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2024年も月間300キロ平均で年間走行距離3600キロを目標としていたが、10月から11月にかけて下垂足になり、ひと月近くまともに走れない状態だったので、さすがに今年は無理だなと諦めかけていたのだけど、今年も残すところ4日という28日の時点で、目標まで90キロというところまでリカバーできてることに力を得て、4日間で30キロ3本ならできないこともないかも、と思ってしまったのが運の尽き。なんと達成してしまった😎 あと、青のクリフトン9の累積走行距離が1039キロに達したので年内で第一線から退き、雨の日用に転用することに。おつかれさん。
#朝ラン #早朝ラン #ランニング
オーディブルは千葉聡『進化のからくり』を最初から最後まで聞く。
「何かを知りたいーー私たちが知的好奇心をもつことは、進化の結果である。だが、適応進化のプロセスを考えると、これはちょっと奇妙なことだ。なぜなら、そうした好奇心を働かせて得られるものは、たいてい新奇ではあるが何の役にも立たない雑多な情報で、時間の無駄、コストもリスクも増すので、効率よく食物を得て、首尾よく生き残り子孫を残す上で不利になるはずだからである」
「有力な仮説のひとつは、好奇心が強いことによる目先の利益を、それによって得られる長期的あるいは大局的な利益が上回るから、というものだ。好奇心を働かせて吸収した情報や知識は、その時点では役に立たなくても、後になって環境が変われば、危機を回避したり、食物を確保したりするのに役立ち、子孫を残す上で有利になっただろう。また、無駄か否かに関わりなく、膨大な情報を集めた結果、それまで気づかなかった有益な情報に出会えたかもしれない。役立つ情報だけを選んで集めるより、そのほうが結果的にもっと大きな利益を得ることもあるだろう。(中略)
実は機械学習のプログラムにおいても、好奇心に相当する性質を組み込むことによって、予測や判別の精度が向上することがある。課題を解くのに直接役立つ情報だけを選んで学習させたプログラムが、何度も同じ袋小路に陥って、良い結果を導くことができない場合、課題を解くのに無駄か否かに関わりなく、新奇性の高い情報を学習するように促すことにより、袋小路を脱して最善の結果を導くことがあるのだ。
しかし、いつか得られるかもしれない利益があるとはいえ、当面無駄でコストばかりかかる行為を続けるには、何かそのモチベーションとなる仕掛けも合わせて進化する必要がある。この仕掛けが、行為に対する「報酬」である。好奇心の場合、それを高めたり満たしたりすることで得られる「楽しさ」が、報酬なのだろう」
「もしある集団に属する個体と、別の集団に属する個体の間で交尾ができない、または交尾できても正常な受精ができない場合、これらふたつの集団の間では交配が起きないので、遺伝子の交流を生じない。この状態を、生殖的に隔離されている、と言う。そしてこのように互いに生殖的に隔離された集団を、私たちは一般に別の種とみなす」
「彼ら(ガラパゴス諸島でダーウィンフィンチを研究したグラント夫妻)の研究は、私に幾つものアイデアの素材となる知識を与えた。特に重要だったのは、ある性質の有利・不利は、環境が変われば逆転しうる、という点だった。これは、変化する環境の下で進化が起こりやすい集団とは、現時点で生存にあまり役立っていない性質や、不利な性質をもつ個体を多く含む、遺伝的な多様性の高い集団であることを意味していた。集団の中で今はまだ少数派の、役に立たない、あるいは不利な性質の中に、未来を制するものが含まれているのだ」
「ダーウィンは様々な進化の仕組みを考えたが、特に重視したのが自然選択である。同じ集団でも、個体によって形や大きさ、色、その他様々な性質に違いがあるのが普通で、その多くは遺伝する性質であり、ランダムに作られる。こうした性質の変異の中で、生存率や出生率がより高いものが、次世代に他の変異より数や比率を増やす。そして世代を重ねることによって、ひとつの集団を構成する個体の性質が徐々に変化し、適応が進む。こてが自然選択による進化である。
