今日は、朝から晩まで、昨年の今日のことについて、
世相でも、メディアでも覆い尽くされていました。
3月11日は、おそらく今後も長らく、
わたしたちの脳裏に強く焼き付けられることでしょう。
だけれども、どれだけのひとが、メディアが、
その前の日のことについても想いを至らせたでしょうか。
67年前の3月10日夜半の阿鼻叫喚を。
それを現実として体験したのは、70歳前後以上のご年配のかたがた。
年々、その人数は減っていると言わざるを得ません。
従って、わたしのごとき若輩者は、情報等で想像するしかありませんが、
死者、行方不明者の数が8万人とも、10万人とも言われるこの出来事も、
たとえどれだけ現在から遠ざかっていっても、
風化させてはいけないことだと感じます。
50年くらい経た後、1年前の今日について、
ろくに報じられなくなるのでしょうか。
あってはならないことだけれども、そのようなことが頭をよぎりました。
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67年前の夏に、日本は戦争を止めました。
けれども、それより前に日本国は、日本人は、
戦争のない国を想像していたでしょうか。
江戸幕府が倒れた1867年以後、戊辰戦争などの国内紛争をはじめ、
日清戦争、日露戦争、第一次、第二次世界大戦などの海外戦争・・・。
およそ80年に渡って、断続的に戦争が存在しました。
それが、1945年を境に、日本は戦争を完全に放棄しました。
たとえそれが勝利国によって強いられたことだったとしてもです。
50年後、電力供給の図式はどのようになっているでしょうか。
わたしは、原発に賛成はできませんけれども、
それに取って代わる現実的な方策が確立できていない現状、
ただ安易に反対!と声高に叫ぶこともできません。
某党が政権を取ってから言い続けている「財源はどうにかします」と、
次元的には大して変わらないような気さえします。
そんなわたしが今、できることとは?
せいぜい節電くらいしか思いつきません。
この日記も、PCに電気を通して紡いでいるのだから、
その時点で矛盾だろう、ということになってしまいますが、
電灯の明るさを1段階暗くする、とか、
不要なコンセントは抜いておく、とか、
些細な積み重ねをすることが大事なのではないかと思います。
原子力発電所がなくなるかどうか、
今の段階ではわたしにはまったくわからないし、
現実的に、すぐにゼロにすることはできないでしょう。
けれど、日本は戦争を止められた。
その強さと同じように、
原子力発電所を止めよう、
そう伝えていくことは、できるはずです。
今はまだ、どう動いてよいのか、途方に暮れている段階ですが・・・。
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けれども
決して
風化させてはいけない
出来事がたとえ
1年前であろうと
17年前であろうと
67年前であろうと
89年前であろうと
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