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● 自分のルーツが少し明らかになった
いきなりだけど、私は穴堰の事業によって恩恵を受けた地域の末裔だった。
正確に言うと、「穴堰+長堀堰改修」という上杉鷹山公の治世後半の、2つの灌漑用水事業の恩恵をもろに受けた地域の末裔だった。
このことは話しに聞いただけでは全くもってチンプンカンプンである。事態があまりにも壮大・複雑すぎて、到底イメージできない。山に登らないと決して分からない。
平地に居るだけでは、地形(特に分水嶺)が見えないのでまるで分からない。なので地元の人ももう大半が忘れている(…気がする)。
でも分水嶺に注目して大日杉から登り、且つ1800年頃の米沢藩の治政について調べると、ようやく分かってくる。
確かに穴堰を通った水が白川へ流れ、それが長堀堰を通じて実家の傍の田畑を潤している(いた)。自分の眼で確認した。
そうやって父や爺様や、さらに先の、仏壇の肖像画でしか知らないようなご先祖様らが暮らしていた。このことは間違いない。
これら自分の血筋と、上杉鷹山だの黒井半四郎忠寄といった教科書的な事柄が、密接にリンクしているのがなんか不思議な感じがする。この人たちは、マジで遠い未来のことを考えていたっぽい。置賜の人がどうやったら豊かになるかを考え、あれこれ予算を組んだり、事業を計画・実行したりしていた…。
さらに言うと、切合小屋手前のキレイなとこも、なんか【違う意味での故郷】のように思えてくる。
一年に一回は訪れて、「歳を重ねたけど、また来たよ! まだ元気だよ〜!」って挨拶したい。
詳しい動画:
● 山容の美しさについて
飯豊連峰の美しさは広大な山岳空間ってとこにあるのかもしれない。御西岳の草付平を移動中、自分が大日岳・本山部分・北股岳方面の三角形の中心に居る不思議な感じがした。それぞれの山塊が鮮明に見える距離感・高低差での、広大な空間感覚だった(日本アルプスに比べると全然狭いし低いんだろうけど)。
これは360度の空間美であり、一枚の写真に収めるのが難しい。動画でグル〜ッと回るとかしないと表現できないかも。
一方で朝日連峰は、飯豊の広大さには及ばない代わりに、単一の主稜線の構成美に優れるのかもしれない。
以東岳(1771m)、大朝日岳(1871m)の両端が最も高くてその中間が低いため、端から端を一直線に見渡せる。
こちらは一枚の写真に丁度よく収まる距離感で、いわゆるインスタ映えする構図となる。直線と”うねり”の塩梅、高低差・距離感、派生する尾根の均等さ、全てが出来すぎってなくらいの形をしている。
こんご飯豊と朝日に登るときは、このような「360度の山岳空間美(平面的)」と「単一の主稜線の構成美(直線的)」という違いを念頭に置いて、見つめたり写真に撮っていきたい。
図:
なんか、3つの大きな山から伸びる3つの稜線の真ん中にいる感じがしたな〜。広大な山岳空間だった…。
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