『都名所図会』(安永九年/1780年)および『拾遺都名所図会』(天明七年/1787年)に記載されている京都の山名や峠名を抜粋し、現在の山名と照らし合わせてみました。
・◇項目名は、現在の山名。出来る限り古い山名と照らし合わせていますが、不明な所や間違っているものもあるかもしれません。現在の山名は、京都山名マップを参照
https://www.yamareco.com/modules/diary/325440-detail-227736
・括弧内の数字は、国際日本文化研究センターのデータベースにあるURL末尾あたりの数字で、『都名所図会』は"(都###)"、『拾遺都名所図会』は"(拾###)"とし、図絵の場合は"図"と記しています。
・記載順は『都名所図会』をベースに、間に『拾遺都名所図会』の項目を挿入しています。
都名所図会データベース
https://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyoto/c-pg1.html
拾遺都名所図会データベース
https://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyotosyui/c-pg2.html
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【東部】
◇稲荷山
(拾266)「稲荷山」
◇光明峰
(拾256)「光明峯 東福寺方丈のひがし、即宗院の南谷をいふ」
◇滑石越
(都155)「新日吉社は(中略)、旧地は是より南にして日吉坂(今のすべり石ごえなり)といふ所なり。」
*日吉坂/すべり石ごえ
◇阿弥陀ヶ峰
(都168)「阿弥陀が峯は豊国の後の山なり。」
(都165図)「豊國山」「阿弥陀峯」
*豊國山は阿弥陀峯の小ピーク?
◇鳥辺山
(都174)「鳥辺野(或は山ともいふ)北は清水坂、南は小松谷に限る、むかしより諸宗の墓所なり。」
◇華頂山
(拾319)「花頂山 粟田山の西、青蓮院の後山をいふ。」
◇粟田山
(都201図)「粟田山」
◇日岡峠
(都204)「日岡の峠に至る三町計り西に、四面山にして其中に往還道あり、俗に姥が懐といふ。」
◇音羽山
(都211)「音羽山(又牛尾山ともいふ)追分より東南の山なり。」
(拾281)「顕注密勘云、相坂関は山城と近江との境なり。音羽山は関の西南のやまつゞきたり。」
(拾282)「牛尾山 音羽山をいふ。」
*音羽山/牛尾山
◇諸羽山
(拾302)「諸葉山 四宮河原の北にあり、土人柳山とよぶ。麓に諸羽社あり」
*諸葉山/柳山
◇鏡山
(拾313)「鏡山 明王寺の後山をいふ。」
◇渋谷街道
(都214)「花山は瀋谷峠の東にあり」
(都215)「苦集滅道というは今の瀋谷越をいふ。」
*瀋谷峠/瀋谷越/苦集滅道
◇南禅寺山
(都216)「駒が瀧は東の峯独秀峯にあり」
*独秀峯
http://www.toshiomi.net/h36/17nanzen.htm
◇大日山
(拾316図)「大日山」
(都216)「羊角嶺は天授院の東の峰をいふなり」
*羊角嶺
http://www.kyoto-ga.jp/greenery/kyononiwa/2020/11/post_27.html
◇中尾山
(拾397)「中尾山 銀閣寺卯辰の間五町許にあり。」
◇大文字山(如意ヶ岳)
(都220)「如意嶽は東の峰にして」
(都229)「毎年七月十六日の夕暮、大文字の送り火は銀閣寺の後山如意が嶽にあり。」
◇吉田山
(都225)「吉田宮斎場所は神楽岡にあり」
(拾358)「神楽岡 吉田山をいふ」
*神楽岡/吉田山
◇月待山
(都227図)「月待山」
(都227)「ひがしの山を月まつやまといふ。」
◇山中越(志賀越)
(都228)「此里は都より近江の志賀坂本への往還なり、志賀山越といふ。」
(都228)「山中峠は白川の里より一里半東にして、山城近江の堺なり。」
*志賀山越/山中峠
◇瓜生山
(拾408)「瓜生山 心性寺の艮にあり、元将軍地蔵の地なり。」
◇白鳥越
(拾420)「白鳥越 同所の東にあり、上古の往還道にして、是より叡山東坂本穴太村へ出る、名古地越といふ」
*白鳥越/名古地越
◇雲母坂
(拾426)「雲母坂 鷺杜の北にあり、京師より比叡山中堂及び四明嶽に至るの一路なり、此道嶮岨なれども捷道なり。此坂常に雲を生ずるゆへ雲母坂といふ」
◇御生山(御蔭山)
(都236)「下鴨皇太神宮降臨の地なり、故に御生山といふ。」
(拾445)「御蔭山 高野村の東にあり。○万水一露云、みあれ山は高野の方にあり、御影山と同所といへり」
*御生山/御蔭山/御影山
◇小野山
(都243)「小野山は音なしの瀧の山をいふ」
*現在の小野山(大原山)と同じ?
