2019年9月15日に槍ヶ岳で発生した落石について
表題の通り、9月15日に槍ヶ岳山頂への登山道、所謂「穂先」で落石が発生しました。
その件について私と私の息子はある意味当事者になり、色々と考えさせられる事となりました。
軽く扱う事ではなく、皆さんにも一緒に考えていただきたく、ここに記すことにしました。
先ず、落石事故では原則、落石を発生させた当事者は起きた損害に責任を負う必要は無い、とされています。
つまり、人為落石により被害を受けても落石発生者を責める事はできません。
そもそも、今回の落石発生では誰も被害を受けていませんので責任云々を扱う話ではありません。
皆さんにお伝えしたいのは、私たち登山者が肝に銘じておかなければならない事があるのではないでしょうか、ということです。
では、その考えに至った経緯を記します。
先ず、当日起きたことを私目線で記します。
9月15日午前10時、槍の肩についた。
今日の目的地は南岳だが、時刻はまだ早く、穂先に見える登山者の列も然程長く見えず、山頂往復に要する時間は1時間30分程度かと予測し、山頂プッシュをすることにした。
荷物はデポして身軽になり、ヘルメット、グローブの安全装備を身に着け、最低限必要な物だけを持ち穂先へ向かう。
小槍が見えるいわゆる「岩の裏」までは、ゆっくりとした人の流れで進んでいく。
岩の裏からは渋滞発生、水平移動エリアに私が前、後ろに息子と並んで待つ。
岩の裏からは最初のハシゴを含む上方向に進むセクションだ。
前後の登山者に互いにフォールラインに入らない様に声掛けをする。
最初は我々の前後の登山者も戸惑った様子があったが、私と息子の少々大袈裟な声掛け合いに乗せられ、待機スペースに溜めれる人数や、フォールラインへの意識をしだした。
尤も、これだけ頻繁に登られている穂先ルートであり、管理されている方々の尽力により危険箇所はあまり無く、落ち着いて進めば初心者や高齢者でも安全確保できる。
人の流れは思いのほか悪く、往復2時間かかるな、といった感じである。
しかし、我々のタイムスケジュールは12時30分に肩の小屋から大喰岳に向かえば問題ない設定なので、余裕がある計算だ。
焦らず、ゆっくりと人の流れに従う。
少し進み、チビハシゴから杭打ちセクションに取り掛かる。
私はチビハシゴを通過し、杭打ちセクション手前のテラスまで進んだ。
テラスは待機者が数名いて、息子まで上がるには狭かったので息子にハシゴで待機するように伝える。
テラスから上方を見上げると、正面に杭打ちセクション、そこを通過するとルートは右方向(東方向)の鎖場へと進む。
結果として自分の位置から警戒しなければならない対象は杭打ちセクションと、そこを登った後に鎖場への待機をしている登山者であった。
テラスには私の前に二人ほどの待機者がいて、杭打ちにとりつくタイミングを待っている。
私も杭打ちの真下で待機すると、二人が取りついた時にフォールライン下に居る事になるので、敢えてテラスの張り出し側で穂先に向かって待つ事にした。
1〜2分その状態でいただろうか、突然上方から大声でラクコールがあった。
「ラク!ラーク!」
上方から「ゴン、ゴン」といった音に混じり二回目の「ラーク!」とコール。
(えっ?)と驚き顔を上げると自分の真上をまっすぐ自分に向かってA3サイズの平らな石が落ちてくる。
(速いっ!)一瞬、緊張で身体が硬直する。
飛んできた石は目前の杭打ちのあるスラブに当たり「パーン!」と破裂音を立てながら二つに割れる。
A4サイズになった石は一つは左方向へ進路を変えたが、もう一つは少し進路を右に逸らしただけで、自分に当たる角度で飛んでくる。
距離5m程に感じた。
(かわせるかっ!?)