変化する環境への適応は自然選択の結果として生じるおのであり、生物が能動的に、環境への適応を目指すわけではない。自然選択による適応進化は、例えるなら「目先の利益が最大化」するようなふるまいの結果なのである」
「大胆に単純化した比喩を使うなら、進化は、遺伝子に刻まれた情報のバトンを交換しながらリレーで繋ぐ、ランナーたちのサバイバルレースである。バトンを継ぐ度、ランナーもバトンも、バトンに記された情報を元に複製される。だが情報は必ずしも正確にコピーされない。それゆえに情報も、それを受け継ぐランナーも、代々変化してゆくのである」
「生物の進化とは、世代を超えて受け継がれる性質や情報に起きる変化のこと、そして変化の歴史のことである。生物個体に代々受け継がれる情報の単位ーーこれが進化生物学における遺伝子の意味だ。進化には様々なプロセスが関わるが、そのうち特に重要なものが、突然変異、自然選択(自然淘汰)、そして遺伝的浮動である。
突然変異は、遺伝子の本体ーーDNAの塩基配列や、DNAのを収納する染色体に起きるランダムな変化である。DNAを文章に、塩基を文字に例えるなら、文章をコピーしようとした時に起きるうっかりミスが突然変異だ。文字の写し違い、行の削除、同じ行の重複などのエラーである。
重要な機能を司るDNAの領域にエラーが起きると、生物は正常に育たない。だからそのエラーは子孫に伝わらない。だが重要でない領域の場合や、エラーの悪影響が小さい場合には、変化したDNAのをもつ個体は育って繁殖し、それを子孫に残す。その結果、子孫の集団に、他と異なるDNAーー遺伝子をもつ個体ができる。またそれが発現したものとして、他と性質が異なる個体ができる。このようにして集団にもたらされる遺伝子または性質の変異が、遺伝的変異だ。
突然変異は生きるのに不利な性質だけでなく、偶然新しい有利な性質も作り出す。いわばイノベーションの素材作りである。複製ミスばかりの遺伝子に真っ当な役目は果たせない一方で、決して複製の仕事にミスをせず、常に百点満点の遺伝子に、何か新しいものを創造することはできないのだ。
突然変異によって集団にもたらされた遺伝的変異のうち、生き残ることや子供を作るのに有利な変異は、次世代に、より多く自らのコピーを残すことができる。そのため、世代の経過とともに、こうした増殖や生存に有利な変異が集団中に広まる。この過程が何世代も繰り返されることによって、よりいっそう有利な変異が広まり、個体の性質もさらに有利なものへと変化する。これが自然選択だ。このプロセスの積み重ねにより環境への適応が進む。
ただし、どの変異が有利になるかは環境によって変わる。たとえば魚のグッピーでは、雄の派手なオレンジ色の体色は雌に好まれる。だから地味な色の雄は子孫を残すうえで不利である。ところが天敵の魚が現れると、オレンジ色の体色は目立って狙われやすいので、逆に地味な雄が有利になる。刻々と変化していく環境の中では、どれが有利になってどれが不利になるかは、事前には誰にもわからない。どの変異が役に立つかは、後にならなければわからないのである。
この変化する環境下での自然選択による適応の過程は、イノベーションの素材=「知」を選び出し、組み合わせて洗練させ、役立つ新技術や売れる新商品に変えていく過程と似ている。だから、どんなに開発にお金をかけても、多様な「知」がなければ、新しい技術は生まれないのと同じで、どんなに強い選択がかかっても、多様な遺伝的変異がなければ、環境への新たな敵億は生じない。それどころか強すぎる選択は、変異をどんどんそぎ落とすので、多様性が失われ、進化は止まる。
ただし集団中の変異は、たまたま子孫を残さなかったり、たまたま子孫が多く生まれたりすることでも、その存在比率が変化する。この場合、必ずしも有利なものが増えるとは限らない。偶然のおかげで、不利なものが生き延びることもあるし、運が良ければ増えることさえある。この偶然による変化が遺伝的浮動である。