◇翠黛山
(都249)「門院の御墳は後ろ山にあり、これを翠黛山といふ。」
◇比叡山
(都252)「比叡山延暦寺一乗止観院は、本朝五岳の其一つにして、王城鬼門に当れば艮峯とも号す。はじめは日枝の山と書しを、桓武天皇の御宇延暦年中に、伝教大師叡慮を等し、帝都鎮護として根本中堂を建営し給ふより、比叡山と改らる。又別名ありて、天台山、我立杣、艮岳、鷲峯、台嶺、叡嶽、大日枝、小日枝等の号あり」
*艮峯/日枝の山/比叡山/天台山/我立杣/艮岳/鷲峯/台嶺/叡嶽/大日枝/小日枝
◇四明岳
(都252)「四明嶽 叡岳第一の峰なり。雲母坂より登りて右に小径あり、山上に石仏を安置す、是山城近江の堺なり。」
◇阿字休息峰(玉体杉)
(都252)「路の傍に切石あり、北嶺回峯の行者王城加持修行の所なり」
◇横高山?
(都252)「波母山 又小比叡ともいふ。横川へ行左の方山の半腹に大巌あり、神代に白髭明神釣を垂し所なりとぞ」
*波母山/小比叡
https://hieisankei.net/stage03_02_06.html
◇横高山
(都252)「寒嵐嶽 華表岡より西の高峰をいふなり」
https://hieisankei.net/stage03_02_06.html
*寒嵐嶽
◇水井山
(都252)「阿弥陀峯 鳥井の下に立て西を臨ば、二峰あり。昔恵心僧都弥陀来迎を拝せし所なり。又峯越弥陀ともいふなり」
https://hieisankei.net/stage02_04.html
*阿弥陀峯/峯越弥陀
◇途中越
(拾479)「龍華越 大原の奥小出石村の北にあり、山城峠ともいふ」
*龍華越/山城峠
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【西部】
◇愛宕山
(都254図)「朝日峯」
*朝日峯
◇不明
(都254)「南星峯とは乾のかたの嶺をいふ。」
(都254図)「星の嶺」
*愛宕山の支峰?
◇小倉山
(都259図)「小倉山」
◇長刀坂
(都268)「長刀坂 其北にあり」
◇遍照寺山(嵯峨富士)
(都270)「遍照寺山は池の乾に向ひたる山なり」
◇音戸山(さざれ石山)
(都270)「音頭山 足形池のひがしの山をいふ」
◇亀山
(都280)「亀山は天龍寺の西なる山なり。亀の甲に似たるゆゑ号る」
◇嵐山
(都282)「嵐山は大井川を帯て北に向ひたる山なり。」
◇松尾山
(都307)「別雷山は社のうしろの山なり、当社の明神の降臨の地なり、松尾山ともいふ」
(拾601)「別雷峯 松尾社の山上をいふ、此所に巌あり、松尾神降臨のところなり」
*松尾山/別雷山/別雷峯
◇衣笠山(P124)
(都314)「後山を衣笠山といふ」
◇老ノ坂峠
(都321)「大枝坂は樫原の西一里にあり。」
(拾629図)「老の坂」
*大枝坂/老の坂
◇唐櫃越
(都323)「唐櫃越 葉室の浄住寺地蔵院の間より、丹波の王子村へ出る間道なり。」
◇不明
(都326図)「日??嶽」
*勝持寺(花の寺)の後方に描かれている山。小塩山のあたり?