進路を見切ってから避ける余裕は無い。
一か八かの思いで左前方につんのめるように飛び出す。
ジャンプしながらの土下座の動きだ。
祈る思いで地面に突っ伏す。
同時に割れたもう一つの石が息子の方に飛んで行ったので咄嗟に確認する。
息子はチビ梯子に取りついていた。
石は息子目掛けて真っすぐに飛んでいく。
息子が梯子に身体を埋める動作を確認した。
石と息子が重なって見える…。
石はかすめて通過した後、息子の後方でバウンドして砕け、更に下方にいる女性目掛けて飛んで行った。
落石のパンパンといった音が下方に消えた直後、私は叫んだ。
「ヒットは!?」
息子が答える。
「ヒットなし!」
下方からも返答がある。
「ヒットなし!」
それらを受けて私は上方に向けて叫んだ。
「ヒットなーし!!」
辺りは緊張の静寂であったが、ヒットなしのコールで安心したのか少々ザワついた感じになる。
息子に当たったかと見えたが間一髪でかわせていたとの事。
下方の女性には当たったとの事だが、砕けた小さ目の石がかすっただけで被害は無かったとの事だった。
私と言えば息子曰く
「おとんヤバかった。デカい石が後頭部から50cm無い位の所を通過していったよ。避けなければ直撃だった。」
ヤレヤレ…また死にかけたか。
息子もあのサイズがヒットしていたら只では済まなかっただろう。
皆、無事で良かったが私は頭の中が「???」
(しかし、なぜこの状況で落石が真上から? 自然落石?まさか、微風だし、春じゃあるまいし。
右上方からの人為落石が誘発した二次落石が進路を変えたのか?いや、右上方との距離感から考えて曲がりすぎだ…。)
すごく違和感があり、上方にいた人に「落石の起因が分からん。なんでだろうね?」と話しかけていたら、更に上方からヒソヒソと。
(人為らしいよ…クライミング…)
なんですと?
一般ルートで渋滞した人の列のフォールライン上でクライミング?
で、落石誘発?
当たらなかったから事故になっていないけど、ヒット即死サイズ&スピードの石だったぞ。
心中がザワつくが、まだ穂先までの登りがある。
一般ルートとはいえ安全が約束されている訳でなし、更なる落石があるのでは?と嫌な緊張感がつきまとう。
慎重に、慎重に。
こんなに気が張ったのは久しぶりだった。
ほどなく山頂に到達。
そこにはロープ、ガチャを装備した姿の登山者も数人見掛ける。
皆、無言だ。
この人たちの内の誰かが石を落としたのか?
不可避だったのか?
不注意が招いた事なのか?
なんとなくイヤな心持ちだが、とりあえずその場は何事も無く過ごした。
穂先下山後、息子と話しながら南岳へ向かう。
「いやぁ、間一髪だったな!九死に一生スペシャルのネタだな!」
「なにも無かったから話のネタが増えたけどね。」
「おかんとR(次男)には内緒な。心配させるからな…。」
「しかし、上から「お騒がせしました、失礼しました。」くらいの一言があっても良かったのにな。」
「まぁ、富士山の落石事故でも話題になったが、誰が落とした、誰に当たった、過失か故意か、など落石事故は責任問題は複雑だからな。」
「あの件は落としたかも、と名乗り出た人がいたけど不問になったんだよね。」
「我々の今回の件も誰が落としたか分からんし、誰も怪我していないし、まぁ過失だろうし、詮索することは出来ないのじゃないかな。」
「何となく、状況は上に居た人たちが見てたんじゃないの?」
「オレたちが見たわけじゃないし…。」
「まぁねぇ…。」
取りあえず、この件は過ぎた事にしようと気にしない事にしました。
行程は進み、予定の範疇で南岳のテン場に着き、一日を終えました。
9月16日 2日目
南岳のテン場の朝は小雨であった。
天気は回復方向であったし、当日は下山するだけだったので、ゆっくりと撤収し出発した。
南岳新道での新穂高登山口への下山ルートは、出発が遅かった事もあり登山者の姿はまばらで昨日の槍ヶ岳の混雑が嘘のようだった。
南岳西側のカールを下り、中腹から旧道を離れ尾根道に進んだ頃、後続の単独の登山者に追いつかれた。
軽快な足取りの方だったので、先に行ってもらうことにして声を掛けた。
少々雑談をしたところ、大キレットを目指していたが、天候が芳しくないこともあり下山することにしたとの事。
