87 短歌で詠う百名山87白山
藤井正吾「山の歌」白山
古に行きつき難きと嘔(うた)はれし白山の峰ゆほびかなりけり
白山を眺むるる小屋のベンチにて酒にし酔へば寄る秋茜
山火事に焼けし這松別残んの祠の脇に白白と伏す
白山の名高きゆえに殊更に人訪はぬ歩みぬるかな
《古今和歌集の白山》
君がゆく 越の白山 知らねども 雪のまにまに あとはたづねむ
まにまに ・・・ ままに・まかせて
あと ・・・ 跡・行方
詞書にある 「大江のちふる」(大江千古)は大江千里の弟。生年不詳、924年没。古今和歌集に採られている歌はないが、後撰和歌集に冬歌と恋歌の二つの歌があり、新古今和歌集の神祇歌には906年の「日本紀竟宴」の時の彼の歌が収められている。「むまのはなむけ」は送別のこと。
藤原兼輔は 877年生まれ、933年没。没年五十七歳。 902年従五位下、906年従五位上、915年正五位下、917年従四位下、921年参議、922年従四位上、927年従三位中納言。堤中納言と呼ばれた。紫式部の曾祖父。古今和歌集にはこの歌も含めて四首が採られている。
「 あなたが行く越の国、白山の様子は知りませんが、雪のままに跡を尋ねてゆきましょう、という歌。 「白山−知らねど」と続けて「雪−行き」を掛けている。 "雪のまにまに あとはたづねむ" とは、雪に残ったあなたの足跡を訪ねて、という意味だろう。」
同じ 「越の白山−知らねど」を使ったものに 980番の貫之の「思ひやる 越の白山 知らねども」という歌があり、「白山・ゆく−雪」という組み合わせでは次の躬恒の歌がある。
*383
よそにのみ恋ひや渡らむ白山の雪見るべくもあらぬ我が身は
「越/白山/雪」という題材は一度見てしまうともう新鮮味がないが、貫之、躬恒の歌と並べてもこの兼輔の歌は姿で劣っておらず、むしろ一番安定した形のように思える。 「白山」を詠った歌の一覧は 383番の歌のページを参照。
また、「まにまに」という言葉が使われている歌には、129番の深養父の歌などがあり、特に 「水のまにまに とめくれば」という深養父の歌は、どこかこの兼輔の歌に通じるものが感じられる。」
*980
思ひやる 越の白山 知らねども ひと夜も夢に 越えぬ夜ぞなき
思ひやる ・・・ 思いを馳せる (思ひ遣る)
あなたのいる越の国の白山の様子は知りませんが、いつも思いを馳せているので、ひと夜も夢にそれを越えない日はありません、という歌。
「白山」を詠った歌の一覧は 383番の歌のページを参照。この歌は次の藤原兼輔の歌と同じ 「越の白山−知らねど」という言葉を使っており、兼輔の歌が離別歌として送別の意味を表わしているのに対し、貫之の方は遠方の知人への見舞いの気持ちを表わしている。
391
君がゆく 越の 白山 知らねども 雪のまにまに あとはたづねむ
兼輔の歌が 「ゆくー雪のまにまに」と 「雪」に 「行き」を合わせているのに対し、貫之の方も 「越−越えぬ」と見せている。同じ言葉の反復という点では、貫之のこの歌は、「ひと夜−夜ぞなき」と 「夜」を繰り返しているが、これがどことなく拙い感じがしたものか、この歌を再録している 「拾遺和歌集」では 「日ぞなき」というバージョンを採用している (雑恋1242)。
*「名に高き越の白山ゆきなれて、伊吹の嶽をなにとこそ見ね」という歌は、紫式部が琵琶湖を渡っているときに見た伊吹山を詠んだものです1。伊吹山は、標高1377メートルで滋賀県の最高峰の山であり、「越の国の白山の雪を見慣れてしまったから、伊吹山がどんなに白くてもたいしたものとは思わない」という内容が込められています2。この歌は、紫式部が物事を判断する物差しを得た瞬間を表しているのかもしれませんね。3。伊吹山の雪は、彼女の心を暗くするものではなくなっていたのでしょう。
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