山に携帯,その他(ここの境界が難しい)強力装備を持って行くことに関して、以前から疑問に思うことがあった。
山に対してフェアでありたい、という文祥氏の文をどこかで読んだ時、登攀で戦うタイプではない僕としては、こういったスタイル重視の思想にこだわった山をやっていきたいと思った。
初めての単独行は2年目の夏の豊平川だったと思う。全くもって難しいところはない沢だが、その時は(うまく表現できないが)背中がゾクっと寒気がするふわふわとした不安の中に微かに気持ちよさがあった。その沢山行では最後の詰めで自分の地図読みに自信がなくてGPSを使ってしまった。その時の安心感とその裏にある圧倒的虚無感。今思えばそれが拗らせ登山者になる始まりだった。
究極を言えば全裸で何も持たずに、ということになるのかもしれないが、まあ僕はそこまでではない。ラジオもラテルネも地図も持って行きたい。楽しさが全くないとなるとちょっと違う。持っていないといけない難しい山にも行きたい。
でも、どんどん強くなっていけば、それらを持っていなくてもいける山のレベルが上がっていくとも思う。僕は究極的には高いレベルでそれを実現したい。装備に頼って難しい山に行くよりは、ある程度自力だと実感できる範囲でそれなりの山をやりたい。ニセカウ南稜に行った時、windyに頼りっきり、果てはGPSまで使ってしまった。これなら敗退した方がマシだったと本気で思った。今でも思っている。線引きは人によると思うし、まあその線引きについて、他人があれこれ言うべきことでもない。
では(自分の中での)妥協点としてwindyはダメで気象通報から天気図を書くのはok,ジェットボイルはダメでウィスパーライトはok、紙地図コンパスはokでGPSはダメ。何が違うのか。やっぱり面倒臭さ、すなわち繋がり。苦労した分だけ山の純度、自分と山(物理的ではなく)が直につながっていることを感じられる。記録の有り無し、有るけど調べないとか、装備持ってるけど使わないのとそもそも持っていかないことの違いとかもこういった話に入るのかもしれない。最近の山行でも不要だと思う装備は結構あるのでどんどん洗練していきたい。
年末年始の山に携帯を持っていくか問題にはまあこんなような背景があった。それまでにも何度も持っていかないことはあったが正直なところ入山直前まで持って行くか迷っていた。結果持っていかなくて大正解だった(無事だったから言えることではある)。下山直後の汽車で以下の考えをまとめてみた。
有る無しで発生する違いを思いついた順に考えた。
・天気よみ
今の実力では気象通報から作る天気図では翌日は読めても2日後はぼんやりとしか読めない。でももっと訓練を積めば少なくとも北海道においてはどんな長期山行でも十分対応できるようになると思う。→まぁ頑張ればいらない。
・下山手段の確保
下山して道路を歩く余韻が僕は好き。地元の人間との出会いが生まれる機会があるし、だんだん山から町に降りて行くという旅らしさを最後まで感じられる。あっけなく回収されるのは嫌。
・緊急連絡/下山練習
そもそも緊急連絡が必要ないように行動しているが、やっぱり必要になる場面はある。死に直面するような機会があったらかなり考え方は変わると思う。やっぱりここだけは答えが出ない。自分の命をどれだけ大切に思っているかって事?でもそんな大切なことをたった携帯一個に左右されたくないですよね。
・GPS機能
ルームで山を学んだ人間には不要。それが必要になる/前提としている行為は僕の考える登山ではない。正確に知る必要はない。不安要素を残す意味がある。
・下界と同様の使用
山では下界でもっている繋がりを余計に感じたい(感じられることを知った)がために意図的に絶っている。よって、不要。ただし停滞中にラジオにメールは送りたい。
こいったスタイルに関して、危ないから持っていけるものは持っていけとかそういう意見もあると思う。余計なお世話だ。西川尾根に行く直前、恥ずかしながらはじめて「冒険と日本人」を読んだ。ちょっと(否、かなり)著者は面倒臭い考え方をするなとは思ったが、安全を強要する考え方は困ったもんだ。警察書類の装備欄のGPSとかビーコンとか、勘弁してほしい。直接迷惑のかからない人間がつべこべ文句するんじゃあないよ(警察はまあすいません)。
あと最後に。以上は単独行における話であって、人と山に行くときのことは全く別で考えています。人と行く時はルンルンにこにこです。
酔っ払って書いてるので上手いこと書けてないと思いますが、全部本当に思っていることですし、ずっと練っては溜めてを繰り返しているテーマについての今現在の正直な答えです。
今のスマホに頼り切った登山は、何だかな〜と思う事もありますが使う事自体は否定しません。
使えるのであれば、使えば良いと思っています。
ただ、それが駄目になった時に対処できるという前提が入りますが。
色々な装備に頼らない山に拘る。
これはよく分かります。
昔、映画のランボーのようにナイフ1本で山を飛び回りたいと思っていた時期がありました。
服部文祥も釣り竿と銃はOKとしていますね(手づかみや投石などのスタイルも取れるはずだが、効率や楽しさを優先している)
一部分で角幡の言うシステムの外側に出ても、人間はシステムからは逃れられないので難しいですね。(書かれてるように裸が究極ですが、それは厳しい)
ただ、地図に関しては角幡唯介の「地図なし登山」が一つの到達点かと思いました。
GPSも、地形図も、コンパスも、六分儀も、結局はシステムなので、地図なしは裸です。
目の前の山だけを見ていてフェアだと感じました。
山行記録楽しみにしています。
角幡さんの地図無し。その答えにたどり着けたことが羨ましいです。他人が今から真似っこをしても二番煎じですからそれはもうややシステムな気もします。
なによりも彼は楽しんでいるだけで、決して「制限」として捉えていないように見えます。僕も頭でっかちになるのではなく、純粋に「楽しむ」ために考えていきたいです。
やり方について考えだすと終わりはないです。が、何も考えずに忙しく毎週末山をこなすくらいなら、しっかり行為の意味を考えた会心の山行を一本残したいものです。
上手いこと自己表現ができたら最高ですね。
返信というか支離滅裂に自分の考えを雑に書いただけになってしまいましたが、また少し整理して文字に起こすことができました。ありがとうございます。
似たような感情ありますし、この先も無くならない気がします。
車の免許をMTが当たり前の頃に取った世代ですが、若い頃はATはなんだか面白く無かったです。なので自分で買う車はしばらくMTでした。
とはいえ、やっぱりATは楽だし、いつの頃からかマイカーもATになりましたが、それに満足もしています。
でもやっぱり、運転そのものを楽しむならMT!という考えは今でも変わってません。
GPSやwindyも似たようなもんかと。
軽トラや原付カブでも車両と一体となって楽しむ時間は楽しいものです。
はじめまして。コメントありがとうございます。
今のルーム現役でも多かれ少なかれこういった感覚はある気がします。
それでも夏テンは今や歴史教育として年に1回準山で使われるかどうかだと思います。
最近はあんまりこういうことばっかり言ってると面倒臭いおじさん扱いされるので気をつけようと思ってます笑。
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