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より速く登れること?
より難しいコースを行けること?
より多くの山頂を極めることが出来ること?
より高い山を登ることが出来ること?
インスタ蝿する写真を撮れること?
* * * * * * * *
田舎暮らしが長いせいもあってか、古い慣習に辟易することがあります。
(今は都会にいるような言い方ですが、今も田舎モンです)
それは近所付合いであったり、地域や家の方針・しきたりであったりと、その時々で状況は違いますが、今となっては「なんて無駄な慣習なんだ」と思うことも多いです。
無駄に思うか思わないかは人によりますし、内容によってはそれを古き良き時代の守るべき伝統・慣習と思う人も中にはいることでしょう。
ワタクシはどちらかというと無駄なこと、と思う場合が多いと思っています。
そんな田舎者の風上にも置けないヤツではありますが、最近思うことがあります。
山はそのほぼ全てが田舎にあり、古来から地域に愛され、親しまれ、さらには信仰の対象となってきた山も多くあります。
新潟県などはメジャーであるかないかに関わらず、そんな山がとても多いのです。
山頂に限らず、大きな、あるいは小さな祠や神様の像、鳥居、御神剣など、けっこうな確率で信仰の対象であったことを窺わせる形跡が残っていますし、その中の多くは現在でも信仰され続けています。
以前、御神体である滝を登って物議をかもしたクライマーがいましたが、あれを「今の時代、そんなのどうでも良いだろう」と思われますでしょうか。
田舎者のはしくれはこう思うのです。
多くの山は地元で愛され、守られ、信奉されてきたものであるということを、皆様どうかお忘れにならないでいただきたいのです。
山頂で大騒ぎし、ヘンなポーズで写真を撮るのも、迷惑にならなければ何の問題もないかと思います。
ただ、どんな理由であれ、山を侮辱したり、つまらない山だった、なんてことない山だった、などとSNSで言い放ったりしないでいただきたいのです。
登山者にとっては体調が悪かったり、お天気が悪かったり、眺望がなかったりし、パッとしない山登りであったとしても、山はいつの時も地元民が大切に守り続け、地域の誇りであったりするものなのです。
速く登れればとても世界が広がり、どんなにすばらしいことでしょう。
難しいコースを登れれば、人がなかなか見れないものを見れることもあるでしょう。
ワタクシも日々、そうでありたいと思い続けています。
ですがその前に、人は登山者である前に人なのです。
山は古来より人に恵みを与え、人はその恩恵を受けてきた関係であったはずです。
登山者が謙虚且つ敬虔な気持ちを忘れ、登山が単純なスポーツや娯楽へと変化していくようなら、ワタクシはたぶん登山をやめてしまうと思います。
我々が山を遠くから、あるいは近くから見て、立派な山だなぁ、登ってみたいなぁ、と畏怖や感銘、信仰心を芽生えさせる心がなくなるのなら、登山としての意味がどこにあるのかを見つけることが出来ないと思うからです。
それはやはり、登山者の守っていくべき資質であろうと思うからです。
最近たまに一緒に登っていただく方がいらっしゃるのですが、その方は山頂に限らず、神様が祀ってあるものがあれば、必ず何をするよりも真っ先に参拝に行かれます。
人とはかく在りたい、と強く思う今日この頃であります。
新年からつまらない話で申し訳ありませぬ。
インスタ蝿と言ってみたかっただけです。
※特にどなたかの記述を見て触発されて書いたわけではありません。
その通りだと思います。丹沢によく行きますが無名の山・低い山でも峠や山頂に祠があったりします。修験道のコースだったためとか、雨乞いの神をまつったりとか、猟師の山の神とかいろいろあります。昔から山とともに生きてきたからこそ感謝・畏敬の念を抱かずにはいられないのでしょう。そういう敬虔な気持ちにさせてくれるのも登山の魅力の一つだと思います。
h321さんこんにちは。
祠や石仏などを見つけ、その由来を地元の方に聞くというのもしばらく前はたまにしていたんですが、地元の方ですら既に言い伝えられていないことも多いんです。
守っていこうとする意志も伝承されていないか、守っていけと言われてはいるけど、その理由や由来が伝わっていないのかも知れません。
そこは地域によってさまざまでしょうね。
調べだすとこれがけっこうひとつの趣味なるくらいおもしろく深いのですが、有名な山の信仰ならともかく、無名の地元低山になると最後まで解明出来ないことがほとんどで、モヤモヤしたまま調査終了です(´_`;)
SM100Cさん、こんばんわ。
>登山者に求められている資質ってどんなことなんでしょう。
と言われると、、、自分の足で帰ってくること。
ってのが真っ先に頭に浮かびます。
低山里山街道歩きなどをしていると、
祠やお地蔵さんなどをよくみかけます。
忘れられて朽ちかけているものを見ると、
かつてはこのあたりの山の中でも人々の往来があり
山への畏怖、信仰など、人と山のもろもろのかかわりがあったの