「無理に危ないことしてもいけませんからね。」
との言葉に我々が
「自らでなく巻き込まれて危ない目に遭うこともありますよね。実は昨日落石に巻き込まれそうになって…。」
と返したら
「あっ!昨日の穂先の落石?あの時私も穂先に居たんですよ。」
「落石が発生した時、頂上にいて落石が起きたまさにその場を見ていました。」
我々はその偶然に驚き、
「あの時、「ヒットなし!」と返したのは私です。あなたは頂上に居たとの事ですが、落石発生の経緯を知っているのですか?」
と聞き返したら
「一部始終を見ていました。人為落石です。」
その後、落石が発生した経緯、頂上に居た人達が落石を誘発した人に向けて言ったコメントなど、詳細を教えて頂きました。
また、あの時のラクコールは南岳小屋まで届き、南岳でも話題になっていたと教えて頂きました。
人伝とは言え、事の詳細がはっきりとした事で心の中のモヤモヤは晴れたのですが、その方に教えて頂いた落石を発生させたパーティとは我々も山頂で出会っており、
顔を合わせている以上、何となく心にしこりが残りました。
帰宅後、風呂で息子とこの件について再度、話をしました。
「Qよ、お前は山に入るときに死ぬかもしれない覚悟はあるか?」
「ある。自分が危険な事をしている自覚はあるし、今回の件で自分が落石により死んだとしても、それはヤマには危険がある事を自覚している。自己責任だ。誰かを責めるつもりはない。」
「では、オレが死んでお前が生き残り、そして落石を発生させた人物が誰かを知ってしまった時、その人を責めずにいられるか?」
「…それはムリだわ。法が許しても僕はその人を許せない。自分の人生を掛けてケジメを獲りに行く。」
「ケジメを獲りにってのは、どうかと思うが、オレも似たような思いになるだろうな、お前が命を落としてオレだけ生き延びたら、お前をヤマに連れてきた事を後悔するだろうし
落石を起こした人物に「過失だったのでしょうから、しょうがないですよ。」と言う事はムリだろうな。」
「お互い、自己責任ってのは自分への覚悟はできているものの、肉親への思いってのは難しいな。」
「おかんも複雑な思いだろうな。」
「いつも心配なんだろうな、でも自分への挑戦を止めてしまったら、オレはオレでいられなくなるから止められないんだよな。」
「…」
今回の件は私と私の息子にとって大きな課題として残る事になりました。
自分が山で死んだとしても、覚悟しての死ですから自分は諦めがつくと思います。
息子が山で死んだとしても、それが息子に非があって、又は不可避の災害が原因であれば諦めがつくと思います。
しかし、原因が人為的な物であったとしたら、それが責めるべき内容で無かったとしても残された家族は納得できるのでしょうか。
今回は自分達が危険な思いをする事例でしたが、自分は山スキー山行をします。
山スキーは自分自身に危険性が付いて回るだけでなく、他人を危険に巻き込む可能性が多々あります。
常にフォールラインを意識し、巻き込まれないように、巻き込まないように。
また、雪崩など有事の際にはその場にいる全員で協力しあって互いの命を守る行動が取れるように、ビーコン、スコップ、ゾンデを携行し、各種講習も受講して訓練をしています。
でも、絶対、じゃないんですよね。
自分が誘発した雪崩で誰かを犠牲にする事もあるかもしれません。
雪崩が起きたとして、冷静に埋没者を救助できるのか、自信がありません。
いつか、そのような事態にあってしまった時、自分が事故誘発者だった時、犠牲者のご家族に自分は顔を合わせれるのだろうか。
多分、山で死ぬより辛いと思います。
皆さん、自己責任という言葉を今一度考えてみてください。
我々親子は今まで簡単にこの言葉を使ってきてしまったのだな、と反省しています。
(以下、ウィキペディアより引用)
自己の危険において為したことについては、他人に頼り、他人をあてにするのでなく、何よりもまず自分が責任を負う。
自己の過失ある行為についてのみ責任を負う。
自己の選択した全ての行為に対して、発生する責任を負う。
(引用終わり)
簡単に言ってしまえば、それだけですが、責任を負う…責任を負えるのか?自分に出来るのか?誰かの命を奪ってしまった時、残された人にどうやったら責任を負えるのか?
