もう30年も前に出版された本である。学問的な流行からすれば、色あせた感じがしないでもない。でも、山を歩くこと自体が多かれ少なかれノスタルジックな行為であるのなら、こうした本を取り上げて書いておくのも、又ありだろう。
古来、境界とは「こちら・あちら」を分ける時間的・空間的な場であり、どちらでもないからこそ人の力の及ばない神・仏の「聖なる場」であったという。そして、そこを行き来する僧や芸能民が持った杖に、民俗学は呪術性を見出してきた。その始原と変遷の考察が大変興味深い。(P115〜)
元々は山人(狩人)の持ち物であった「ワサヅエ(杖の先の鹿角に注連縄をかけて山の神を祀ったもの)」が時宗僧らの「鹿杖(カセヅエ)」となり、そして山伏の錫杖となったか、と。杖には邪気を払い獣を払う「聖なる力」があり、境界を行き来する人々には、杖を通行の自由の特権標識とした商人もいた。中世末期、戦国の世に近江商人の一群「保内商人」は特殊な形状の杖を用いたという。その杖は鹿杖ではないが、杖がまさしく「手形」として機能したとすれば、現在、われわれが鹿の角を「ヤブコギ手形」として、拾って有り難がる(?)のも一理あり、というべきか。
赤坂憲雄『境界の発生』講談社学術文庫
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