進化のプロセスは他にもある。例えば感染などにより、繁殖を経ずに個体間や他の生物間で遺伝子の移動が起こり、遺伝情報の中に組み込まれ、新しい性質の進化に寄与することがある。もう一つ、最近話題なのが、〝獲得形質の遺伝〟だ。DNAの塩基配列以外で遺伝子発現を制御・伝達するシステム(エピジェネティクス)が環境によって変化し、新しい性質が獲得されると、それが次世代にも受け継がれることがある。また親世代が獲得した性質が、RNAを介して子世代に伝わることもある。だがそれが進化にどれだけ広く貢献しているかは、まだよくわかっていない」
「では自然選択がかかる状況で、右巻きと左巻きの個体がともに存在できるのはどんな場合だろうか」
「そしてもうひとつ。右巻き左巻きのどちらか個体数がより少ない方が生存に有利になる場合である。たとえばより個体数の多いタイプが、捕食者に姿形を覚えられて狙われ、不利になるような場合だ。もし右巻き個体が多くて攻撃される機会が多ければ右巻き個体が減る。一方、あまり狙われない左巻き個体は増える。すると今度は左巻き個体の方が多くなるので、左巻き個体が狙われて減る。シーソーや株価と同じで、増えすぎると減り、減りすぎると増えるため、常に両方のタイプが共存することになる。
自然選択がかかっているにもかかわらず、異なるタイプがともに存在できる状態ーーつまり多様性が生まれるのは、環境が常に変化して性質の有利不利が変わり、その結果、不利であることが有利にもなる場合、あるいは常に少数派が有利になる場合なのである。
恐らくカワニナに右巻きの個体しか存在しないのは、左巻きの個体が育つうえで何らかの点で不利で、それを上回るメリットを与えるほどの捕食者がいないうえに、偶然左巻きの個体が増えるほどには、集団の個体数が減ることがないからなのだろう」
「進化学とそれ以外では、生物のなぜ? という問いが持つ異なる側面を追究している(中略)例えばタテハチョウ科の蝶は、翅に目玉のような模様を持つものがある。(中略)なぜこれらの蝶の翅には、こんな目玉模様があるのだろうか。
この問いに対して、「Distal-less(Dll)遺伝子などを中心とした遺伝子群が働くため」、とその形成メカニズムを説くのが遺伝学や発生学である。ところがもしここで、「もともと翅の形を決めたり脚を作ったりする仕事に関わっていたDllなどの遺伝子群が、目玉模様を作る用途に転用されたから」、とそのメカニズムが獲得された経緯について答えると新科学(進化生物学)になる。一方、「目玉模様には、鳥などの捕食を回避する機能があるから」、と答えると生態学。そして「鳥などの捕食を回避する機能のメリットによる適応の結果」、と説明するなら新科学にある。
このように、生命現象を作りだす直接のメカニズム(至近要因)の解明を目指す生物学諸分野が、問いの射程を延ばし、その現象が存在するに至った理由(究極要因)や経緯に答えようとすると進化学になるのである。
扱う問いにこうした違いがあるとはいえ、進化学者と他の生物学者の間に明確な境界があるわけではない。進化学者は進化を知るためにまず至近要因の解明に取り組む一方、例えば遺伝学者は、どの遺伝子がどんな機能を果たしているか目星をつけるために、先にどの遺伝子領域にどんな自然選択がかかっているかを、塩基配列の変異から推定したりするからだ。至近要因を知るためのツールとして、究極要因ーー進化を利用する場合もあるのである」
「遺伝情報から過去のカワニナ類の集団サイズを推定してみると、琵琶湖では40万年前、急に集団が拡大したことがわかった。湖の拡大とともに分布を広げ、一気に種分化と形の劇的な多様化を遂げたのである。これらの種は、互いに形が違うだけでなく、棲み場所ーー棲息深度や底質ーーが少しずつ異なる。湖の拡大とともに多様な棲み場所ーーニッチが現れ、それぞれに適応することで、種分化が進んだのだろう。
例えば湖の拡大によって水深が増し、新たにできた深場では、水温や餌、天敵などが、浅瀬とは大きく異なる。そのため深場の環境に進出し適応した集団には、浅瀬の集団とは異なる生理的、生態的、形態的な性質が進化する」
