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さすがは川内山塊の盟主にふさわしい大展望である。ぐるりと見渡せば、粟ヶ岳・白根山・守門岳・浅草岳・中ノ又山・毛無山・狢ヶ森山・御神楽岳・駒形山・鍋倉山・日本平山。昨日から歩いてきた稜線がクランク状に連なる。山頂の三角点は傾いているが、想像だにしなかった立派な山名柱が立っていた。板に書かれた矢筈山岳会の手製の標識が落ちていた。この山にはその方が良く似合う。カラカラに乾いた喉に、乾杯のビールが染み渡る。
今回は、倉谷沢出合いまで車で入れた。幸先の良い出足である。しかし、出合い付近は、除雪の痕跡が感じられないのに雪は少なかった。稜線は藪か、とチラッと脳裏をかすめる。天候は晴天である。藪に暑さが加われば厳しいアルバイトは免れない。晴れては欲しいのだが、暑くはならないでほしい、ってか。人間というものは、まったくわがままなものである。
倉谷林道をマイペースで歩く。メンバーより後れ気味のペースだが先は長い。徐々にペースを上げていけばよいのである。何も慌てる必要はない。小一時間歩いて、林道終点より尾根に取り付く。切り跡があり、踏み跡もある。雪の残る斜面には、新しい踏み跡が残っている。少なくとも3人パーティで有ることは間違いない。赤布をつけているのを見ると、矢筈岳往復であろう。テン場が重ならなければ良いが、と心配になる。
ブナが芽吹き始めた斜面をのんびりと登る。標高870m付近の肩に出るところが、急な雪の斜面で、緊張する。肩に出て、雪堤を少しばかり歩いて、尾根の踏み跡をたどると魚止山山頂である。先行者は4人、その先のピークを登っているところであった。魚止山頂に立つと、川内の山並みが一気に広がり、いよいよ来たな、と気が引き締まる思いである。中年のペアが空身で登ってきた。下見らしい。リーダーとサブリーダーは前回と同じだが、メンバーは少し変わった。日程も一日の予備日を設けた。何としても全員登頂を果たしたいものである。
ここから一端下って急な斜面を登り返す。魚止山よりこちらの方が、標高も高く立派である。少し下った平地にザックが四個置いてあった。ここから矢筈岳を往復する気なのだろうか。まあ、とにかくこれでテン場が一緒になることはない。残雪は途切れ、直ぐに藪となる。踏み跡は判然としないが、何となくそれらしき感じのものが続いている。藪からまた雪堤に出て、また、藪をこぐ。今日の予定は、またその先の郡界尾根なのだが、足が攣った人もいるし、調子が上がらない人もいる。気温の高さにみんな消耗が激しいらしい。
P1066が窪地になっているのか、雪が詰まっているのが見えた。おそらくそこは幕営可能であろう。もう15時になろうとしている。明日のことを考えると、この辺が行動の限界であろう。先行者が岩の上で休んでいた。メンバーが下見に出たようだ。ちょっと声をかけてみると、「今日は下見で、これから戻って宴会です。」とのこと。「明日は、まっすぐ下って温泉です」とは優雅である。今日は、幕営と聞いて、「この先に、良い幕営地がありますよ。」と教えてくれた。先ほどから、見当をつけていたP1066に良い幕営地が有るようである。
P1066に立つ。たしかに一寸した平場になっていて、良いテン場であった。それでもリーダーはその先を確認したいらしい。二人でその先を眺めてみると、郡界尾根までは良いテン場はない。そこまでは藪こざきである。行程は30分と見るが、それくらいであれば、明日の行動時間にはさしたる影響はない。思い切りよく、ここを幕営地と決定する。天気が良いので、外で水を作りながらのんびりとくつろぐ。目指す矢筈岳は眼前だ。
前矢筈岳の登りは、一枚バーンの急な斜面である。斜面にはところどころクラックが入っている。急な一枚バーンと、残雪のクラック。それは自然に対する畏れを感じさせるものである。だが、どんなコースにも弱点はある。それは斜面右よりのルートであろう。たぶん問題は無いであろうと思われた。明日はあの斜面を登って矢筈岳の頂きに立つのだ。やっとその時が来たのである。私は、もう簡単に登れたような気がしていた。それは嬉しいような、懐かしいような、ワクワクするような、不思議な気分である。