拡大すれば、山に限らず全ての場面で…。
ヤマは人生を教えてくれる、偉大な師だなと考える今日この頃でした。
長文お付き合いいただき、ありがとうございました。
Marsha-ukuleleさん、ありがとうございます。
懲りずに登り続けています。
land-raiderさん、始めまして。
この度の日記を胸が締め付けられる感覚で拝見し、色々と考えさせられる事があり不躾とは思いましたが、投稿させて頂きました。
当方、兵庫県在住で登山歴は5年の初心者ですが、この日記を拝見し私がまだ小2のころ、地元の雪彦山での出来事を思い出してしまいました。
父とその友人(山男らしく、チロリアンハットにバッジがいっぱいついていたのを記憶してます)に連れられ登ったとき、確か鎖場付近だったと思いますが目の前にあった握りこぶし位の石をふざけて谷へ投げ落としたことがあります。
当然、その友人のおじさんから烈火のごとく怒られ、父に強烈なげんこつを喰らいました。「もし、お前の投げた石が下の人に当たったらこんなもんじゃすまんのや!」と。
それは、いい意味で今もトラウマとなり登山を始めてからも終始頭から離れません。
因果応報か、昨年私も落石の被害を受け右目に全治3週間の大けがを負ってしまいました。サングラスをしていたので、失明は免れましたが鼻軟骨の骨折としばらくは視力の無い生活を強いられました。当たった落石の大きさは、スダチほどの大きさ・・・昔、自分が投げた石が帰ってきたのだと思いました。
落石の原因は、九十九折の登山道で10m程の上を歩くご婦人が、景色を見ようと路肩に足を踏みいれたために起きたようです。ご婦人の「危ない!!よけて~~!」の、声に見上げた瞬間に目から火花が出ていました。
land-raiderさんの、”自己の危険において・・”の自己責任論もまさにその通りと思います。また、加害者にも被害者にもなる事を改めて肝に命じました。
これからの山行、ますます気を引き締めていきたいと思います。いい機会を頂きありがとうございました。また、長文大変失礼いたしました。
kurokuwa65
kurokuwa65さん、コメントありがとうございます。
コメントを頂く事は不躾どころか、大歓迎です。
皆さんのご意見もお聞かせいただきたく、「コメント受け付ける」にしています。
幼少期のトラウマ、良いことではないでしょうか。
私のトラウマ(?)は父のヤマ話ですね。
私の父は若い頃ヤマ屋で、沢と冬季登攀に没頭していた時期があったそうです。
それなりなヤマをやっていると、付いて回るのが「おろくさん」との出会い&連れ帰り。
夏は滑落、冬は凍死で、父が「おろくさん」の姿を微に入り細に入り話すのですよ。
幼心には、どんな怪談よりも怖ろしく聞こえました。
まぁ、リアルなのですから当然ですけどね。
なので、自分はそうはなるまいと、肝に銘じているつもりなのですが、既にヤマで二回もヤバい目に遭っていますし、息子を巻き込みかけてるし…。
ダメオヤジですね。
今回、私たちはヒット無かったのですが、kurokuwa65さんはお怪我されたとの事、大変でしたね。
しかし、落石のサイズによっては…と考えると、まぁ…といったところではないでしょうか。
お大事になさってください。
自己の危険において…の件は、スイマセン、私のオリジナルの言葉ではないです
一般的な考えとして、と引用しております。(ウィキペディア)
この考えには完全に賛同するので記載しましたが、引用元を書かなきゃダメでしたね。
kurokuwa65さんから、こうしてコメントを頂いたり、(想像していたより多くの)皆さんから拍手を頂いた事は、今回、私たちが体験を通じ自己責任の意味を深く考えた事を皆さんと共有できたかな、と思うとありがたく思います。
これからも自分の安全はもとより、他人の安全を考えた登山が出来るようしたいと思います。
ありがとうございました。
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