「種分化のスピードは環境条件と生物の性質に応じて変化する。中にはダーウィンフィンチのように年単位で観察される極端に速いものもあるが、多くの動物では、それは一般に百万年以上の時間をかけて進むゆっくりしたプロセスだ。このタイムスケールを考慮すると、40万年の間に2種から15種を生み出した琵琶湖のカワニナ類の種分化は、かなり速い部類に入る」
「新しい世界で、初めはどの集団も異なるニッチを幅広く利用し、自由に交流していたはずである。だが特定のニッチだけを利用するように集団の専門化が進むにつれ、それらの間の交流を阻害する障壁ができてくる。その結果、異なるニッチに適応した多数の種が進化するーー適応放散と呼ばれる多様化が起きるのであろう」
「体色に関する雌グッピーの好みには、他にも様々な要素があり、単純なもんどえはない。このように生物の性質を決める遺伝的な仕組みは、一般に非常に複雑だ。多数の遺伝子が相互に影響し合って、形質が制御されている。これを遺伝子制御ネットワークと呼ぶが、その構造は、ひどく無駄が多い。例えば、同じ機能を果たす遺伝子が沢山ある一方、何の機能も果たさない領域も多い。無駄に多くの経路で遺伝子発現が調節されている。まるでツギハギだらけの計算機プログラム、複雑怪奇な巨大ソースコードである。いったいなぜこんな無駄だらけの複雑な制御の構造が進化したのだろうか。
この問いに答えるために、河田博士と津田真樹博士のチームが試みたのは、動物のゲノム構造の懐石と計算機シミュレーションである。その結果、ランダムに変動する環境では、重複した遺伝子の多い、複雑な遺伝子ネットワークの方が実際に進化することが示された。複雑で無駄の多いネットワークは、頑健で適応進化が起こりやすく、変動環境では単純なネットワークより有利なのである。
同じ役割を果たす遺伝子が複数あれば、そのうち一つの機能が損なわれても、他で代用できる。いわば故障部品のスペアである。しかも余剰な遺伝子を変化させることで、正常に発育するために不可欠な既存の機能を損なわずに、新しい機能を獲得できる。また複雑で大きな遺伝子ネットワークでは、小さくて無害な突然変異が、多くの遺伝子で生じうるので、その総和として、表現型に大きな進化的変化が容易に起こるのである。
実際に昆虫や哺乳類のゲノムデータから、変化に富む生息環境に適応した系統では、同じ遺伝子が重複してできた重複遺伝子の数が多いことが確かめられた。変化がない、あるいは一定の方向にしか変わらない世界では、余剰のない小さなシステムが有利になる。しかし、どう変化するかわからない世界では、余剰の多いシステムが有利になる、そして余剰は創造性の源なのである」
なんでもコスパ、タイパばかり追求する効率厨は、いまある環境に最短時間で最適化できるかもしれないが、先が読めないVUCAワールドでは、環境が変わった瞬間、時代から取り残され、かえって取り返しがつかないことになる。AIが多くの仕事をこなし始めた時代に求められているのは、さらなる効率化ではなく、いかに一見無駄なことに取り組むか、なのだ。寄り道も遠回りもおおいにけっこう。それが次なるイノベーションや生存スキルの獲得につながり、タイミングがあえば、無双することも夢ではない。
「だがかつて日本では、進化は高校では学ばなかった。それどころか1980年代は、進化ーー突然変異、自然選択、遺伝的浮動を中心原理とする総合説を扱う講義は、大学ですら稀だった。当時、私の知る生物学の教授は、進化なんてホラ話、まともな研究者は相手にしない、と断言していた。なぜ日本の進化学は、こんな扱いを受けるほど崩壊していたのか。原因は主に三つ。科学への政治介入、海外動向への無関心、そして権威主義だ。
進化学は戦前から様々な形で政治思想の影響を強く受けてきた。戦後まもなく、獲得形質の遺伝を主張し、メンデルの遺伝法則と自然選択を否定する、旧ソ連のルイセンコ説が日本に上陸し、大流行した。この学説は実用主義を標榜する一方、科学的な証拠に基づかない疑似科学であった。だが旧ソ連では共産党のイデオロギーと結びつき、政治活動として広まった。そして共産党は対立する科学者らを次々と弾圧、粛清した。
