長文になりまして恐縮です。
----
「岳」の三歩くんの印象に残る数多くのセリフのうち、
「山で捨てても怒られない物、知ってる?」
「答えはね、ゴミと命以外ぜ〜んぶ。」
と言うシーンがとりわけ強く残っている。
お山でモノ(≒ゴミ)を落とすという行為には、
三つの側面から大きな問題があると思う。
一つは、当然モノがお山に残るということ。
有機物もそうだが、特に無機物は燃えないので、
ずっとそこに残り続ける可能性が高い。
もう一つは、モノが落下することによって、
第三者に対し外傷のリスクを負わせるということ。
雪崩に対する考え方として、極論を言えば
「雪のあるところであれば、どこでも起こりうる」
のと同じことで、
「モノが落下すれば、誰かに当たりうる」
ということ。
最後の一つは、装備を失くすことによって、
山行継続性が損なわれること。
たとえば、雪山でアイゼンやピッケルなどという
ごく基本的な装備を失えば、
山行継続が困難になるだけでなく、
生命の危機にさえ晒されることになる。
人間誰しも、モノを落とすことも、失くすこともあるだろう。
ぼくも、日常でモノを置き忘れたり、失くしたりする。
しかし、お山では必要なモノとともに常に移動するゆえ、
失くすとその場所を特定することは困難だし、
失くしたときに気が付いていない場合も多いため、
回収できる可能性が低い。
そのため、ザックの外には極力モノを出さない、
あるいは外に露出している、
中にあっても出し入れしやすいものについては、
バックアップを取る、安全な場所以外では出さない、
といったことを実施することによって、
モノを落とすリスクを減らす、
つまり上記三つのリスクを減らすことは可能だ。
-----
先般、某SNSのコミュニティにおいて、
ある岩稜で高価な装備品を落とした、
という書き込みを見た。
そこには、高価なので買い直しのための出費が痛い、
というようなことは書いてあったけれど、
モノを落とすことによる三つのリスクを省みる内容は皆無で、
あくまで勿体ない、しまった、という言い分に終始していた。
確かに、モノをなくすことで、買い直しが発生するが、
これはお山においてはリスクでも何でもない。
ただの金銭的損失であって、
即時リカバリが可能かどうかはさておき、
必要であればいずれは買い直せる。
しかし、三つのリスクの担保はお金では買えない。
その意識のなさが露見される書き込みに対し、
当然ながら何人かがそれを指摘するコメントを書き込んだ。
ところが、書き込みをした本人はそれに対して逆切れし、
「わざと落とすわけないだろう?
ならオマエは絶対に落石を起こさないんだな?
今度真後ろを歩いてやるから、絶対に落とすなよ?」
という、全く的外れな返信をしていた。
これには、怒りの気持ちさえ起こらず、呆然としてしまった。
次からは落下させないように手段を講じるのだろうけど、
お山に対しても、人に対しても思いやりに欠けていれば、
モノを紛失する以外の様々なリスクが顕在化するし、
それによって自分だけが被るのならともかく、
第三者、あるいはパーティの他のメンバにまで
同様のリスクを負わせることになる。
お山は、物理的にも、観念的にも、
日常基盤から遠ざかった場所での行為であるという点と、
岩や樹木、雪、風などといった、
エレメントに接しているいう点で
他の競技スポーツとは本質的に異なる。
モノを落とすという行為は、
お山において内在する様々なリスクの一つにすぎないけれど、
リスクに対する接し方は、ただ単に技や経験だけでなく、
畏敬の念や謙虚さなど、心の側面も必要だ。
そうでなければ、やがてお山はゴミだらけ、遭難だらけの、
ただの危険な場所に成り下がってしまうだろう。
これからも、そういったことを忘れることなく、
お山と密に接してゆきたいものだし、
長らくお山に接してきた者の端くれとして、
行動規範を示すことができるよう、
身も心も一層磨いてゆきたい。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する