◇髢嶽(かもしかだけ)
(都330)「当山の絶頂を髢嶽となづく、三峰ありて其形三鈷に似たるをもって三鈷寺といふ。」
◇小倉山
(都366図)「小倉山」
◇天王山
(都371)「観音寺は天王山の東半腹にあり」
(都375)「後の山を神降山といふ。」
(拾663)「神降山 山崎離宮八幡宮の後山をいふ。はじめ行教法師に託し給ひて八幡宮御影向の所なり」
*神降山=天王山?
◇秋の山
(都346)「秋の山 小枝橋半町ばかり南にして、茶店の向ふなり。鳥羽法皇城南離宮を営給ひし時、四季の風景をつくり、紅葉を多く植させ給ふ所を秋の山といふ、今纔の岡山遣れり」
◇不明
(都350図)「茶臼山?」
*向日丘陵のあたり?
◇向日山
(都355)「向日山 当社の山をいふ、又鳥見山ともいふ。」
*向日山/鳥見山
◇鳩ヶ峰(男山)
(都379図)「鳩の峯」
(都379)「石清水八幡宮は王城の南にして、行程四里、綴喜郡男山鳩嶺に御鎮座あり。」
(拾700)「八幡山 淀大橋より十町許にあり。」「別名男山あるひは雄徳山とも書す、嶺を香呂峯又鳩嶺と称す。」
*八幡山/男山/雄徳山/鳩の峯/香呂峯/鳩嶺
◇洞ヶ峠
(都383)「洞ケ峠 八はたの南半里にあり、山城河内の堺なり。南峠ともいふ。」
*洞ケ峠/南峠
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【南部】
◇大岩山?
(都405)「奥山 深草のひがしの山をいふ、猿丸太夫こゝに住し所なり」
*奥山
◇深草山
(都405)「竹葉山 野の内にあり、安楽行院のほとりなり」
*深草山は大岩山一帯の山域を指す?
◇行者ヶ森?
(都421)「松影池 岩屋の社南の麓にあり、山を松影山といふ」
*松影山→岩屋神社の後方、行者ヶ森かその支峰?
◇野色山
(都422)「野色山 道の西にある小山なり」
(拾272)「野色山 小野の南にあり。小野小町年老て此ほとりさすらひしといふ。土人謬て夜色山とよぶ」
◇不明
(拾268図)「天女峯」
*勧修寺内の小ピーク?
◇槍山
(都423)「花見山 秀吉公花見遊宴の地なり」
◇醍醐山
(都428)「直谷南禅院は醍醐山の巽にあり」
◇笠取山
(都429)「笠取山 醍醐のひがしなり。」
◇外山
(都432)「長明方丈石は日野村のひがし五町許、外山の山腹にあり」
(拾276)「外山 日野村のひがしの山をいふ。」
◇明智藪(明智越)
(都434)「小栗栖里は石田の西にあり、此所より木幡山を越て伏見城山へ出る道あり。これを明智越といふ。」
◇万福寺の丘?
(都435)「万松岡 当山(※黄檗山万福寺)の荼毘所なり」
◇高峰山?
(都435)「妙高峰 黄檗山の峰をいふ」
◇五雲峰
(都435)「五雲峰 妙高山の南なり」
◇桃山丘陵
(都399図)「宇治見山」?
(都437)「城山 文禄三年秀吉公伏見城を築給ふ。」
(都443)「月見岡、指月の後山にあり、一名宇治山といふ。」
(都448)「木幡山 六地蔵より北なり。今の仏国寺の辺をいふ」
(拾721)「松原山 秀吉公御在城の本丸の地なり、今は古松繁茂し蓊欝として日を蔽ふの所なり」
*桃山丘陵にある各小ピークの名称?
