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「青春を山に賭けて」植村直己著作
植村氏が登山に出会うきっかけと、登山にのめりこんでいく様子が描かれた巻頭の文章は素直で偽りのない誠実な匂いがして、植村氏の性格を彷彿とさせるようです。
にしても単独行にこだわる植村氏に、わたしは、言い知れぬ共感を覚え最後の解説を読んで、なるほどと自分なりに納得しました。
解説では、氏の登山へのきっかけの奥底にあるのは郷里の尊敬する先輩、加藤文太郎の存在である。としています。
新田次郎の小説「孤高の人」で名を馳せた加藤文太郎。
小説では人間像としてアウトラインの加藤氏を描くが、この人間像はともかく筋書きには脚色があって真実とは異なります。(山レコでも議論がありましたね)
わたしは15・6歳で「孤高の人」を熟読しました。無口の自分の感情を表現できない加藤氏に共感を覚えたからです。いまのわたしを知る人には想像できないのですが、幼少より、わたしは対人恐怖症的な病歴があり人前で言葉がでなく成人してもしばらくは人と目を合わせて喋れなかったからです。
加藤文太郎氏はいまもわたしが尊敬する登山家です。
当時世間では受け入れられない単独行と装備を独自に研究して実践していった加藤文太郎氏。
この本を読みながらなにか植村氏に郷愁を覚えるのも、そういったこともあるのでしょうか・・
さて、植村直己氏は、この本の冒頭で登山歴十年しかなくて「五大陸の最高峰を踏んだ登山家」と言われるのが「恥ずかしい」と記しています。
この言葉こそが氏の真骨頂であり、皮肉にも氏を遭難という終焉に導いたものなのであろうとわたしは思えてならないのです。
氏の冒険へのきっかけは、山岳部の友人である小林氏のアラスカ渡航であり、それに刺激され、海外の山に憧れて植村氏の海外挑戦は始まるとしてます。
当初、そこにあったのは、まさしく「憧れ」であり登山家としての実績を積みながら純粋に山をめざす「登山家」だったようです。
それが、いつしか自分自身を納得させる結果を求める「冒険家」へと脱皮していくようすが、ルポとして克明に描かれていきます。
これは、思うに氏の称えられると「恥ずかしい」という謙虚な思いが、自分を納得させるために、次の挑戦・冒険へと駆り立てたのかもしれません。
さすれば、氏の終焉はおのずとその形の完成形としての姿だったのでしょうか
単独行からパートナーを得て「遭難」した加藤文太郎氏
「登山家」から「冒険家」に転身し「登山家」として散った植村直己氏
この本の初版は1971年とあり植村氏30歳のときです(享年43歳)
心に深く残る一文
私は五大陸の最高峰に登ったけれど、高い山に登ったからすごいとか、厳しい岸壁を登攀したからえらい、という考え方にはなれない。山登りを優劣で見てはいけないと思う。要は、どんな小さなハイキング的な山であっても、登る人自身が登り終えた後も深く心に残る登山が本当だと思う。
・・・・・満足な装備もなく梱包用のビニールひもをザイルがわりに使用したほどのこの登山は、いまでも私の中に深い思い出となって生きている。くりかえしになるけれども、登山というものは結果でも、他人のためでもないのだと思った。
わたしが、植村直己氏のこの本を読んで思うこと
わたしは、登山家でもなく冒険家でもない。わたしの私生活こそ冒険であり挑戦であり180人のパーティを率いるCLである。
植村直己という偉大な冒険家・登山家。
飛行機は、離陸時の最大パワーから安定飛行・水平飛行に移るまでが一番危険な時間帯といわれてます。企業・会社もしかりでしょう。
思うに、植村直己氏は一直線に離陸態勢のまま、迷うことなく空の彼方を目指したのでしょう。
それを是とも否とも評価できる人などいないでしょう。なぜなら間違いなくそれは植村氏自身が納得した生き方なのですから・・
わたしは、いま水平飛行をしています。ただし、乱気流もあれば8000m級の障害物もあるやもしれません。時には操縦桿を引き更なる高みを目指す時期も来るでしょう
植村直己・・彼のいう「恥ずかしい」という心構えこそ、現状を打破し自分を鍛える心構えであると教えられてこの本を・・閉じました。
でわでわ

今日の日記は素敵ですね。
さすが大学生の時、八王子のアパートで床が抜けるくらい
の本を読んでいただけある方の読書感想文ですね。
この本を薦めたご友人の気持ちも、そのご友人に対する
uedayasujiさんの気持ちも伝わってきそうな感じです。
僕がこのような素晴らしい日記にコメントを入れるのも
申し訳ない気持ちがしてしまいますが、共感できるものが
ありました、というお印としてひとコメントさせて
頂きました。
信念ある生き方に物申すことなどできませんね。
こういったルポには、裏にある描かれない想いを考えると涙を禁じえません。
わたしは、人の能力に大差はないと想ってます。そこにある執着にも似た強い想いこそが大成の鍵なんでしょうね。
人は間違いなく死にます。
その死に様こそが大事なのでしょうね。
できれば、香り高い珈琲をゆっくり飲んで目を閉じたいものです。
でわでわ
なるほど、単行本の初出版は1971年なんですね。
私が日記で紹介させてもらった文庫本の初版は1977年でしたので、その間が6年ありますね。私が何度も何度も読んだのは文庫本ですので、もっと早く読んでいれば私の人生は変わっていた可能性も感じました。
1978年にサイン会で会ったときは既に時の人でしたがその時ですら恥ずかしがり屋の性格を感じたものでした。
男の約束で読み終えましたね
アマゾンいかだ下りも含めて、uedayasujiさんには、どの山行が印象的でしたか?
