山野井泰史は典型的な山屋である。自分は子供向けに書かれた世界の偉人的な本で植村直己を読んだ事がある。子供向けなのでそんなに突っ込んだ内容ではないが、植村直己を形作る要素はきちんと伝えているように思えた。山野井泰史もベクトルは同じに思えた。無邪気で純粋、多感で繊細。情熱と挫折。だからかそんなに意外性は無い。山屋はこんなんよねって感じ。
新鮮だったのは奥さんの方。山野井妙子さん自身も世界屈指のクライマーだそうでそれも凄いのだけど、そういう事じゃなく、凄味の在り処が違う。妙子さんは忘れっぽいらしい。つまり過去を振り返らない、達観とか諦観が徹底している。その集中力が底しれぬパワーを生む。
程よい緊張と恐怖は結果的に良い集中力とパフォーマンスを生む。そんな文章を読んだ事がある。山野井泰史の輝ける登攀の数々は、ナイーブな性格やら感情やらをまとめ上げうまいこと爆発させた時のエネルギーによってなされたように感じる。
一方で妙子は少し毛色の異なるクライマーで、どんな時にも淡々として冷静で狼狽しない。以前読んだ田部井淳子の手記を思い出す。二人の力は共通している。明らかに女性ならでは。腹をくくったら男性より女性の方が強いのだ。
そういう事を感じる内容だった。以下は気に入った箇所を備忘録代わりにご紹介
・山の壁を登るには、頂上まで直線的なルートで行くのが最も手っ取り早い。しかし、壁によっては直線的に登れない事がある。ヒマラヤの場合、殆ど不可能と言って良い。壁の形状や性質から判断して、最も危険が少なく、最も素早く登れるルートを探す必要が出てくる。それがルートファインディングである。山野井の言う美しいラインとは、優れたルートファインディングで見出された最も合理的なルートでもある。自分が登ることで壁に一本のラインが引かれる。山野井にとってはそのラインの美しさが何より重要なことであった。
・妙子については山野井の父親にも不安がないわけではなかった。九つ年上だということ、手の指がほとんどないということ。それを知った上で息子の嫁として迎え入れるのは勇気がいる事だと思っていた。奥多摩の二人の家を訪ねると、作りかけの布団があった。妙子に訊ねると、色々な人が泊まりに来るようになったので布団を作っていると言う。その時、父親はこう思う。およそ、現代の日本で、布団を自分で作るなどという嫁がいるのだろうか。それだけで宝物のような嫁ではあるまいか。
・出発前夜、山野井の緊張は頂点に達していた。何を食べているかわからない程緊張した。妙子はいつもと変わらない会話をギャルツェンとしている。あの料理の味付けはどうするのかとか、カトマンズに帰ったら何をしようとか極めて日常的な会話をしている。どうしてあのように平然としていられるのだろう。
・ヒマラヤの高所で悪天候に閉じ込められている。登り以上に困難な1600mの下降が待っている。自分の足の状態は悪化している。普通だったらパニックに陥ってるかもしれない。だが、山野井にはなんとか切り抜けられるだろうという自信があった。妙子にも不安はあったかもしれないが自分以上に平然としている。こういう時の妙子について、山野井は圧倒的な信頼感を抱いていた。山野井は妙子がうろたえている所を見たことがなかった。二人ともパニックに陥っていない。こんな俺たちというのは結構すごいな。山野井は他人のことのように感心していた。
・「妙子!」何度呼んでも応答が無い。もしかしたら妙子は死んでしまったのかもしれない。もし妙子が死んだのならロープを切らなくてはならない。しかし、手元から切るわけにはいかない。手元から切るということは妙子の死体を氷河上に落とすと言う事であると同時に、ロープを捨てるという事も意味する。ここからロープ無しでは降りられない。
・「泰史、泰史」いくら叫んでも返事がない。ここで絶望してもよかったかもしれない。あるいは先に行ってしまった山野井を恨んでも良かっただろう。どうして待っていてくれないのだ、と。しかし、妙子はそんなことをしても無駄だということがわかっていた。いまはもうこの壁で一人になってしまった。ならば、一人で下りるより仕方がない。とにかく下まで真っ直ぐ降りていけばいいのだ。眼は見えないが、そして体にエネルギーはほとんど残っていないが、重力を利用すれば人は下に行けることになっているのだ。
・麻酔が完全に切れると、近くを誰かが歩いただけで耐え難い痛みが走った。手術を終えた妙子は、右手を高く上げた姿で山野井の病室まで歩いてきて言った。
「痛いでしょ」
山野井が頷くと、妙子はさらに言った。
「私はあまり痛くなかったけど」
それを聞いた瞬間、呆れるような思いで内心つぶやいていた。
ーー負けた。
・一本の指を失っただけで、人は絶望するかもしれない。しかし、十八本の指を失ったことは、妙子を別に悲観的にさせることはなかった。好きなことをして失っただけなのだ。誰を恨んだり後悔したりする必要があるだろう。戻らないものは仕方がない。大事なのはこの手でどのように生きていくかということだけなのだ。
・「指があったらな」他人には決して漏らさなかったが妙子には悔しそうに言うことはあった。登れない自分が歯痒かったのだ。妙子は、ないものはないのだから仕方がない、と取り合わなかった。
・クライミングを再開したばかりの時はクライマーとして赤ん坊同然だった。ところが、しばらくやっているうちにクライミングの幼稚園児くらいまでになっている自分を発見した。さらにやっていると、いつの間にか小学生になっていた。自分はクライマーとしての人生をもう一度送り直しているのだ
・二人が登っていると感動して声をかけてくれるクライマーがいる。彼らはギャチュンカンでの出来事を知っている。そんな二人が登っているということに深く心を動かされるらしいのだ。山野井はそのような人の言葉を素直に受け取る事の出来る自分に驚いていた。時には、その言葉に突っ込みを入れたくなることがあるにはあったが。彼らはこんな事を言うことがあるのだ。
「もう登る事が出来るなんて医学の進歩はすごいですね」
山野井はこう言ってみたかったのだ。医学は基本的にはただ指を切るだけなんです。すごいのは、もしかしたら僕たちかもしれないんです、と。
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