日本では遺伝学、進化学、そして古生物学でルイセンコ説が席巻、政治活動となり激しい論争を招いた。しかし1960年代には、分子生物学の劇的な発展により、遺伝学の領域からほぼ姿を消した。一方、進化学、特に古生物学では80年代初めまで勢力を維持していた。彼らは総合説に加えて、プレートテクトニクスも親米的だとして否定し、対立する研究者を政治的に排除した。こうした政治、権力、思想との親和性ゆえ、生物学者の多くは進化学を非科学的として遠ざけた。そのため当時欧米で急速に発展した、厳密な実証主義に基づく新しい進化学から、取り残されてしまったのである。
ある分野で偉大な業績を挙げた研究者が、他分野で大胆な説を述べ、それをメディアや一般人が持て囃す結果、その分野に混乱が起きるーーよく見かける図式だが、これが60年代以降、生態学で起きた。今西進化論である。「種社会」なるものを単位として棲み分けによる進化ーーそう主張するこの日本独自の進化論が、欧米の総合説にとって代わるとして、メディアや文化人の人気を集め、一斉を風靡した。だがその論は、当時の進化学の世界標準からみて、到底評価に耐えるものではなかった。一方、当時世界の進化学で、本物の旋風を巻き起こしていたのは、遺伝学者・木村資生博士の中立説だった。だが当時の日本では、その意義は正当に理解されていなかった。
加えて80年代の日本では、ポストモダン思想と生物学の合体から生まれた特異な進化説が、総合説を否定する論陣を張った。さらにパレオバイオロジーと称する古生物学の一派も論戦に参入した。70年代、米国で「古生物学の革命」を叫び結成された流派である。彼らは、古生物学が扱う化石記録が示す進化は、生態学や遺伝学に基づく進化理論だけでは説明できない、と主張し、適応以外のプロセスや全体論的な考え方を重視して、総合説批判を展開した。
一方、総合説に立つ正統派の進化生態学も、社会生物学の影響を経て、態勢を整えつつあった。伊藤嘉昭博士のもとに若手の精鋭が集まり、海外の一線の研究者と交流を進めるなど、世界標準を目指した研究が始まっていた。
かくして80年代の日本の進化学は、風雲急を告げる黎明期に、正統派、反正統派が入り乱れ、魑魅魍魎が跋扈する、無法地帯の様相を呈していたのである。
混迷する世紀末の進化学ワールドに、彗星のように現れた正統派進化学者がいた。若き日の河田雅圭博士である。進化生態学の救世主となった河田博士は、最新の生態学の鎧を纏い、切れ味鋭いロジックの剣で、次々に襲いかかる勇者や魔物たちを、容赦なく斬り伏せていった。
河田博士を中心に編集発行された雑誌『Networks in Evolutionary Biology』は、80年代の進化を巡る論客たちの熱いバトルの場であった。学生だった私はこの雑誌を貪り読み、誌上で繰り広げられる修羅の世界のような論争に熱中した。ただしその時の私は、地質学を専門とする古生物学専攻の学生で、かのパレオバイオロジー派の支持者であった。
当時、小笠原の陸貝を研究していた私は、化石だけでなく原生種も使い、生態学・集団遺伝学的な研究も手掛けていた。生物分野の研究者との交流や、グラント夫妻のダーウィンフィンチの研究に影響を受けたためである。だがそれゆえに、化石記録で観察される現象に、生態学や遺伝学の理論をあてはめることしかできないなら、進化研究に古生物学の存在意義はないのではないか、とも考えていた。
そんな訳で、断続平衡説など古生物学独自の進化理論の大半を、誤り、不適切、と一刀両断する河田博士に、いつか一太刀浴びせねばならぬ、と滾る思いを募らせていた」