四時起床。六時前には出発する。テン場から藪こぎだ。藪を下って郡界尾根に登り返す。ジャンクションピークは雪が消えて、整地されたテン場の跡が出ていた。それは一張り分だが、駒形山側へ少し下れば、ブナ林の良いテン場が広がる。ピークから雪堤を使って進む。藪と雪堤のミックスするコースは、そのルート取りが難しい。雪堤の先はクレバスだったり、尾根に戻るのに、離れすぎて、いらぬ労力を使ったりするものである。さて、藪か雪堤かと迷って、雪堤を行くと急な登りとなる。ピックを打ち付けて登る。葉も付いていない灌木は疎らで、たいした藪ではない。安易に雪堤を使うものではない。藪は道なりである。
ルートを読み、しかも、藪と雪堤のミックスをよどみなく歩くのは、緊張を持続しなければならない。研ぎすまされた、野生の感性を働かせるのである。それはそれで楽しい。しかし、昨日の途中からずっとトップで歩いてきた。終始トップを続けるのはあまり好ましいことではない。だが、みんな牽制しあっているのか、誰も先頭に立とうとはしない。やはり俺が先頭を切るしかないのか。そう思うと、迷いが消えて、吹っ切れた。目立つとか、良いとか悪いとかの話ではない。ただ、自分の力を振り絞って、自然と対峙するのみである。そして、ようやく前矢筈岳直下に到達した。いよいよだ。だが、休みが多くなる。帰りの時間は気になるが、どんどんと時間は押してくる。
前矢筈岳の登りは、近くで見ると、畏れは感じなかった。大きな雪に抱かれて、小さな角度で、電光型に登る。早く前矢筈の稜線に立ちたい。そこに現れる大展望が見たい。心が急かされる。苦しさに耐え、先へ先へと進む。そしてついに前矢筈岳に立った。振り返ると、豆粒のようなメンバーが、斜面に張り付いていた。その背後には、残雪に彩られた川内の山々が連なっている。奥の深い山だ。前矢筈岳から緩く下って、ビッシリと雪の詰まった斜面を登って矢筈岳山頂に立つ。まさに大展望であった。
山頂で30分強休んで往路を戻る。時刻はちょうど10時である。テント撤収の時間も見なければならないし、テン場13時出発は難しい。林道歩きは間違いなく懐電であろう。魚止山直下の標高870m付近の雪の斜面は、なんとしても明るいうちにクリアしなければならない。前矢筈岳の下りは、アイゼンのツァッケを効かせて快調に降りる。しかし、メンバーは、斜面のまだ半分も降りていない。この調子では、行程はなるようにしかなるまい。予備日もあることだし、何も急ぐことはない。腹を据えて、行動食のパンを食べながら皆を待つ。
下りは、一度通った道なので、比較的楽なものである。往路とは微妙にルートを調整しながら戻る。体温の上昇を出来るだけ抑えるように、藪以外はシャツの袖をまくり上げ、胸のボタンを開けながら歩く。面倒くさいが、こまめにこれを行う。風が無く、こうも暑いときは、これでも少しは役に立つに違いない。
青い岩の鞍部に上がっていくと、岩が削られて出来た樋状の溝があった。雪が滑るときに、岩を巻き込んで、その岩が削り取ったものであろう。いわゆる雪条痕といわれるものである。脅威の自然の力である。岩の鞍部は風の通り道。川内の風に吹かれ、岩の上で仰向けに寝て、背筋を伸ばすと、生き返ったような気がした。真っ青な空がまぶしい。
岩を伝って、直ぐに灌木に掴まりながら、藪の急登を越える。ほぼ平らな藪をこいで、少しばかり残雪を踏んでジャンクションピークである。痩せた藪尾根を一端下って、登り返すとテン場である。雪が融けて、昨日冷やした缶ビールが、三缶ばかり顔を出していた。三缶も残っていたということは、昨日はみんな疲れて、ビールどころではなかったのだろうか。さっそく、乾杯する。水の消耗が激しく、作って置いた水だけでは足りず、食事を取りながら水作りに精を出す。
次のピークへは、一寸した岩場を二箇所越えなければならない。一箇所は、昨日、念の為ロープを使ったところである。岩場を越えて、藪を抜けて雪堤で休む。メンバーがばらけて、一気には進むことが出来ないのである。そのうち後ろについていたリーダーが来て「Hさんの消耗が激しいので、泊まりますか」という。いつもはつらつのHさんだが、「泊まろう」というのは、相当消耗が激しいらしい。みんな予備日を確保しているので、特に異論はなく、そのまま予備泊となる。
