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奥多摩の最奥部に横たわる長沢背稜の一杯水避難小屋を根城にして、
強盗を働いていた男に関する記述があった。
ぼくは、アクセスは悪いけれど、原生林が数多く残り、
静寂に満ち満ちた長沢背稜を愛し、年に何度も訪れている。
一杯水避難小屋は泊まったことはないけれど、何度も立ち寄ったことがあるので、
こういう話を聞くと、間違ったものを噛み砕き、
口の中に苦い味が広がるような、嫌な感覚を覚えてならない。
件の強盗事件が起きたのは、今から遡ること10年足らずという。
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こうした話は今に始まったことではない。
奥秩父主脈の最奥地に位置し、現在は雑木林の中で静かに眠る
雁峠山荘が営業していた1990年代前半、
管理人が不在の時に侵入しては繰り返し金品を盗んでいた者がいたことは、
当時の管理人の著書に明記されているし、
有名どころでは1980年代前半に起きた、
某小屋管理人による暴行殺人事件がある。
お山で人間と出会うと、確かに下界で出会う人間に対してより、
警戒心が薄れることもあるかもしれない。
お山は人口密度が圧倒的に少ないし、
どこかしらへ向かっている目的意識は共通しているから、
お山にいる人間同士のシンパシィも作用するだろう。
ただ、だからと言って下界とお山で人間の属性比率が変わるとは思えない。
几帳面な人間は、お山でも下界でもそうだし、
大らかな人間も同様。
お山にいる人間で反道義的な悪者はいない、などということもなく、
その点も下界と同様だ。
ただ単に、そこにいる人間の絶対数が少ないだけで、
そのような属性の者の存在比率は、古今東西一定不変であると思う。
日常において、ぼくの不快指数を高めさせる人間は存在する。
逆に、ぼくによって不快指数を高めさせてしまう人間も存在するだろう。
ぼくがお山において、人間の影響がほとんど、
あるいはまったくない場所を好むのは、
そういったことから切り離して、ただ視る、聴く、歩くなど、
六感を存分に駆使することが好きだからであって、
お山に入っているときくらいは、お山のことだけを考えていたいのだ。
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お山で、熊も猪も鷹も鹿も狐も見たことがある。
ぼくたちが、お山に生きる動物たちの不意な気配に脅威を感じるように、
動物たちも同じように人間に対して脅威を感じるのではないかと思う。
一杯水避難小屋の事件では、犯人が背後から突然鉈で殴打したり、
登山道から斜面に蹴落として、拳大の石を投げつけたりしたという。
動物たちは、自分の身を守るときはその牙を剥くけれど、
恣意的にそうしたおぞましい行為に及ぶのは、人間だけだろう。
かつて誰かが言っていた。
「山で一番怖いのは人間だ」と。
「山で一番怖いのは人間だ」、同感です。
里山歩きは、人と合うことがあまりないですが、たまに合うと、相手に悟られないように警戒してしまいます。ましてや管理人のいない避難小屋などは、ほんとに怖いですね。
いつも一人登山なので、ヤバそうな時は無理をしないで回避するようにしてます。
こんばんは。
コメントありがとうございます。
一杯水避難小屋での事件は、
いずれも警戒心を解き、一緒に下山しましょう、と言って歩いているときに、
後ろから襲い掛かったそうです。
さすがに、この状況ではどうにもならなかったでしょうね。
ぼくは、避難小屋泊で見知らぬ人とふたりきりになったときは、
まずその人の所作をよく観察するようにしています。
お山で泊まることに慣れた人とそうでない人の違いは、
食事の支度の仕方を見ればだいたいわかりますので。
慣れた人であるとわかれば、まあ大丈夫かな、とある程度は目算を立てますが、
基本的には自分から話しかけないことにしています。
端から見れば、不愛想な人間に映るかもしれませんが、
ソロ山行において、不愛想さは、ある意味自分の身を守る手段であると考えています。
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