◇八科峠
(拾790)「八科峠 仏国寺のほとりなり、土人八島峠といふ。名義詳ならず」
*八科峠/八島峠
◇琴弾山
(都446)「琴弾山は六地蔵の艮、日野の西にあり。名義詳ならず。」
◇明星山
(拾808)「三室戸山 三室戸寺の後山をいふ」
◇喜撰山
(都456)「喜撰嶽は三室戸より一里ばかり巽にして、櫃川村の山上にあり。こゝに岩堀ありて、これを喜撰洞といふ。」
(都455)「宇治山は三室戸山の南なり、喜撰法師此所に住給ひしとなん。」*宇治山は地名?
◇朝日山
(都465)「朝日山は離宮の後山をいふ、莵道尊陵、朝日観音。此山腹にあり」
(拾811)「朝日山 離宮八幡、興聖寺などの後山をいふ」
◇槇ノ尾山
(都473)「槙尾山は橋より南にして、北に向ひたる山なり。土人丸山といふ」
*槙尾山/丸山
◇栗隈越
(都478)「宇治田原は平等院より凡そ五十町南にして、左は宇治川、右は山嶽巍々たり、岨路嶮してこれを栗子山越といふ。」
*栗子山越
◇栗隈山
(拾817)「栗子山 宇治一の坂より坤の方十町ばかりにあり。」
*栗隈山は宇治市南東部の丘陵を指す。
◇猿丸峠
(都481)「此ひがしに山城近江の国境ありて、江州戸塚村へ出るなり、これを猿丸峠といふ。」
(拾829図)「猿丸越」
◇不明
(拾848)「小笹峯 同所(注:久世鷺坂)と見へたり、今詳ならず」
(拾847)「久世鷺坂 久世のひがし山上にあり。仙覚抄に曰、鷺坂久世郡にありと、是則古への大和路なり。」
◇不明
(拾854)「椎尾山 中村の坤市野辺の東北にある山なり。むかし光明山寺此所にあり。」
*椎尾の滝、高塚山あたりか?
◇鷲峰山
(都486)「空鉢嶺は当山の絶頂なり」「天武天皇の御宇白鳳四年九月に役優婆塞此山に来り、天竺の霊鷲山をうつし、八つの峰は八葉の蓮華に表し、釈迦嶽、阿弥陀嶽、弥勒嶽、宝生嶽、阿閦嶽、虚空蔵嶽、不空嶽、妓楽嶽と号し、巌頭に坐して修行する事五七日なり。」
*空鉢嶺/釈迦嶽/阿弥陀嶽/弥勒嶽/宝生嶽/阿閦嶽/虚空蔵嶽/不空嶽/妓楽嶽
◇大山(△324.0m)あたり?
(都491図)「井堤山」
(拾864)「井堤山 上井堤のひがしの山をいふ」
◇不明
(都496図)「光明山」
*光明山寺跡の付近?もしくは寺の事を指している?
◇桜峠
(都499)「此所伊州上野の往還路なり、神童寺越といふ」
(拾873)「神童寺越 狛里の艮にあり。四面山にて中に北吉野神童寺あり、即ち神童寺を所の名とす。こゝに往還道あり、笠置を経て伊賀上野に出る」
*神童寺越
◇不明
(都499)「子守勝手の両社、金精明神の社は、本堂の東二町にあり。此後山を袖振山といふ。」
*神童寺の東、桜峠付近の山か?
◇弁天山
(拾895図)「辨天山」
◇甘南備山
(都501)「神南備山 薪村の西にあり、峰に水晶石あり」
◇鞍岡山(P67)
(都505)「蔵岡山 若王子の西にあり」
◇鹿背山(鹿背山城跡)
(都510)「鹿背山は木津の東にあり。山上に城跡あり、これを木津の城といふ」
◇灯明寺山?
(拾909)「岡田山 加茂のひがしの山をいふか、いにしへ此山より、銅出たり」
*岡田山
◇飯岡山
(拾883)「飯岡 草内の卯辰の方にあり。此岡いにしへは笠置山ひがしの麓にあり、後世此所に漂流す、由縁末に見へたり」
(都510)「馬咋山 仙覚万葉抄には、泉川にならびたる山といへり、今さだかならず」?
