6月ともなると国内では高所にしか雪は無くなり、滑り止め装備の要不要判断に迷う場面が出てくる。
で、タイトルだ。
アイゼン持っていくか要らないか判断する際に、要らんやろ?ダメなら撤退と自己欺瞞する人が居る。
典型的な正常性バイアスだ。
では実際に進路に雪面が現れ、ちょっとヤバくね?って感じに見えた時に何を言いだすか。
出発前には撤退も有りきと言っていたはずだが、多分こう言う。
「行けるんじゃね?」
正常性バイアスから、装備削ってイイんじゃね?と言うマインドだから、同様に正常性バイアス働いて、行けるんじゃね?と言う。
で、幸運にも軽く滑落して多少の怪我すれば良いのだが、不幸にも無事通過してしまうとタチが悪い。
??滑落が幸運、無事が不幸??
無事通過してしまうと、誤った正常性バイアスが正しかったと間違った経験値を得る事になる。
楽観視傾向に拍車がかかる。
不幸な無事を重ねると、行きつく先は最悪のそして最後の不幸、BADENDだ。
気付くか、気付かず死ぬか、気付かぬまま不幸な無事を最後まで走り抜ける事が出来るか…。
自分自身の思考傾向を振り返り、自戒することも必要ではなかろうか。
昨日の朝日岳登山で、朝早かったので朝日小屋手前の雪渓で雪がキラキラ、固くて凍結してました。思わずチェーンスパイク付けました。残雪があるところは最低でも滑り止めが必要ですね。後、グローブも冬用持っていきましたが、雪と雨と風に対しては用意はしておくべきでしょう。雪渓でアイゼンなしで突っ込んでしまって後戻りする場面で、下るのは気落ちが後ろ向きになり想像するだけでも怖いです。
安全に山に登って自宅に戻るまでが登山、日記を読んで改めて思慮深く対応したいと感じました。
大袈裟かもしれませんが、現代人は山では生きていけないと思っています。
だから死なないように装備など対策するんですよね。
難度に応じて対策も変わりますが、大切なのは無策では死ぬのが当然なので、死なないように準備するというマインドかなと。
万が一があったら死んじゃうかも…といった程度の考え方ではマズイんではないかなぁと。
やっぱり大袈裟ですかね、でも我々滑走系はこれぐらいの構えで丁度良い気がします。
滑り止め装備って登りではなくてなんとかなっても下りではなんとかならないものなので進めなくなった時は下れなくなった時でもあると思うんですが;
幸運の積み重ねに気付かないままだと、次の本当の不運は大けがか死かもしれませんよね。いい経験積んでいる方が昨今少ないなと記録などをみると思います。
ここ最近ヤバ目なレコを時々見ますね。
装備無かったけど、ウマいこと切り抜けて無事下山!みたいな。
「あの程度の局面なら切り抜けれるぜ!」ってな勘違い経験値にならなければ良いのですけどね。
こういったマインドの人は、熟達者の文言「アイゼン持っていたけど、雪渓はツボで通過しました。」ってのを「アイゼン要らんかった」って読むんでしょうね。
大事な所は「要らんと思うけど、持って行きました。」って熟達者ならではの周到さなんですけどね。
説明書読まない人には、説明書を解り易く書いてもムダってやつで、伝わらないんでしょうかねぇ。
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