1980年代後半のバブルと90年代初頭のソ連崩壊を若いときに経験した自分は、 80年代までのマルクス主義とソ連の大きな影響の残滓をところどころに感じることはあっても、肌感覚としては、よく知らない。が、科学的根拠や客観的データよりもイデオロギーを重視する人たちを、まともに相手することなくすくすくと育ったことは、よかったのではないかと思う。いま聞くといかにもバカげているように聞こえるし、アカデミズムの世界でも世代交代を経てようやくその悪影響を排除できたと思っていたが、経済学部ではほぼ一掃されたはずのマルキシストが、実は法学部系に大量に残っていたことが明るみになって、めまいがしたのは記憶に新しい。左派の影響力が大きく後退したいま、科学界に暗黒時代をもたらすのは、いまだに進化論を否定している米国保守はなのかもしれない。
「ヒトの神経伝達物質の運搬に係るSLC18A1遺伝子は、136番目のアミノ酸が異なる二つの型があり、一方は神経質な性格を与え、もう一方は逆に不安を感じにくい性格を与える。河田博士らの研究によると、前者は人類の初期進化の過程で広まり、後者は現生人類がアフリカ大陸を出て、ユーラシアに拡散した後に広がった。ただし現在のヒト集団では、どちらのタイプも積極的に維持されるような、多様性を高める自然選択が働いているという。私達の一人一人違う多様な性格には、進化的な意義があるのかもしれないのである。
ゲノム研究は飛躍的に進み、今や人間の体の特徴や病気に加え、心や精神に関わる性質にも、どの遺伝子が関係しているか、わかるようになってきた。結婚や配偶者の好みに影響する遺伝子も検出されている。憂慮すべきは、背後の複雑な関係や、生育環境の影響を含め未知の要素を無視して、社会がそれらの安易な利用に走ることである。好むと好まざるとにかかわらず、すでに私たちの目前に、新しい優生学の脅威が迫りつつあるのだ。ゲノム情報で序列化され、マシンのように効率化された人生ーー道を誤れば、恋愛など不要とされるディストピアがやってくるかもしれない。
進化学にはそれを回避する力がある。様々な生物から得られた進化の知識は、生きる上での有利不利が条件次第で変わること、そもそも違う生物、違う個体に本質的な優劣などないことを教えてくれるからである。それに何より進化学は、ヒトを人たらしてめているものは何かーーこの問いに答えを導くツールでもあるからだ。だがこのツールは使い道を誤れば、逆に厄災を招く凶器にもなりうる。それゆえに進化研究は、いかなる権力、資本、イデオロギーの支配も受けてはならない。また進化に関心を持つ幅広い人々ーー進化学ファンたちによる監視と批判と関わりが必要なのである」
右下がりの「移住率」曲線と、右上がりの「絶滅率」曲線の交点で離島で生息する種数が決まる。大陸から遠く離れれば移住率の曲線は下方にシフト。絶滅率との交点が左下にシフトして、種数は減る。だが実際には、ガラパゴス諸島のように、移住率が下がっても多様な生物種が保たれる。「なぜならこの場合、移住の代わりに種分化が種を増やすからだ。一方、大陸からの移住者がたくさんいる島では、この種分化の効果は妨げられている」
「ダーウィンの島では、ひとつの祖先種から、姿形や生き方を異にするたくさんの種が分かれて進化します。この現象を適応放散と呼びます」「ダーウィンの島は、生物の多様さがどう進化するのかを知るための、素晴らしい自然の実験室です」
「ハワイ諸島は東西に八つの島々が直線的に並び、西の島ほど形成年代が古い。これはハワイの島々が乗っている海洋プレートが、年7センチほどのスピードで西に移動しているためだ。火山を作るマグマの吹き出し口の位置は変わらないので、新しい島は常に東端で形成される。できた島が、ベルトコンベアーで運ばれるように、次々と西に移動していくわけだ。
「島々を東へ行くと、進化のより早い段階の姿を見ることができます」
「島ごとにクモの種数を調べてみると、種数は意外にも、少し新しい島が最多で、古い島ではむしろ減っていました」
種の多様性は時代とともに増すのではなく、いったんピークに達したあと、一定のレベルまで減るというわけだ。これは移入と種分化で増えた種数が、絶滅により平衡に至ることーーつまり種数が「移住率+種分化率」と絶滅率のバランスで決まっていることを示していた。
次にギレスピー博士は、ハワイのクモの系統樹を示して、その不思議な進化のパターンについて説明した。
