今回の鳳凰山では3つの日記を書かないといけない。テーマがそれぞれ違うからだ。
30日下山して夜叉神峠についたのは2時ごろだっただろうか。
飲み物がほしくて小屋に入ると、入口の土間のわきに小上がりのぶぶんがあってそこに炬燵があり、男性が一人炬燵にはいって休んでいた。
「小屋の人は?」と聞くと
「奥にいますよ」と男性がおあし得てくれた。この人は小屋の人ではない。お客さんだ。50前後の大きな男性が奥から現れたので、
「コーラはありますか」ときくと
「缶ならあります」というので1本買い求めた。
「杖立からここまで40分と書かれていたのですが、ガイドブックには1時間20分とあるのですが、どちらでしょう?」とついでに尋ねたら、
「ああ、古い道標ね、昔の人は早かったから、1時間というのは今のことだよね」という。
「昔の人は若い人たちで、今みたいに歳行った人いなかったから・・・、ところでどのくらいできたの?」
「43分」
「いいじゃないですか」と変な会話をして外に出る。道標のタイムにも時代の変化が表れてるのだ。
小屋の前のテーブルで休んでいる二人のところで一緒に休んでいた。
そこへ男性が現れて、
「ここは初めてなんですが、この雄大な景色が素晴らしく、ここで泊まることにしたんです。小屋の中からこのな景色が眺められるのはこの小屋しかありませんよ」という。
えっと思った。この人のいうことは確かであるが、ずいぶんと優雅な登山だと思った。
彼が先ほどのやり取りを聞いていたので、
「こんな道標もありますよ」と言って、カメラの録画から見せてくれたのが
「4時間17分」と書かれた道標。
「これ両俣小屋へ行く所にあるんですよ。ほら北沢峠の手前で・・」
野呂川林道出会北沢橋から北岳の真裏にある小屋の名前が出てきたので、
「詳しいですね、よくいかれるんですか}と尋ねる。
この人は山家山家していない。
「今仙丈岳の避難小屋が営業小屋に建て替えられたので、仙丈岳から直接熊の平にいけるようになって、両俣の利用者は釣の人ばかりですけどね・・・」という。
うむ、何者だ?と思う。
「北岳の周りをうろうろして、北岳のピーク踏まないでかえっちゃうとか、へいきでそんなことしてますよ。御池小屋のコース歩いて、あの周辺もいいですね。」とかいう。
「ピークを踏まなければとか、コースタイムを競うとか、この大きな山を見てると山に失礼ですよね。」
「ごもっともですが、今の人たちは休みもなかなか取れないし、お金も多くないですから、やむを得ないのではないですか」と今の登山の風潮を弁護する。それにつけても優雅な山遊びだ。
帰りにHさんと、「ああいう登山は道楽の山だよね。写真家とか物書きとか、なんか自由業でないとああは言えなね」と話す。
内心できれば自分もこうありたいと思う。夜叉神峠の小屋の炬燵に入って白峰三山を眺めるなんて贅沢。これに似た風景は仙人池の小屋の2階の窓から剣岳を眺めるのもこれに匹敵する。徳本峠の小屋の中からはどうだろう。今度やってみたいけど。
自宅に帰って、翌朝、この話を妻に話す。
「それ神様に出会ったのよ。その人神様だわ、あなたにね、これからの山をそうしなさいって教えてくれたのよ」
この妻の反応にびっくりした。いい妻だと思った。
私が体を病んでも、好きな山に行くことを励ましてくれているんだ。感謝した。妻のことはまた書きますが、ここでのテーマはこういう山歩きの形態についてです。
ヤマレコの書き手は千差万別、登山スタイルもまちまちだし、山への思いもそれぞれ違う。とうぜんだ。
ただ私のテーマは山と老化の問題だ。
私のように歳とって、大病してもなおアルプスが忘れられない年寄りに、若者の向うを張らずに年相応に山を楽しめる、楽しみ方について考えて戸惑っている。
妻の一言が、末永く山と付き合える付き合い方を示唆した。
これはスポーツの登山ではない。旅なのだ。
その人が言うように「山に失礼」にならないように、自然の美しさなどを味わうには、余裕のある旅でなければならない。これは船旅や鉄道の旅と同じように時間とお金に余裕がなければできないスタイルなのだ。
贅沢である。でも金はないけど時間がある。体力がなくなれば全てが小屋泊だが、たとえば槍沢のテント場にテントを張って、あの周辺や天狗ケ原などで遊んで帰るのも、その類だ。
私自身、室堂から高天原、針ノ木へ5泊6日を小屋泊まりで歩いたの等は、この道楽の極みに近い。
「山を観に行く」というスタイル、旅するというスタイル、、昔の登山は「山旅」で、山を味わうところに興があった。いま、そのスタイルは高価なものになり忘れ去られている。
私は多くの高齢者の山の愛好家の方々とともに、この山旅スタイルを新たな山を愛するジャンルに加えたいと思う。私が気づいただけなのかもしれないが、これからの私の登山のスタイルを大きく変えるだろう。
私の登山は百名山をもって終わる。でもその後の山との付き合い方は、「旅」に属する。花をめでるように山をめでるのだ。
その結果、一人で行くことが主流になるだろう。今年67歳、70代での山への転換点になるだろう。
このジャンルを一つのものと考えればいろいろなコースが考えられる。体力にあった姿が許されるだろう。
今や登山ブームと言えるほどの傾向にあるが、頂を踏むだけが登山ではないというジャンル、こういう山のスタイルを探していきます。
GW後半は槍平にテント担いで、槍ヶ岳を見に行くかもしれません。
はっきりと「槍ヶ岳を眺める旅」として計画できれば、よろしいかと思います。いかがなものでしょうか。
うふふ〜〜〜
今回の安達太良山は相当優雅だったわよ
こんにちは。
こちらは9名で5月4日槍平テント泊、5月5日槍ヶ岳山荘泊のユルユルで行く予定です。
お会いできるでしょうか?
テクテクさん。
私の先取りしないでくれませんか!
つまり、わたしはまだ貧乏登山から抜け出られていないということかな
noborundaさま
予定教えてください。
奥さんが一人でいっちゃだめって言い出してるから
3日の何時に出るんですか?
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