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春夏秋冬、季節は今も同じように巡っていますが、何となくメリハリが無くなっているように感じます。

木枯らしとともに八百屋の店先にみかん箱が積まれ、駄菓子屋に凧や独楽が並ぶようになると冬の到来で、水が抜かれて乾いた田圃や葉が落ちて明るくなった里山など、屋外で駆け回るスペースが広くなります。

小学校一学期の終業式を終え帰る途中で雷雨に遭い、雨宿りをして雷の過ぎるのを待ったことがありました。

雷雲の去った後には強烈な夏の日差しが照り始め、電線に残る水滴や砂利道の水たまりを光らせていました。
子供心にも「梅雨が明けて夏がやって来た、夏休みが始まった」と実感しました。
思うに現代では、冷暖房のきいた気密性の高い住居に暮らし、食料品も季節を問わず年中供給される野菜や果物、魚などが増えました。
栽培技術や保存技術が進歩したためでしょうが、便利な反面季節感の薄れる一因だと思います。

子供の頃、農家が夏の市場で一山いくらで売っていた大小不揃いなトマトが大好きでした。
大きなトマトを両手で持ち、端からかぶりつくと口いっぱいに青臭い香りが広がり、種と共に酸っぱい果汁をすする楽しみ。
現代の形の揃った甘いトマトでは味わえない醍醐味でした。

以前は、季節感は黙っていても向こうからやって来ましたが、現代ではこちらから求めに行かないと味わえない感覚なのかもしれません。
<写真 5月の丹沢天王寺尾根、長尾尾根>
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