だろうなと、、、思いを寄せてみるのも楽しいです。
最近4.5世紀の古墳巡りをしているので、
そういうところとセットの神社や祠をみると特に
そう思います。
麓で山の神様に登山の安全を願う。。
ようにはしています。
こんにちはyamaneさん。
詳しくは知らないのですが、信仰や山への献身性は特に日本が顕著では、と漠然と思うんです。
それは古くから続く日本人独自の感謝の気持ちの表れであろうと。
何でも合理化の時代、手間のかかることやお金のかかること、人の心に訴えるもの、これらを知らず知らずのうちに簡略化し、本来伝えるべきものを忘れているんじゃないかと思うんです。
で、娯楽性だけ残ると。
時間が速く、心に余裕がない時代になった今、そういうことを考えながら山登りするのもまた良いものです。
自分の足で帰ってくるのは確かに最も大切な資質の一つですね。
自分の山に対する思い、行動を振り返り反省しました。。。。
原点はここにあると改めて思いました。
ありがとうございました。
今年もよろしくお願いします。
おはようございますpi-tiさん。
いやいや何を仰いますか(゚_゚;)
ワタクシなど山自体への思い入れが特別何かあるわけじゃないんです。
その山を日々大切にされている地元の方々のことを考えるだけですよ。
山への敬意というより、その周辺の地元の方々への敬意というか。
言い方が難しくて適切な言葉が出てこなくて…
石仏なんか見つけると、色々と考えるんですよ。
ここまでどうやって運んだんだろう、
どうやったとしても大変な労力だっただろうな、とか。
今の時代だと、そんなことをして何の得があるんだ、ってなるじゃないですか。
悲しい時代だと思うんです、損得でしか考えられないってのは。
ってなわけで、こちらこそ今年も宜しくお願い致しますm(_ _)m
SMさん、こんばんは。
なかなか深いテーマですね。
こちらの山にもそうした形跡は数多くあります。
正直信心深いほうではありませんが、山に入って祠や仏像を見かけると「山に入らせていただきます」の挨拶やら、登山の無事に対するお祈りは自然としてしまいます。ただ結局は自分の為のような気もするし、山に対して畏敬の念も持って臨んでいるかと問われたら、決して充分ではないような気もします。
節度は持ってるつもりですが、ヤマレコアップを目的にインスタ蠅になってるときもありますね。
少し娯楽に寄っているような気はします。良い反省の機会になりました。
ありがとうございました。
本年もよろしくお願いします!
renswhさんおはようございます。
ワタクシも普通に娯楽で登ってますし、インスタはしていませんけども、基本的にスタンスはインスタ蝿です。
もちろん自分が楽しみたいがために登ってます(´_`;)
思うに、重く考える内容でもなくて、早い話、普通に人を思いやる気持ちがあれば良いのではないかと思うんです。
山に登るという行為で色々な副産物が人によってあると思うんです。
物理的なもの、精神的なもの問わずですが。
何を得るかは人それぞれですが、得るものの内容によって、その人をよく表しているなと思います。
ワタクシ、renswhさんから得るものが大変ありがたく、心豊かになっております(´_`)
お会いする機会があれば物理的に何か欲しいです
SMさん こんばんは
いつも東京駅並みの混雑・人気のレコなのでお邪魔してませんでした。
私にとって頸城山塊や北アルプス北部が日本で一番で、深く愛しています。
幼いころから眺める山々には神様がいて、天国は朝日岳のあたりだと信じてました。
しかし新幹線の車窓から福島の山を見て「あ・・」とわかったことがあるのですよ。
ここの人たちは、この福島の山を一番だと思っているし敬愛し神がおわすと信じているのだろうなと。
レストランも、そりゃあ都会に行けばゴマンとおしゃれで美味しい店があるけど、月●●店とか昌●●とかうちの町のが一番というのと似ているのではないでしょうか。
山でもレストランでもその土地で敬愛されているものには、心の中で拍手パチパチしている私です。
おはこんばんちは、という挨拶を昔アラレちゃんがしていたのを思い出すほどピッタリな時間に書き込んでおります。
ご機嫌麗しゅうkibakoさま。
東京駅はこんなもんじゃございませんでしょう!
それにしてもそう言われてみると、じゃあ自分は一体、どこを一番愛する山域と思ってるんだろう、と考えてみたところ、やっぱり頚城山塊・海谷山塊・後立山なんですよね…
今盛んに登っている山というより、強く心に響く山というのはやはり幼少期をそこで過ごし、見上げ、遊んだ山、であります。
地元の山はやっぱり一番です。
人に聞かれたときに、故郷にはこんなにすてきな山があるんだよ!って誇れるようじゃないとつまらない気がして。
●徳●店の主人(先代の長男)は幼馴染であります。
小学生の頃よくお邪魔し、先代のチャーハンをいただいていたものです。
おいしかったなぁ…
今は帰省した時にしか行かないし、彼にはもうン十年と会っていませんが。
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