穂高は山屋のあこがれであろう。
もちろん、奥穂高だけでなく、前穂、西穂、涸沢、滝谷だのいろいろな要素から構成されているトータルが何かひきつけるものを呼び起こすのであろう。
私にとっても特別な存在だったし、まさか、その頂上を踏みしめることができるとは思いもよらなかった。
しかし、そのチャンスはひょんなことから現れた。
おそらく1991年だと思うが、会社の同僚にO君というのがいた。彼とは当時同じプロジェクトで働いていた。実はその彼と別のNさんと3人に正月に初日の出登山で大山に行った。このNさんは、以前富士山に一緒に登った方である。
彼(O君)にとっても、そのときの思い出があったのか、日常の会話の中でプロジェクトに参加してくださった、協力会社のNさん(違うNさんである)と会話している中で、尾瀬の話が出て、私とO君と協力会社のNさんとで、ゴールデンウィークに尾瀬に行くことになった。そのNさんはあまり山に行ったことがない人であったと思うが、尾瀬の魅力に惹かれたのであろう。
結局3人でゴールデンウィークに尾瀬に行き、燧ケ岳にも登った。
その感触が忘れられなかったのであろう。その協力会社のNさんが私のもとにやってきて、夏休みでぜひ穂高に行きたいという。さすがの私も難色を示した。しかし、そのNさんは熱心であった。その協力会社で多少山に登っている方と同行するからという。
そんなことから、その年の8月で3人で休みを合わせ、新宿から夜行急行で出発し上高地に着いたのであった。
コースは槍沢を登り、槍ヶ岳から北穂、奥穂、前穂高と縦走し岳沢を降りるというものである。
私は無理をしたくなかったので、その日は横尾に泊まった。あまりそのあとの記憶がはっきりしないが、槍、北穂、奥穂に泊まりながら、岳沢に下りたと思う。
3190Mの奥穂高に着いたときには感慨深いものがあった。あとの2人の方も北穂の登りとかでねをあげていたが、がんばってくださって3人で縦走を完登することができた。
頂上には2Mのモニュメントがあり、その上にたつと北岳の標高に並ぶことができるというのがあった。私たちも登ったと思う。
なんでも、今や北岳は3193Mになっているそうだ。
この上に立つだけではいまや北岳には並べないのだ。
それにしても、この山友の輪というのは今にしてすごいと思う。
富士山の登山が大山の登山を生み、
大山の登山が尾瀬の登山を生み、
尾瀬の登山が穂高の登山を生んだ。
皆さんにも同じような経験はあると思うが。
この協力会社のNさんとは、その仕事のあとはお会いするチャンスがなかったのだが、2001年に亡くなられたと聞いた。
そういうこともあって、今でも懐かしい思い出ある。
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