当時、彼女は大学を卒業して2年目の理学療法士で、
スポーツリハビリテーションを標榜し、
女子サッカーのなでしこリーグに所属するチームの
チームドクターを担当している整形外科医が開業しているクリニックに勤めていた。
かつてはバスケットボールの選手だったが、登山の経験はまったくなかった。
その開業医による両膝の外側半月板修復術を受け、
回復期リハビリテーションの段階に達したある患者がやってきた。
患者は会社員で、登山中に膝を壊して、再び登山ができるようになるための
ハードなリハビリテーションを求めていたけれども、
そもそもスポーツリハビリ分野において「登山」というカテゴリは、
全くと言っていいほど開拓されていなかった。
そこで、彼女は学術書や他のスポーツのリハビリテーション書を読み漁り、
患者は日々の動作から登山における運動器の動作についてを事細かに記録して、
それらを突き合わせることで、リハビリテーション計画を模索していった。
理学療法士としての経験年数が少なかった彼女にとって、
患者の要求はかなり難しいものであったと考えられるが、
患者と共に議論と実践を積み重ねていった。
結局、すべてのリハビリテーションを終えるまでに約14か月の時間を要した。
それから約3年半。
患者は理学療法士養成校へ進学することになったので、
挨拶がてら、かつてリハビリテーションを受けたクリニックを久々に訪ねた。
彼女は理学療法士として間もなく6年目となり、
クリニックにいる理学療法士の中でも中堅どころとなっていた。
患者が理学療法士養成校へ進学することを報告し、
「あの時のあなたの言葉が最初のきっかけになったんです」と言うと、
彼女はすぐに思い当たったらしく、
「私の一言が運命を変えちゃったんですね。。。」と絶句した。
時は遡り、術後リハビリテーションを始めて3か月ほど経ったころ、
患者は山で歩きながら実践的に運動を行うようになったので、
登山における歩行フォームや力の作用等を子細に記録し、都度彼女に伝えていた。
ある日、彼女が呟いた。
「動作の感覚をここまで具体的に表現にできる人はほとんどいないですよ。
むしろ理学療法士に向いていると思います。」。
患者は一拍置いて、
「いやいや、そんなお金ないし、ムリですよ。。。」と笑って取り合わなかった。
患者は彼女のリップサービスだと思っていたし、
口にはしなかったが、離婚歴があって子どもがおり、
あと10数年間養育費を支払い続けることになっていて、
それが最もプライオリティの高いことだったので、
算盤を弾くまでもなく学費の捻出などできっこない、と思っていた。
しかし、彼女の言葉は患者の脳裏に焼き付いていて、
リハビリテーションを終えた後も自身で登山における歩行の探求を続けていた。
それから1年半ほど経って、ふとしたきっかけで患者は実際に算盤を弾いてみた。
無理だろうと思っていた学費の捻出が、実はそうではないことが分かった。
そこで、彼女の言葉が脳内を駆け巡った。
「理学療法士に向いていると思いますよ」
登山を愛好する人はたくさんいるけれど、
膝だ腰だ足首だと怪我の痛みに苦しむ人もたくさんいる。
なのに、未だ登山のリハビリテーションなんていうのは聞いたことがない。
ならば、自分で切り拓いてみたい。
会社員を続けても、あと10数年で盛りを過ぎ、20年もすれば引退だ。
ならば、生涯追及できることをやってみたい。
子どもに対して、背中を見せられることをしたい。
彼女は、自分の言葉が患者にどれだけの影響をもたらしたかを知らない。
しかし、彼女の仕事と患者への接し方が、
一人の人間の運命を変えるきっかけを与えた。
患者はそのことに対する礼を言い、4年後には同業者になりますので、
その節はご指導のほど、お願いします、と挨拶をしてクリニックを後にした。
僕も腰痛のリハビリで週一回通っていますが、それまで知らないお仕事でした。あまり口数の多くはない青年ですが、3か月ほど通ってようやくお話ができるようになってきたような気がします。もっと言葉にする努力をすればよかったかもしれません。話してみれば奥の深い世界。人体は、もっとも身近な自然界ですからね。
ささやかな一言も、アンテナのある人にしかひっかからない。引っかかった言葉も、算盤を弾いてみる気力が無ければ忘れ去られる。日常で心に残った何かのきっかけを大切に育てていくのは、偶然の様だけど運命なのだと思いますね。
こんばんは。
素敵なコメントをありがとうございます。
ぼくも、リハビリを受けるまでは全く知らない世界でした。
その理学療法士にとっても、登山という分野は未知の領域だったようですが、
そこで適当にお茶を濁すことなく、プロの仕事をやってくれたおかげで、
その奥深さと可能性を見ることが出来たわけで、
顧みると全てがつながっているように思います。
怪我からもうすぐ5年が経ちます。
怪我をしてよかった、というようには思いませんが、
怪我の功名どころか、人生を変えてしまいましたね。
これまでにかかわってきた人々たちのおかげです。
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