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現在、山田道は神戸市立森林植物園と神戸電鉄谷上駅の間のハイキング道として知られています。ドーントらの時代、現神戸市北区山田町は山田村と呼ばれ、「山田村郷土誌」(1920)によれば旧上谷上村付近と再度、または布引を結ぶ里道として再度越と呼ばれるものが存在したようです。(注)
Goat's diaryには神戸から山田を過ぎ、唐櫃、シュラインロードを経てドーントの別荘に至ったという記録が残されていますので、ドーントらはこの里道を利用したものと考えられます。このためYamadaは広義には当時の山田村、狭義には山田村上谷上付近を指していると考えてよいと思います。また、Yamada Roadは再度越の一部と考えることにします。
今回はYamadaとYamada Roadを通過するグラフそれぞれ作りました。URL: http://shinji50.sakura.ne.jp/inaka/ymd.jpg
Goat's diaryへの出現頻度では、YamadaがYamada Roadを圧倒しています。神戸と山田間の経路としては、Futatabi(再度)を経由することが多かったようです。再度と山田との間では、Aden(アデン)やMilk Hall(ミルク・ホール)を経由している記録があります。山田と六甲の間にはShrine Road(シュラインロード)を経由するルートがあり、途中Arima Road(有馬道)、Karato(唐櫃)などが記された記録もあります。六甲に至る別の経路として、Birthday Ridge(誕生日尾根)を経由することがあり、山田から誕生日尾根への経路には、Radium Hut(ラジウム小屋)の名前が残されています。
また、グラフ上部にはMonarch of the Glen(谷の王者)というおもしろい地名があります。谷の王者と山田の関係にも興味を引かれます。神戸から六甲への行程では、谷の王者、山田の順に通過することが多かったようです。この時、谷の王者へ至るルートとして、再度とミルクホールが記録されています。もしかすると今の山田道の近くに谷の王者があったのかもしれませんが、その後の開発で地形等も変化していることから、王者探しは難しいかも知れません。
一方、Yamada Road(山田道)については記録が少ないので、グラフで有馬道通過後のノードを増しました。六甲山への行程では有馬道を通過後、Armistice Valley(休戦谷)へ進んでいます。この地名がどこに当たるのか分かりませんが、その後はGreen Man(青山)あるいはGreen Man Path(青山道)へと至っています。
Yamadaのグラフが示すとおり、神戸と六甲山のドーントの別荘の往来のため、ドーントらはここをしばしば通過しています。現在残っている地名の範囲で推測すると、最も遠回りになるルートとして唐櫃とシュラインロードを経由するものがあります。ちなみに、神戸から唐櫃とシュラインロードを経由した記録の一部を拾い出してみると、ドーントの別荘までの所要時間は短いもので4時間20分、長いもので5時間25分となり、彼らの健脚ぶりには驚かされます。
注:「山田村郷土誌」(1920) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/927180/35
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