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先月父親が九十四歳で他界し葬儀や後始末で忙殺されてきた日々も少し落ち着き、静かな時間が戻りつつある。
納骨までのあいだ親父がいた部屋には祭壇と遺影、写真の中の父親はしばらく見ることのなかった優しい顔で笑っている。線香をあげる度に父親の人生や自分との長い時の中での関わりなど多くが駆け巡り、気が付くと何か語りかけている自分に気付く。この歳になっても親を亡くすというのは堪えるものなのだと思う。
だからなのかことある毎に、妙に気持ちの浮き沈みが激しいのに気付く。時には何でも無いことで目頭が熱くなったり理由も無く気持ちが沈んで、立ち上がるのさえ億劫になっている。好きなお酒も美味く感じられずに晩酌も早々に切り上げて、普段酒飲みにうるさい女房が逆に心配するくらいだ。
そんな不安定さをリセットしたくて山に向かったのだが。
冷たい冬の空気の中、雪を纏う山々の上を雲が千切れ飛ぶ。
椎名誠著「ぼくがいま、死について思うこと」の中で”母が冬の風になっていく”の章で
「母は二月の冷たい風にのって、いま大気のなかに流れていくのだ。母は冬のかぜになっていくのだ、ということを認識したとき、母は結構幸せに死にゆく人生を歩んだのだ、という安堵を感じた。」
雪にまみれになり、父と母の違いはあるが冬の稜線で吹き抜ける風を受けながらその一節を思い出していた。それと同時に肩の荷が少し軽くなったような気がしていた。靴が乾いたらまた何処かへ雪まみれになりに行こうか。
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