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クチコミに「おいしい」と書いてあっても、何がどうおいしいのか具体的に書いてあるクチコミは実際少ないです。おいしさは主観が左右するものなので、「おいしい」だけでは判断の材料になりません。
また低評価をしているクチコミも、その人個人の問題が多分に含まれていると思われます。例えば長文で酷評しなから「二度と行きません」と書いているクチコミがありますが、二度と行かないような店にそこまで力を注ぐのは理解できません。評価するのが目的なのではなく、貶めること自体が目的になってしまっているのでしょう。
そもそも、クチコミを書いている人がどこの誰なのかも分かりません。そんな分からない人の言うことを信じていいのでしょうか?
その人の評価が間違っているというのではありません。その人と私とは生まれや育ち、立場、趣味嗜好、価値観がまったく違う別の人間なわけです。本来ならそんな素性が分からない人の言うことを信じることはないのですが、ネットなら信じてしまうのが不思議です。
ネットのクチコミから分かることは人々の大雑把な傾向くらいしかないと思います。
(写真と本文は直接関係ありません)
そのとおりで、ネットなどの文字は信用していません
信用、信頼の信じる「信」の文字は、
「人」の「言(葉)」ですから、人が発する「ことば」です。TVでも、人の話していることに信憑性を持つ…と思っています
口コミの食べログよりは、夕方のローカルTV情報の方がいい
遠くのことは、よくわからないから、近くに行った時に覚えていたらぐらいで
個人の感想コメですみません
食べログのレビューはネガティブなことは書けないしくみになっていますし、点数も運営会社が店に売っているらしいので参考にならないですね。
単なる腹いせ、怒りのぶち撒けと思います
愚痴は大抵長いですもんね
私は話半分に聞く(読む?)ことにしてます(笑
店に対して直接言えない分、辛辣になる部分はあるかもしれませんね。
京都から東京へ車で帰るのに、夫ひとりで運転をしてくれていたので、一気に帰るのは大変だから途中一泊しようと思って急遽予約したわけです
ところがホテルの前に着いてびっくり‼️
既に15時を過ぎている(チェックインタイム)にも関わらず玄関真っ暗
それでも恐る恐る中に入ると、レセプションも真っ暗でひとっこひとりおらず
すみません〜、と叫ぶ私たち家族の声が聞こえているかどうかは分かりませんが、結局誰も出てきませんでした
チェックインすら出来ないので、キャンセル手続きをすると、夫の携帯(予約時に連絡先として入力した)に、ホテルから電話がかかり、キャンセル料を支払えと言ってきました
キャンセルOKの時間帯にキャンセルしたからキャンセル料は支払わない、と言っているのに、夕飯の支度をした、とか、あれこれ言うので最終的に予約した某サイトにこちらから電話して、キャンセルに至る経緯とキャンセル料不要の話しをして、漸く事態はおさまりました
この間約1時間、同時並行で私が近くの観光案内所へ直接行き、別のホテルを予約しました
観光案内所で予約したホテルは、お値段少し高めでしたが大満足の宿でした
閑話休題
ここからが、実はお題とリンクする内容です
あまりにも酷い宿だったので、改めてその宿のクチコミを見ました
すると最上級評価の5が結構あって大絶賛しているのと、最低評価の1若しくは2(多分気が引けて2にしていると思われる)で、それこそ泊まらない方がいい、という二極化でした
私達は泊まりこそしませんでしたが、玄関からして、いや、玄関の遥か手前から泊まりたくない雰囲気でしたから、それらの評価もよく分かりました
何故泊まりもしないのにそこまで言うのか?
実は玄関前は10段位の階段があったんですが、枯れ枝とかだけでなく、大量の蝉の死骸が散らばっていたんです
蝉だけは苦手な私は、それらを避けて階段を昇りました
(予約したからキャンセルするのは失礼だと思っていた)
しかし、上記の経緯通り結局キャンセルしました
そして、しばらくはこのホテルが気になって、度々クチコミを見ましたが、やはり二極化は変化ナシでした
以上の経験から、少なくとも大絶賛のみのクチコミは、構えてみるようになりました
なかなか酷い体験でしたね。
私も「5」の評価はほとんど参考にならないと思っています。一方で、「1」や「2」が一定数ある店はそれ相応の何かがあるのだと考えています。
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