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2021年02月18日 21:19紀行文レビュー(書籍)全体に公開

紀行文

山と渓谷の読者紀行に掲載された一度目の紀行文です。(2019年4月号)
岳沢からの奥穂高岳山行のことを書きました。
主役はビリンちゃんです。最近ビリンはインスタグラムによると海外旅行中のようです。
元気かなぁ。
またビリンに会いたいですね。

https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1581750.html

以下は原文です。
ビリンと登った奥穂高岳

ソロでの山歩きを常としている私だが、山行途中で出会った方と同行仲間のごとく長時間一緒に歩くことが稀にある。
平成30年9月、バスタ新宿発の夜行バスで早朝上高地に入った私は、岳沢湿原から始まる前穂高岳登山道を岳沢沿いに2時間ほど登り、岳沢小屋に到着した。
岳沢小屋ではトイレを借り、小屋前のベンチで行動食を口に入れ小休憩とした。
上高地は薄い雲海に覆われ始めたが、霞沢岳や乗鞍岳は雲海の上に良く見えている。
しばし小屋前からの展望を楽しんだ後、前穂高岳を目指して歩き始めた。ここから私と同様ソロで登っている30代?のS氏との同行登山となった。
古いプロ野球選手の話等、他愛のない話をS氏としながら重太郎新道を登る。
重太郎新道の中間地点あたりで、S氏のほうが体力的に少し上に感じたので「どうぞ先に行ってください」と私が声をかけた。「ここまで一緒に登ってきたのだし、歩くペースもほぼ同じだから、構わなければ一緒に登りませんか」とS氏が同行登山を提案してくれた。
テント泊をするのだろうと勘違いした位、S氏は歩荷が担ぐようなフレーム付の大きなザックを背負っていた。(一緒に登るとは言っても山頂くらいまでかな、自分は初めての奥穂高岳への山行で少し心細いし同行はありがたいな)と思い「では一緒に登りましょう」ということになった。

「ここを登らせるのか」
「なるほど、急登だな。ウウッ。」
「このルートではなく左を巻いたほうが良いですよ」

急登を登りつめ紀美子平に着いた。
S氏と一緒に、先ずは前穂高岳山頂を目指す。ザックは紀美子平にデポだ。
紀美子平からもなかなかの急登の岩稜帯が続く。
ジャングルジムのような岩稜を登り、今回最初のピークである前穂高岳山頂を踏んだ。しかし展望は期待はずれだ。
奥穂高岳、北穂高岳方面は真っ白だ。
どこを歩くのだろうかと心配する位に切れ立っている明神岳の険しい尾根は、かすかに瞰下できる。
前穂高岳山頂で暫く粘っていると、サアーッとガスが吹き払われ、奥穂高岳がピークを含めその山容を現してくれた。すべてのピークが右上を向いている西穂高から奥穂高へ続く独特の稜線景観が楽しめる。
インドネシアからの登山者とS氏とが楽しそうに現地語で会話をしている。一体S氏は何者だ。

一度紀美子平に向けてくだり、デポしていたザックを背負いなおし、吊り尾根を奥穂高岳目指して登っていく。
S氏との会話も楽しく話が尽きない。おじさんたちの井戸端会議だ。
しかし足元には十分注意が必要だ。散漫が滑落の誘因だ、集中、集中だ。
いつものソロ山行と違い、S氏と会話をしながら登るので、登る辛さがいつもの半減だ。途中雷鳥にも出会えた。あっという間に奥穂高岳山頂に到着する。
チョンンチョンと二つピークが見えるのは、一つは穂高岳神社の嶺社であり、ひとつは方位版である。
山頂はいずれのピークも狭く、両ピークの間の鞍部に登山道が通っている。
奥穂高岳山頂標識が嶺社の直ぐ下にあり、その標識と並んでの記念撮影をS氏にお願いした。
いやぁありがとうございました、私もS氏を撮りますよ、ではお願いします、というがS氏は山頂標識になかなか並ばない。ザックの中にごそごそと手を入れていて何かを出そうとしている。
暫くして「黄色の着ぐるみの頭部分と体部分・・・合体するとビリンちゃん」がS氏のザックから出てきたのには吃驚した。
そう、ビリンちゃんの登場です。
何が起こったのだ、と私は少し戸惑った。「実は百名山をただ登るだけではつまらないので、ビリンを連れて百名山を登っているのです。」
「この着ぐるみがビリン・・・ですか?」
「そうです。私は以前北海道に暫くの間住んでいました。それでキタキツネをモチーフにした着ぐるみをビリンちゃん、ビリンフォックスと名付けました。」
ビリンちゃんを着たS氏が奥穂高岳山頂標識に触れている姿の写真を私が撮る。自分のカメラでも撮らせてもらう。
ビリンちゃんは北狐、英語のスペリングではbirinfoxである。
本当に吃驚した。この着ぐるみだけで7キログラム位はあるそうだ。
だから、あのように大きな背負子を背負って彼は登っていたのだ、とS氏の大きな荷物に始めて合点がいった。
登山には不必要な重い大きな荷物を背負って、ここまで私と同じかそれ以上のペースで歩いていたのか、とS氏の健脚振りを改めて認識したのだった。

百人百様、登山に求めるもの、登山の目的や態様はひとそれぞれであり、決してどの目的が良くどの目的が悪いということはない。どれが上でどれが下ということもない。
小さなフィギュアやぬいぐるみと一緒に旅をしている人や登山している人には沢山出会ってきたが、例えるならばフナッシーのような大きな着ぐるみを山頂まで持ち運んで記念撮影をライフワークにしている人には初めて出会った。自分の世界にはない発想だ。
よくわからないが、S氏の山へ登る目的は兎も角凄いと思った。
私のように単純に百名山を登っているのとは訳が違う。ビリンちゃんかぁ。キタキツネとともに百名山踏破かぁ。

奥穂高岳山頂での撮影後、S氏のビリンちゃん収納作業もまた大変そうであった。
「時間がかかるのでどうぞ先に行ってください」とS氏が言うので、穂高岳山荘での再会を約束して、私は先に奥穂高岳から山荘方面へ下山した。
S氏とはもちろん山荘で再会し、彼の今の上高地での仕事やこれからやりたいこと、ビリンちゃんの旅と記念撮影が百名山だけに限らず、インドネシアを含め世界の有名スポットにも連れて行っていること等々、消灯時間9時ぎりぎりまでビリンちゃんの写真を沢山見ながらの話が弾んだ。山の楽しみの一つが、こういった人との出会いである。

翌日もS氏と一緒に山荘を出発し、涸沢岳登頂後、ザイテングラート経由上高地へ戻った。山荘から河童橋までのルートをずっと一緒にS氏と歩いた。友人と一緒かのように楽しい気分であった。
彼は上高地の某ホテルの厨房で働いており、周辺諸施設についても詳しかった。
小梨平の日帰り温泉も彼から教えてもらった。また、社員割引での食事やソフトクリームもとても嬉しいサービスだった。
ビリンというS氏オリジナルユルキャラと登った今回の奥穂高岳山行は、何物にも変えがたい私の大切な思い出となった。
ビリンちゃんの百名山踏破や世界各地への旅を、これからも応援して行こうと思っている。
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