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わたしが本当に好きなことって何だろう。家までの3時間で思いついた答えのひとつは、「安心への復帰」あるいは「安心の獲得」だった。苦しい辛い環境にわざわざ身を置くこと、それ自体が好きなわけではなく、もうこれで安心、というのを感じるのが好きなんだと思う。たとえば冬至。たとえば長い山行の最後に道路が見えた時。
この、「獲得」、「復帰」というのがクセもので、いろいろ考えるキーポイントになった。安心していると安心を「獲得」、安心に「復帰」する権利がない。つまり安心したいのに安心していてはいけない、ということ。最近北海道の冬山や沢登りに飽きが来てしまったのもこれで説明がつく。多少大変な山でも大変さの予想がつくし、まあ何とかなると思える、つまりすでに安心している。これでは安心の獲得・復帰ができない。だから、好きな山をやりつづけたいなら北海道を出るべきなのはもう明らか。それでも北海道は好きだから、ここ最近川下りや狩猟という別の野外活動に手を出して、手を変え品を変えることで自分をあえてよくわからない状況、不安に陥れることで、その権利を得ようとしている、という訳なんだろう。
これはもう趣味だけの話ではない。たぶん日常生活も大変・辛いのがベースで、時折安心を獲得するくらいがいいってことだ。安定し続けていると飽きる。いや本当にその通りだ。ああ困った。やっぱり北海道出ようかな...。
蛇足だが、気になってる女の子が「イケそう」になった瞬間、醒めるのも「獲得・復帰」がもうその時点から先にはなくなるからなんだろうなあ。
あと好きなことといえば、自分ってどういう人間だろうか、と考えることも好き。どうして自分が今そう思ったか、そう考えたか、ということを過去を振り返りながら考えるのは結構面白い。
あとなんでも生活を自分の手で解決していく手ごたえを得ること。あと焚火。
あ、macchan90さんのテーマは「やりたいこと」でしたね。
「好きなこと」と「やりたいこと」は似ているようでいて違う。順序として「好きなこと」に向かって「やりたいこと」があると思う。じゃあ「やりたいこと」ってなんだ?「安心を獲得、安心に復帰し続ける」手法として趣味にアウトドアを選ぶって意外と安直な気がする。わたしは本当にアウトドアがやりたいのか。なぜアウトドアに固執するのか。現時点では死なない程度に難しい静かな山を長く歩く、というのが上記「好きなこと」を満たす「やりたいこと」の最適解であるは確かだが、その辺もうちょい考えてみたい。
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