「同じ進化の歴史が、別の島で別の時代に何度も繰り返されたのです」
テストラグナッサの16種は、緑や褐色など色や形に加え、棲み場所や餌が異なる4つのタイプに分けられる。色や形の違いは、棲み場所と捕食者への適応の結果だ。ひとつの島にはたいていこの4つのタイプの種が共存する。同じタイプに属する種は姿も暮らし方もそっくりだ。ところがそれらは別系統の種なのである。他人の空似だ。これら4つのタイプが、違う島、違う時代に独立に繰り返し進化し、そっくりな種の組み合わせーー「群集」が、繰り返し作り出されたのだ。
同じ環境の下では、同じ系統の種は、同じ性質と同じ群集を進化させるーー条件が同じなら、進化は適切になされた実験のように、同じ結果を再現するのである。ただし、そんな理想的な条件は自然界ではめったいにない。ギレスピー博士は説明の最後に、こう付け加えた。
「島で起きるこうした繰り返す適応放散の例は、世界で三つしか知られていません。ハワイのクモ類と、西インド諸島のアノールトカゲ。そしてもう一つ。小笠原諸島のカタマイマイ類です。これらの例は、私たちが進化のことを知るために特に重要で、世界的に高い価値のあるものです」
「そんなある日、ミウラ君が、謎が解けた、とひどく興奮して私のところにやってきた。
その数日前のこと、いつものようにマークとサーフィンを楽しんだ後、ビーチで互いの研究の話をしたらしい。ミウラ君の話を聞いたマークは、ホソウミニナが外来種としてアジアからアメリカに侵入し、増殖してカリフォルニアで干潟を占拠して、大きな問題になっている、と話したという。だがその時もうひとつ、マークは面白い情報をミウラ君に伝えたという。それは、アメリカの巻貝のなかには、寄生虫に感染すると、成長の仕方が変わり、大きさが変化するものがあるという話だった。
もしや、と閃いたミウラ君は、新たに採集したホソウミニナから軟体部を取り出すと、それを解剖し改めて詳細に調べてみた。すると、大型で殻の表面が滑らかなタイプ、すなわち干潟の海側に棲むタイプは、驚くべきことにすべて寄生虫の仲間ーー二生吸虫の一種に感染していたというのだ。「二生吸虫はホソウミニナの生殖腺に感染し、その繁殖機能を破壊していました。だから海側に棲むタイプには、交尾個体と幼貝が見つからなかったんです」ーー彼は自らの発見を熱く語った。そして呆然とする私を尻目に、夏の日差しが降り注ぐ干潟に勢いよく出かけて行った。
ミウラ君はこれを機に、ホソウミニナに感染する二生吸虫の研究を始めた。彼はだま二生吸虫に完成していない数千匹のホソウミニナの殻に印をつけ、干潟に放した。その後1年間に亘り、毎月それを回収して、二生吸虫に感染しているかどうか、またその棲み場所と形はどうなっているかを調べた。その結果、二生吸虫に感染していないホソウミニナは、放した場所にかかわらず全て干潟の陸側に集まったのに対し、二生吸虫に感染したホソウミニナは、全て海側に移動した。また二生吸虫に感染していないホソウミニナは、成熟して一定の大きさになったところで成長が止まるのに対し、感染したホソウミニナは、いつになっても成長が止まらず、表面がのっぺりとした殻を伸長させ、巨大化することがわかった。
ホソウミニナの二つのタイプは、種分化しつつある集団でも、遺伝的に異なる集団でもなかった。それらは、寄生虫の感染のウムを示すものだったのである」
「二生吸虫はその多くがとても変わった生活史をもつ。卵から孵化して成長し、成熟して交尾・産卵に至るまでに、感染する宿主の生物を乗り換えるのである。
卵から孵化した幼生(ミラシジウム幼生)が、最初に感染する宿主)第一中間宿主)が、貝類である。この幼生は無性生殖をする。自身のクローンを大量に作るのである。その結果、貝類の体内で数千・数万匹の幼生(スポロシスト幼生またはレジア幼生)ができる。そして次にこれらの幼生が、セルカリアと呼ばれる幼生をつくる。