*飯岡/馬咋山
https://kyotofukoh.jp/report562.html
◇不明
(都513)「柞の杜 瓶原の郷中西村にあり、西の山を柞山といふ」
◇大野山?
(都518)「布当山 瓶原の西なり、かせ山に隣る」
*布当山
https://kyotofukoh.jp/report676.html
◇不明
(都518)「一隔山 泉川のほとりとなり」
*泉川=木津川
◇笠置山
(都519図)「鹿路山」
(都519)「栗栖天神宮 笠置山の麓人家の西にあり。」
*鹿路山/笠置山
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【北部】
◇神宮寺山(片岡山)
(都520)「日陰山二葉山は、上鴨神殿の東にありて御生山の別名なり。」
*日陰山二葉山/御生山
◇紫雲ヶ岳
(都524図)「紫雲嶽?」
◇八塩山
(都525)「八塩岡はむかしおほくの楓茂りて、秋のすゑ紅葉する事蜀錦を翻すにことならず、今は北の尾崎に少し残る。」
◇江文峠
(拾480)「静原峠 江文の社の西にあり。此坂を越て長谷岩倉に至る、それより鞍馬に至る」
*静原峠
◇狐子坂
(拾484)「木列坂 桜井の西北の坂なり、洛陽より鮮に見ゆる、今世の人狐坂といふはあやまりなり。古老のいはく、むかし此山樹木繁れり、往来の人歩しがたきによつて実は木摺坂といふよし。しかれども石蔵大雲寺の境界記録古文証文には、木列坂を限るとあり」
*木列坂/木摺坂/狐坂
◇出亀山、入亀山
(拾489)「木列坂を越て石蔵に到る、東西に二つの岡あり。いづれも南北へ長し、其形亀に似たり、南に向ひ北に向ふの体なり、故に出入の亀と称す」
◇薬王坂
(拾500)「薬王坂 しづはらより大原にこゆる坂なり。土人やつこ坂、あるひはやこう坂と云。」
◇旧花脊峠
(拾515)「花瀬峠 鞍馬の北にあり。」
*花瀬峠
◇車坂
(拾516)「車坂 上加茂より乾の方十四五町にあり。」
◇満樹峠
(拾517)「満樹峠 車坂の北半里登る事半里、坂路嶮岨なり」
◇貴船山
(都531)「暗部山は貴船山をいふなり。日神岩戸にこもりましますとき、世界悉くくらやみとなるを闇山といふ。」
*貴船山/暗部山
◇大悲山
(都532)「大悲山はくらまの遥奥なり。花瀬峠をこえ、別所村に至りて観音堂あり。」
◇岩屋山
(都534図)「岩屋山」
◇不明
(拾523)「金剛山」「志明山」「嵢塔山?」
*岩屋山志明院の背後の山々
◇桟敷ヶ岳
(拾525)「桟敷嶽 岩屋の北三十町余にあり、麓は東河内村なり」
◇氷室坂
(拾530)此所にいたる南に氷室坂あり、四面みな山にして境方嶮岨なり
◇無名峰?
(拾538)「季子山」
*道風神社の裏山
◇薬師山
(都538)「薬師山は草堂をむすびて瑠璃光如来を安置す」
*山名というより寺の山号?
◇船岡山
(都551)「舟岡山は紫野の西にあり、舟の形に似たれば名とせり。」
◇衣笠山
(都570)「衣笠山は等持院のうしろなる山なり。」「絹掛山といふは」
◇双ヶ岡
(都575)「双岡は妙心寺の西にあり、一二三岡相並たり。」
◇大内山
(都579図)「大内山」
(拾533)「大内山 仁和寺のうしろの山をいふ」
◇白砂山?
(都583)「五台山には般若寺あり」
*五台山は山号でもある。
◇五智山(音戸山)
(都584)「五智山には五智の如来たゝせ給ふ。」
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