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そんな純真な山男の気持ちの歌と言えば”いつか或る日”ですね。
”雪山に消えたあいつ”の歌詞に「あんないい奴どこにもいない」とありますが、ある意味それは「あんないい奴と呼ばれたい自分」であってほしいという願いもあるのではないでしょうか?
よい山男として死ねたらいい、そんな願いが”いつか或る日”の歌にも共通しているような気がします。それが山を登る自らの感動を呼んでいるような気がしています。
ただ、山の先輩が山を登らない奥様にこの歌を歌ってあげたら「そんな無茶な歌はない!」と叱られたとのことでした。この歌の中の「伝えてくれ、いとしい妻に....」というところです。山男はロマンチストだけれど女子は現実派だと思われたそうですが、山を登る女性はどうなんでしょう?
ともあれ、この曲の訳詩は日本百名山の深田久弥氏なんですね。
昔、道しるべに小さなケルンを積むとき、岩を気持ちよく登っていて岩にハーケンを打つとき、この歌が頭の中を流れました。
(1)いつか或る日
山で死んだら
古い山の友よ
伝えてくれ
(2)母親には
安らかだったと
男らしく死んだと
父親には
(3)伝えてくれ
いとしい妻に
俺が帰らなくとも
生きて行けと
(4)息子たちに
俺の踏跡が
故郷の岩山に
残っていると
(5)友よ山に
小さなケルンを
積んで墓にしてくれ
ピッケル立てて
(6)俺のケルン
美しいフェイスに
朝の陽が輝く
広いテラス
(7)友に贈る
俺のハンマー
ピトンの歌う声を
聞かせてくれ
現実派のおばちゃんです。
そりゃあ、山でなくても、死なれては困ります。
ましては趣味で死なれて、幼子抱えて未亡人になったら……
私の趣味生活は台無しですよ。!!
趣味生活の為は冗談ですが、山で死んではいけません。美化してもいけません。
と、言いつつ幼子じゃない息子に、通販の痩せる器具を使って感電死とか、お葬式で言えない事故より、母は好きな山で(T_T)の方が良いでしょう?と酷い事言っております。m(__)m
昔ね、山って何か良く分からずに初めた頃に、帰って来なかった友人を持つ人の気持ちを聞いたり、出て来そうにない遺留品捜索に連れていかれたりして、残された人の事も考えないといけないな〜と思ったのでした。
私の密かな自慢は、自分自身の知人友人は山で死んでない事。(近況の分かる人のみ)
良く死ななかったな〜と思う事故は目撃したことは有るけど、ソロ及び自分のパーティーでは無事故です。(^^)v
seakaoliさん、ほんと現実派ですね
ただ、失礼ながらも、この歌を現実の遭難死亡事故と結び付ける方が私にはイメージ貧困であるように思えます。
うまく言えませんが、暖炉や囲炉裏や焚火の燃える火を見て何と思うでしょうか?
その火を見て火事で死んだ人のことを思う人はいないと思います。火の暖かさや木の燃える香りにいい気持ちになると思います。
この歌が岳人に好まれている理由は、そんな燃える火を見るようないい気持ちと同じように自分が山が好きであるという逆説的な表現であると思うのです。山での死を美化しているとも私には思えません。そのようなことを超越した、山を愛する気持ちの方が出ていると思う訳です。
ちょっと偉そうにしてすみませんが、やっぱりロマンチシズムということだと思うのです。
かわゆい性格してたら、こんなに苦労してません。
仕事もなにもリスクが先に目につくもので、失礼しました。m(__)m
歌は歌なのは分かりますけどね。(^^)
seakaoliさん、私のコメントは少し厳しかったようですね、すみません。
きのうきょうの曲ではなくて40年以上も歌い続けてきた愛唱歌でもあるので少し力んだようです。
こういう少し格調ある曲の代表格といえば法政大学山岳部のエーデルワイスの歌があります。こういう歌を口ずさむだけで昔の山男に変身して昔の山の思い出に浸ってしまうのです。これはある種のワープですね。
ミュレンさん
ヤマレコ図書館の書評コーナーに、この本書きました。絶版久しく、手に入らないようですが。作詞者はナンダデヴィで遭難死したデュプレ。この本のタイトルではもしかある日になっています。
むかし1970年代に、NHK「みんなのうた」で、ハイファイセットが歌っていましたね。
http://www.yamareco.com/modules/amaxoop2/article.php?lid=1632&cid=21&cid2=81
yoneyamaさん、本の紹介ありがとうございます。
この本は知りませんでしたが、ロジェ・デュプロ原詞で深田久弥氏が訳詩したということは知っていました。それと、調べておりませんが井上靖の氷壁の中でも詩が出てきましたが歌の詩とは少し違っていたように思います。
私は歌の方は高校1年のときに覚えて氷壁の小説は高校2年ぐらいだったと思いますが、歌のイメージは感じとることができました。長い小説の中で山らしい美しい描写だったように覚えています。
murren さんこんばんは(^-^)
いつか或る日、人はかならず死にますね
山男は山にいることが多いから山で死ぬかもしれない
これはとても深い愛情の歌だと思いました
自分の大切な人達に悲しい思いをさせたくない
「男らしく」という言葉の中に山への真剣な気持ち
けしていい加減ではない気持ちが感じられます
山を愛し山を汚すことのない人間の優しさ、、、
「死なないで!」と心で呼びかけながらも
美しさが感じられます
もし友達が歌ったら
itigo のお返し
いつか或る日 山に行っても〜ケルンなんか作らん〜生きて帰れ♪
itigoさん、こんにちは。
itigoさんに紹介したい気持ちがあったのでコメントは嬉しいですよ。
ただ、「死なないで!」とか「ケルンなんか作らん生きて帰れ」というのは、やっぱり女性特有の現実思考かも知れないと思いました。男はそういう風にこの詩をとらえないと思うのですよ。やっぱり、男と女の間には深くて暗い川がある 誰も渡れぬ川なれど エンヤコラ今夜も舟を出す ということなんかなぁ?