セルカリアは貝類の外に出て、次の宿主ーー第二中間宿主を探し出す。第二中間宿主は魚類、カニ、エビや別の貝類などである。セルカリアはたどり着いた新たな宿主の体内で、メタセルカリアと呼ばれる嚢胞をつくる。魚類など第二中間宿主が、鳥類、哺乳類などの終宿主に嚢胞ごと捕食されると、その体内で嚢胞から二生吸虫の成体が出てきて、終宿主に感染する。成体は終宿主の体内で他の成体と交尾して卵を生み、卵は終宿主から体外に排泄される。
二生吸虫にとって、子孫を残す上で一番の山場は、宿主を移動する局面だ。ホソウミニナに感染する二生吸虫の場合、多くは貝から魚、魚から鳥に乗り移るという、非常に難易度の高いミッションを果たさねばならない。そのために二生吸虫は、感染している中間宿主の行動を操作して、少しでも次の宿主に乗り移りやすい状況を作り出す。これが、なぜ二生吸虫に感染したホソウミニナは水中を好み、干潟の海側に移動するのか、という疑問への答えだ。二生吸虫は感染した宿主のホソウミニナの行動を操り、水中へ連れて行くことによって、ホソウミニナから放出されたセルカリアが、次の宿主である魚に到達しやすくしているのである。
ちなみに魚に感染した二生吸虫は、魚の脳に嚢胞をつくる。このため魚は二生吸虫に操られ、終宿主である鳥に食べられやすい行動をとるようになる。例えば普通、魚は水面上に鳥の姿を見つけると急いで潜水するが、二生吸虫に感染した魚は、鳥の姿を見ると水面近くを蛇行し、鳥に見つかりやすい振る舞いをするようになる。
ではなぜ二生吸虫に感染したホソウミニナは巨大化するのだろうか。普通、二生吸虫に感染した貝類は、栄養を吸虫に搾取されるため、成長が遅くなり小型化する。だがホソウミニナの場合は逆だ。その理由は、二生吸虫がホソウミニナの生殖機能を破壊してしまうからだと考えられる。ホソウミニナは性的に成熟すると成長が止まり、それまで成長のために消費していたエネルギーを生殖のために消費するようになる。だから生殖機能を壊され、繁殖の必要がなくなると、エネルギーが余るのである。この余剰のエネルギーが成長に回され、殻の成長が止まらなくなり巨大化すると考えられる」
「だがホソウミニナの一個体に感染している二生吸虫は一般に一種だけで、異なる種が同一個体に感染していることは稀だった。これは異なる種の二生吸虫が、一匹の宿主、つまり一台の乗り物を巡って奪い合いをしていることを意味している。後のミウラ君の研究によって、他の競争相手からホソウミニナを奪うために、二生吸虫が驚くべき戦略を進化させていることが明らかにされた。
二生吸虫はホソウミニナの体内で、クローンであるレジア幼生を大量に生み出すが、このレジア幼生には二タイプある。大型で動きの鈍いレジア幼生は、その後セルカリア幼生へと変わり、次の感染ステージに移行して繁殖に携わる。一方、小型で活動的なレジア幼生は、セルカリアにはならず、ホソウミニナのステージで消滅する。その代わり、この小型のレジア幼生は、ホソウミニナの体内に他種の二生吸虫を見つけると、それを攻撃し殺してしまうのである。自分では子孫を残さない代わりに、仲間を守るのである。この兵隊レジアも他のレジア幼生も、遺伝的には同一のクローンなので、戦闘に特化した兵隊レジアの働きによって、繁殖に携わるレジア幼生の生存率が上がれば、この二生吸虫が子孫をより多く残す上で有利になるのである。
リレーで例えるなら、情報のバトンを直接受け渡すランナーになる者と、それを補助する触媒、つまり伴走者になる者との役割分化が幼生の中で起きた、ということになるだろう。そのバトンは、ランナーと伴走者を含め彼らの全てを再現可能な設計図だ。つまり兵隊レジアは伴走者に徹することによって、自分が受け継ぐ生き方が次世代に届くことを、ランナーであるレジア幼生に託しているわけである。
このように繁殖に専念する個体と、それを補助する役目に専念する個体との分業はカースト制と呼ばれ、ハチ、アリ、シロアリ等のコロニーに典型的に見られる。女王、ワーカー、ソルジャーの分化がそれである。こうした生物と類似したカースト制が、寄生生活を送る二生吸虫でも進化しているのである」
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