12月16日の山行記録に記した自身の体験ついて、公開後に分かった事実を加味した上で
気付いたこと、思う事について記そうと思います。
12月16日の自身の山行記録 → http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-253300.html
今思えば、森の中で悪寒が走った時と森の中の写真を撮った時、全身に物凄い鳥肌が立っており、
自分の身体は明らかに恐怖を訴えていたように思います。
ですが、実は頭の方はその時、恐怖の類を感じてはいませんでした。
感じていないと言うよりは、身体が訴えてくる違和感が何なのか理解出来ずにいました。
帰宅後に問題の写真を確認した時も同じです。
あの時と同じ、物凄い鳥肌が立つのですが、何かおかしなものが
写っている訳ではありません。
ただ・・・ゾッとするのです。
どうしても嫌な感じがするので、勘の良い知人に「この写真どう?」と、あえて先入観を
持たせないように見せてみました。
写真を見た瞬間、明確な嫌悪感と恐怖感を示した彼女が思わず発した言葉は
自分にはあまりにもショックなものでした。
結局自分は、山にも明暗があるという結論で、自身を半ば強引に納得させることにしました。
ところが数日後、この件は新たな展開を見せます。
職場の忘年会において、地元の人なら知っているであろう、ある問題の存在を知りました。
それについてはここで触れるべきではないと判断します。すみません。
何日ぶりかにゾッとしましたが、自身の体験、知人の発言、新たに知った事実・・・
その全てがまるで作り話であるかのように見事に一本の線で繋がりました。
科学的でありませんが、当事者の自分にとっては最も納得のいく結論でした。
やっと本当の意味での下山が出来た・・・そんな気がします。
今回の件で、世の中には人知の及ばない事柄がそこら中に転がっているということを、
本当の意味で実感しました。
科学的という言葉を使いましたが、人間がほんの数世紀の短い期間に煮詰めた程度の
現代科学で世の中の全てを証明しようという発想自体、図々しい気がします。
たとえ理解の及ばない物事であっても、そのままのかたちで受け入れられる寛容さ、
柔軟さがほんの少しだけあれば、もしかしたら今より何倍にも拡大した視野を
手に入れられるのではないでしょうか?
今回最も気になった点は、現場で身体が即座に恐怖を理解していたのに対し、
脳の方は理解に数日を要したことです。
このズレは何なのでしょうか?
狩猟や農耕、まじない等に重きを置いた古き時代に生きた人々にも
そのズレはあったのでしょうか?
なかった、もしくは僅かなものだったと自分は想像します。
そして、その隙間を埋めるものこそが『感覚』なのではないかと考えます。
それは利便性に溢れた社会に生きることで、多くの人が無意識のうちに自身から
淘汰してしまっている能力なのかもしれません。
今回の件で、大小様々なことに気付けた気がします。
ほんの少しだけ脳と身体のズレも狭まっているのだったら嬉しいのですが・・・。
23日に瀬戸の定光寺でお守りを手に入れました。
今後はこのお守りを身に着けて山行に臨もうと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
初めまして。
御自信に備わった不思議な能力によって難を避けられて幸いでしたね。
単独行の多い私も不思議な経験が多数あります。
その時々の自分の体に素直に従って(感情ではなく)足の向く方向に向かっている為なのかバリエーションルートが多いにもかかわらず遭難とは無縁の山行を楽しめております。
一例をあげると
以下の日記の冒頭で鐘の音が聞こえたテン場に17年ぶりに野営したところ夜明けの早朝に熊鈴のカン高い音色が鳴り続けましたが人は現れません、ゲートから野営地までは3:00の距離で夜明けに人が訪れる事はまずない野営地です。その後沢を遡行しましたが直近の足跡も無く不思議な思いでした。
己の体が感じた素直な思いは心地良い雰囲気。
この領域には愛着を感じて通っています。
しかし、巧妙な罠で少しづつおびき寄せられているのかもしれません(笑)
http://www.yamareco.com/modules/diary/9952-detail-28174
コメントありがとうございます。
山登りを始めてまだ1年余り。まさかあんな体験を
することになるとは思いもよりませんでした。
これまで『霊感』とは「持っている」「持っていない」の
能力なのだと思っていましたが、認識が少し変わりました。
すべての人間がその能力を多かれ少なかれ持っている上で、
その存在に「気づいている」「気づいていない」という
表現の方が正しい気がします。
「俺、霊感ゼロだから大丈夫!」とか言い放っていた頃が
懐かしいです。
本当、「大丈夫!」じゃないですよね(笑)。
何か行動を始めたり選択したりする際、必ずそのイメージ(想像)が浮かびませんか?
あの日、森の中を進んだ先のイメージ・・・
実は何も浮かばなかったんです。
スイッチを切ったテレビみたいに・・・
今になってふと思います。
浮かんでいなかったのではなく、「OFF」が浮かんでいた
のではないかと。
それを身体だけが察知して自身に警告した・・・
おぉ怖っ!、あくまで想像ですけどね。
KURIRINさんの仰る通り、これからは己の身体が訴える
意見に対して、素直に耳を傾けられる自分になりたいですね。
こんばんは!
>「俺、霊感ゼロだから大丈夫!」とか言い放っていた頃が懐かしいです。
正に同感です。
>その存在に「気づいている」「気づいていない」という表現の方が正しい気がします。
気づいてしまったお仲間が増えて嬉しく思っております
今後共、よろしくお願い致します(^^
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