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原因は、もちろん、わかっていますが・・・。
帰って20日ぶりに覗いたパソコンの、7月30日付のアレッポ(シリア)からのメール・・・。
・・・3年前、1ヶ月半ほどシリア、レバノン、ヨルダンを歩きまわったとき、アレッポの城塞で、そこにある小学校の昼休みに“お友達“になった子供の1人からのメール。
タドタドしい英語で(アラビア語がわからないので、毎回、苦労して英語で書いてくれている)兵士の襲撃と空爆がひどいので、明日、家族全員でアンタキアからトルコに向けて逃げます、これが最後のメールです、と・・・。
・・・シリア・・・よい国でした。
首都のダマスカスはもちろん、地方のスークや商店には生活必需品から高級嗜好品にいたるまで、外から窺う以上に物資は豊富にあり、ユーフラテス河ぞいの穀倉地帯は灌漑設備が整備されて、欧米のそれと思わせるような広大な農場が展開しており、人々はおおらかで明るく親切、宗教色はほとんど感じられず、アサド独裁(とにかく巨大な肖像写真があちこちに下がっている)とは言え、それなりに安定した国だと感じたものでした・・・。
また、カネをやたらにばらまいて物価を吊り上げるアメリカ人観光客がいないため(国交がないのでヴィザが発給されない)、地味なヨーロッパ人観光客が多く、それゆえに物は安く、レバノンのように、いたるところに兵士が立っていて、ベイルートや南部の難民キャンプ周辺道路には戦車や装甲車が警備にあたっていて緊張する、といったこともなく、なにかと世知辛いヨルダンや宗教色が強く(表向きではあっても)窮屈なイランなどに比べれば、あらゆる点で自由旅行のしやすい国でした・・・。
公園の結婚披露宴に呼び込んでくれた気のよい人たち、目的の場所まで案内してくれた人・・・日本人は珍しいといって歓待してくれた人、屈託のない子供たち、彼らが、いま、どうしているのか・・・ダマスカス、アレッポ、ボスラの旧市街、古代ローマ遺跡のパルミラ、東ローマ帝国時代の城塞クラック・ド・シュバリエなどの世界遺産、ハマ(大水車の町、先代のアサドの1982年に大虐殺があった)が、どうなっているのか・・・
アレッポでは、連日、多くの市民が亡くなっているニュースが伝えられていますが、ノーテンキに、安全な日本で山登りなぞ出かけていて、ここしばらくメールさへ送らなかったことが、ひっかかっています・・・。
だからといって、何もできないのだけれど・・・。
写左から・・・
小学生。カメラを構えたらワッとほぼ全員が集まってきた(アレッポ城塞)
日本のことをアレコレ知りたがった女子大生(クラック・ド・シュバリエ)
4日間、毎夕食に通った最後の夜、明日、トリポリ(レバノン)へ発つ、と言ったら、今日はカネはいらないョ、といった食堂のオニイチャン(タルトゥース)
tentomushiさん、こんにちは。
私もシリアやイラクで見ず知らずのアラブ人に親切にしてもらったことがあります。
平穏な街が戦場に一変するなんて、
想像し難いことですが、
現実なんですね。
やはり返事はないのでしょうか?
こんにちは。
普段アレッポの石鹸を愛用しているのですが、恥ずかしながらそれがシリアの一都市の名だと最近の一連のニュースの中で知りました。
文面からはとても穏やかそうなお国柄が伝わってきます。
ニュースからでは分からない複雑な事情があるのだと思います。
決して善と悪が戦っているのではなく、お互いの主張がぶつかり合って起こっていることなのでしょうから。
いずれにせよ、内戦なので争いのむなしさが余計に感じますね。
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