私が私よりuedayasujiさんに似ているといった部分は感じましたか?
図書館が隣で本当にうらやましいです。
>どの山行が印象的でしたか?
ふふふ・・当然、最初のモンブランでしょうね
ケセラセラ、現地調査不足で突っ込んで行く姿勢には苦笑しました(あらら、同じだよ〜)
わたしなどとは比べることなど出来かねますが、モンブランあたりの神経でわたしは登山してるなぁって想いましたね
いずれにせよ、植村氏の(やれそう・・)という想いは構想の規模こそ違え同じ想いを感じますね。
もっとも植村氏のような自信に裏打ちされた登山技術など持ち合わせてないです。
わたしは単純に、みんなで行ったから行けるやろ的なお気楽さですから
登山するなら、やはりマジメに教えを乞う山岳会も必要だと感じましたね。
でわでわ
これは読んでみなければいけませんね。
山好きのはしくれとしても、偉大な先輩の経験や心境は必ず勉強になると思っております。そういった意味でも私はうえださんの山行記録を楽しみにしています。
私などは経験も浅く、まさに「憧れ」のみで山に向かっています。憧れの山を登った後は、更なる憧れの山が現れます。一生楽しめます。
深く心に残る登山。スケールは違いますが、よくわかります。やっぱりこれを求めているんですよね。
まずは先日書店で手に取ってものの買わずに終わった「孤高の人」を読んでみます。
ふふふ・・図書館近くにないですか?
お金は装備に(セコ!)
ふふふ・・六甲からアルプスですので関西在住だと山の姿まで浮かんできます。
面白いです。 でわでわ
私今、新田次郎の「孤高の人」図書館で借りて下巻読んでいるところなんです。
「青春を山に賭けて」も図書館で借りて読んだんですけど・・・。興味深かったとしか覚えてない
「孤高の人」読み終えたら、もう一度「青春を山に賭けて」読んで見よっと。
でもどちらも残された奥さん目線で読んでしまうんですよね〜。旦那様には山で死んで欲しくないって!
