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疎水工事関係者では「猫山」と呼ばれていたことは確かです。当時集落の人も「猫山」と読んでいたのかはわかりませんが、工事関係者も山地に入るのには地元の人の協力があるでしょうしその際に地名もふつう聞くでしょう。
また今「逢坂山」とよばれる山は明治には「相場山」と呼ばれていたこともわかりました(小関山や相庭山などとも)。この点は柴田昭彦氏の著の「旗振り山」(ナカニシヤ出版2006)を確認ください。個人的には「逢坂山」と呼ぶべきでなく「小関山」と称すべきだと思います。「逢坂山トンネル」は旧トンネルに対しての名称であって山名に対するものでないのです。元地図に含まれていないので「丸山」は欠けています。現在は稲葉台として開発され北半分はないようです。ワ点「小金塚」も開発されて宅地になってます。時の流れを感じます。大津藤尾テレビ中継局のあるP212が「丸山」の地点だったのでしょう。いつか3点を結んで歩きたいと思います。
添付の地図とトレースの重ね合わせは地理院地図の引用に準じて400x300以下に縮小しているので判別しにくいかと思いますが、日文や今昔マップと対照すれば「猫山」の位置は十分確認できるかと思います。U'点の「園城寺越」の地名が興味深いです。方向によって名称は変わるのでしょうね。
『琵琶湖疏水工事図譜』に関して
国会図書館デジタルアーカイブ:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/846121
高解像度のものが土木学会・土木図書館・デジタルアーカイブでも入手できます。
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