Row and Row Row and Row 振り返るな Row Row
黒の舟歌でした
はじめまして。データー使用警告で重くて出遅れました。
seakaoliさんの「かわゆい性格してたら、こんなに苦労してません」に思わずいたーく共感してしまいました。
歌は存じ上げず初めて?聞くと、歌詞をメロディがソフトにロマン的に仕上げている感じがしましたが、最初から同時に聞いていればそんな先入観なく入ってきたとも思います。
山に男も女もなく、ナヨナヨしてたら厳しい山やって行けません(私はヨワヨワしいですが)。
女にも山にロマンがあります。
深田氏百名山に興味はなかったけど、2.5万図の出ていなかった頃に、交通事情が整っていなかった頃に、整備保護された登山道のなかった頃の失われた深田ライン。とか、
あの小柄な南氏が屏風雲稜の下部から、このリングボルトをグランドアップしながら登ったんだ〜。とか、
八の人工壁を思わせるボルトで整備された小同心の何もない初登時に拓かれたこの合理的なライン。とか。
私も前穂北尾根8峰から継続したくて挑戦した事があります(2度ともヨワヨワしいので敗退しましたが)。
私は多くの山仲間を失っています。
未だ経験浅い方達、何十年ベテランの方達、ガイド並みの大ベテランの方達。
よく知識経験技術精神力体力などと云われますが、それらに長けて天候に恵まれても、仲間とか柵など複雑な要因も含めた広義での『運』もあると感じるこの頃です。
それ程、私達は危険な遊びをしているんだ。としみじみ感じます。
私も怖い気持ちよりも行きたい気持ちが勝っていた頃を振り返ると、よく無事帰ってこれたな〜と思う事ばかりが浮かんできます。
本格的な雪山は途中でエスケープ出来ない谷川のあの時の悪い雪質から中断しています。
唄も詩も感じ方は生き様が繁栄されたり人それぞれだと思いますが、逆にmurren さんにお伺いしたいのですが、次の遺書を初めて読まれた時はどの様にお感じになられましたか?
私は文字が滲んで読めない程でした。
全身硬ッテ力ナシ 何トカ湯俣迄ト思ウモ有元ヲ捨テルニシノビズ、死ヲ決ス
オカアサン
アナタノヤサシサニ タダカンシャ、一アシ先ニオトウサンノ所へ行キマス。
何ノコーヨウモ出来ズ死ヌツミオユルシ下サイ
手ノユビトーショウデ思フコトノ千分ノ一モカケズ モーシワケナシ ハハ、オトートヲタノミマス
有元ト死ヲ決シタノガ 六時
今 一四時 仲々死ネナイ 漸ク腰迄硬直ガキタ、全シンフルへ、有元モHERZ、ソロソロクルシ、ヒグレト共ニ凡テオワラン
ユタカ、ヤスシ、タカヲヨ スマヌ、ユルセ、ツヨクコーヨウタノム
サイゴマデ タタカウモイノチ 友ノ辺ニ スツルモイノチ 共ニユク
dejavuさん、こんばんは。
最後は松濤明の風雪のビバークですね。私は40年ほど前の高校生の時に自分で本を買って読みました。そのときは涙は流しませんでしたが衝撃は受けたことは覚えています。それから数年後に春の北鎌を湯俣から北穂まで走破したときは確かに北鎌には松濤明のそのイメージがありました。それだけに達成感はありました。
物事見方感じ方は個人個人異なりますね。価値観も違います。それぞれの違い、特に価値観の押しつけはよくないので私の感触をもって一般論化してはいけないとは思いますが、なんせ高校の時から青春時代のテントの中では必ず歌ってきた歌ですので愛着度が違う訳です。日記にしてみましたが、それを今さらああだこうだと言うことはやっぱり野暮だと思えてきています。あしからず。
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