うーさん
『登る人自身が登り終えた後も深く心に残る登山が本当だと思う』
私もこの一文が心に響きましたぁ
誰のためでもない
自分の登山を心に残る山行にしたいです
次の登山、いっぱい楽しみたいとおもいます
でわでわ
FUWARIさん、こんちわ
冒険にしろ登山にしろ終わりはないですからねぇ
これ、陸上や他のスポーツなら引退なんでしょうがね
登山、50歳で引退です!なんて規定あればね
最後は、断腸の思いなんでしょうね(。。;
やっぱ・・むちゃせんとこ
嫁はいつも心配して「冬山行くな!殺すぞ!」って
どっちみち死ぬんや〜なんて(大笑
よりよき山行を
でわでわ
まぁちゃん・・心に残る山行・・ですね
ふふふ・・ケンカして登っても心に残りますよね
いい景色を共有すれば仲直りできますよ。
違う登山口から登ってピークで会えば
幸せですね
山に優劣はなく、深く心に残る登山が本当・・・
山に謙虚に向き合う人の言葉だと思います。
その心を私も常に持って歩きたいとは思っています。
冒険をしようとは思っていませんが、少なくとも自分の行動に責任を持てる知識や装備を持っておきたいものです。
憧れはすぐに欲求に変わります。
自分にできることをちゃんと分かっておくことも大切ですね。
といいながら、ほんの少しの背伸びをしてみたくなるのが毎回です
monsieurさん、こんちわ
ほんのちょっとの背伸び・・でいいんでしょうね
でも、山レコ見てると憧れの山も出てきますよね。
しかし、実際に8000M峰なんて情報ないですからねぇ・・
情報とって行けるだけでも値打ちでしょう。山レコありがたい存在です(感謝)
よりよき山行を
でわでわ
murrenさんの日記で紹介された後、すぐに取り寄せて読み終えました。
人間味あふれる方で、不器用だけれど信念をもって突き進む姿。
どんな困難でも自分自身でなんとか打破しようと努力する姿。
全く飾ることなく、カッコ悪い姿もすべて書き記しているのだけれど、私には輝いて見えました。
私はケニアとアマゾンのくだりが好きです。
本当は8000m級の山の記録がいいというべきなのでしょうけれどね
今回のuedaさんの日記とても素敵でした
mitukiさん、こんにちわ
やはり、自分の原体験で同じ本でも感じるところは違いますよね。
ふふふ・・植村氏、無謀っちゃ無謀ですが、初めて日本を離れて不安で涙したと記述できる素直さが素敵です。
やる!と決めたらやってみる!登山に危険がないのであれば、それもいいのでしょうがね・・
わたし・・いつも・・つくづく・・思うんです。
私自身で山レコ登録以前には「あちゃ〜どうすべぇ〜」ってこと、たくさんありました。それが、不思議と・・生かされるのです。
人間ってやらなければならない事があると・・生かされるのですね(かといって、最初からむちゃしてはいないです)
真剣に生きた方のノンフィクションって、やっぱいいですね。行間にあふれる想いは、胸を打ちます。
アコンカグアでは、ロコ(バカ)と言われ食料を家畜に食い荒らされ苦労して登った事実までも疑われ、こころならずも無許可登山隊を摘発するはめに・・純粋な氏は張り裂けんばかりであったと想像します。
いずれは、自分の人生を綴るときが訪れるように思います。もちろん、氏のようなダイナミックなものにはなりませんが、自分史としての小説を描ければいいですね。
ふふふ・・なぜ小説かって?真実を書く血の涙を流す勇気がまだまだないからです(苦笑
でわでわ
uedayasuji さま
まいどです(ごあいさつ軽くてまことにすみません)。
どーしたの、、
とってもいい感じジャマイカ
でもコーヒーとは
末期のお水はお酒にして欲しいと今から嫁に懇願しております芋です。
脱脂綿に浸して口元に、あるいは喉へ。
ぴちゃぴちゃなめられたらいつまでも飲ませてねと、、、
ぽっと頬が赤らんだ時にさいならできたらと
だから山中(海上も)ではいやなのだと
心も身体も強くしですね
「自治の三訣」
うーさん、こんばんは。
アルガは楽しむのだけは得意だから、心に残る山行ならできるかなーって思いました
登山家から冒険家っていうところが、うーさんぽいかんじがします
どっちも楽しくていいと思います
自然の中には、冒険ってひそんでるものかなって
でわでわ
77ms1ksbさん、こんばんわ
般若湯ですかぁ(^^;
すみません、酒もタバコもやらないひねくれ親父です
昔、えらい坊さんが最後に「蕎麦が食べたい」と所望し食べ終わって静かに臨終したらしいです。
まぁ、これも食い意地張った坊主の話といえば、それまでですが
いいじゃないですか、最後がブルーマウンティン。
ふふふ・・珈琲の香りが大好きです
おお・・自治の三訣ですか
いまのところレスキューの世話にはなってませんし、地元ではレスキューのお手伝いをしてますし・・
ふふふ・・見返りもないですなぁ(笑
でわでわ
アルガちゃん、こんばんわ
いやいや(^^;わたしが?じゃないですよ
植村氏が「登山家」から「冒険家」に転進して「登山家」として散ったという話です(^^;
まぁ・・私は登山と言うより冒険って・・何を言わすんですか
国がアベノミクスの冒険してるんですから、そこで舵をとる者は、たしかに冒険家かもしれませんね
冒険は実生活にいっぱいありますよ(笑
嫁に「山に行く」ってのは・・大冒険だし(^o^))
登山・・楽しく愉快にやりたいものですね
困ったら、ふふふ・・と微笑んであわてずじっくり考えると・・意外に解決方法見つかるものですよ
こめ!おわり!! でわでわ
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