予備泊と決まっては、何も急ぐことはない。立ち止まりながら、呼吸を整え整え登る。昨日は不調だったTさんは快調だ。テント場を整地している間、Hさんはマットの上で、死んだようにピクリともしなかった。ホントに息をしてんのだろうか、マジで心配になる。原因は、日頃の激務や不摂生?の影響も考えられるが、高温下の行動が招いたものであろう。「大丈夫、息はしてる」と、声あり。もちろん冗談だが、この暑さでは何が起きてもおかしくは無い。メンバーの生活基盤は、それぞれ違う。登山の力量も違っている。様々なメンバーが集まっていても、山行を成功させるために力を合わせる、ということが真のメンバーシップである。
持ち寄りの予備食を食べると、落ち着いてきて、アルコール類も結構出てきた。ドラえもんのポケットじゃないのに、どこから出て来るのかいつも不思議である。そのうち皆元気になって、いつもの賑やかな夜となる。
のんびり起きるはずの朝だが、昨日、消耗の激しかったHさんが、一番に起き出して、6時半過ぎ出発となる。私は、日を追う毎に調子が上がり、今日も快調である。魚止山まで残雪を踏んで難なく戻る。ここから先は、標高870m付近の急な雪の斜面が問題なだけで、そこを過ぎれば問題はない。日当たりの良い尾根には、カタクリの花が満開である。
標高870m付近の急斜面は、ダガーポジションで、靴のつま先を蹴り込んで一歩一歩降りる。そこまでしなくても良い所だが、こういう所では人の目は気にせず、自分が安全だと思う方法で確実に降りることが大事である。一段降りて、次のコース取りを考えていると、ザーッと音がして、流された人がいたが、一寸した勾配の変わり目で止まった。短い距離ではあったが、ここは、アイゼン着用を指示するか、ロープを出すべきだったかもしれない。リーダー陣の一人として猛省である。
4年越しの山行は、天候にも恵まれ無事に終わった。予備日も使ってしまったが、それだけ十分過ぎるほど、川内の山々で遊ぶことが出来た。川内の山々は奥深く、光り輝いていた。川内の山々は、これからも人々を魅了し続けるに違いない。
一汗流そうと、御神楽荘へ車を走らせながら、私は若きリーダーの言葉を思い出していた。「妙高さんの、見事なルートファインデングで無事登れました」という一言である。私は、思いがけないリーダーの、この一言が、何よりも嬉しかった。ああ、やっぱり分かってくれる人はいるのだ。私は、ただただ、無心に、藪をこざき、雪堤を伝い、先へ先へと進み、自然と同化したような満足感を味わっていたのである。そのことをリーダーは理解してくれたのだ。その一言で、なお一層奥深い山行となった。この一言は、私にとっての勲章である。
勲章受章とともに、「やらず岳」が、ようやく「矢筈岳」になった。
写真左:矢筈岳シルエット
写真中:矢筈岳へ最後の登行
写真右:山頂より粟ヶ岳へ連なる山並み
おはようございます。
No.2の写真を拝見しただけで、言葉が出なくなります。
この場所、この時、この方位で、ここに立った人だけが望めた秀景であり、生涯の宝物ともなるでしょうね。
川内山塊は魅力的過ぎます。
tonkaraさん こんにちは
二日ばかり雪と格闘していて、腕や腰がちょっと筋肉痛になっています。Part1の方もコメント頂いて喜んでいます(^^)/ 単純ですから。
山登りでは、計画、実行、総括(記録等まとめ)の三つの楽しみが有ると言われますが、その通りですね。その他に、あの時はこうだった、ああだったっていう、過去を振り返ってみる楽しみもあります。あとは他人様に伝えていくということですかね。これは下世話に言えば、ただの自慢話ととられないように自重しなければなりませんが。
魚止山まででしたら割としっかりした踏みあとが有りました。貉ヶ森よりはいい道でした。多分いまだったら、もっとしっかりした踏み跡になっていると思います。雪が解けて林道が開いて立木の葉が生い茂る前か、葉の落ちる晩秋の時期だったら十分行けると思います。倉谷林道の行きどまりまで行くと、P404に向かって道が有るはずです。あとは一本道です。P1066当たりまで行けば概要もつかめると思います。
実は私は、計画倒れが多いんです。頭が痛くなるほど妄想は広がるんですが・・・。そのうち、モチベーションが高まって、一気に実行へと進むことがままあります。希望をもち続けるということも大事ですね。
ではまた。
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