合わせいたしましたところ、近藤篤さんの息子さんである方から以下の様なメールを頂き、荒島岳の歌を得ました。
↓
Hagureさま
81歳になった近藤**です。詳しいメール有り難うございました。
百名山の短歌見てみました。凄いことをやられていますね。感心します。
ネットでこの私的な歌集「荒島岳」を見つけてコスモス短歌会の事務局に問い合わせされたとは驚きです。
父は 母 が昭和45年に急逝してから 短歌を 始めました。
母は「百日紅」という福井の短歌 結社で 歌を作っていました 。父はこの母の歌を読んで感動し短歌を初めました。 歌集 荒島岳 は 父の 白寿の お祝いに 私が 手作りしたものです 。
荒島岳を詠んだ歌は
昇り来て 日は片照らす明暗の 荒島岳を 赤むらさきに
(昭和58年作)
*方:わずか、少し
(近藤英明のコメント)
荒島は曇りの奥に寂びさびと雪を被りし稜線を引く
(昭和62年作 )
なお 深田久弥は 石川県 大聖寺 の 生まれですが 中学は 福井の 旧性福井中学 現在の 藤島高校 卒業しています
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
↓
足羽短歌日記
https://asuwatanka.jimdofree.com/
正直言いまして、めちゃくちゃ嬉しかったです。メールの引用の了承を得て日記に書きますが、山の歌を見つける苦労も楽しいですが、この歌に出会えたのは、望外の喜びでした。
福島大学の図書館にあるのはわかっていたのですが、行くわけにもいかず、こうして歌人の方とのご縁が出来てうれしいです。
またこの方のお母様の歌に白山を詠んだ歌があり、紹介させて頂こうと思います。
まずは「荒島岳」の歌が見つけられたことの喜びを報告いたします。
この1年以上、日記に書けないでいたのは、この山の歌が意欲を削いでいた原因みたいなものですから、入院中に整理します。これで前に進める
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する