偶々破損して設置替えの時期だったのかも知れません。
白馬岳でも山頂標柱がなかった年がありました。色々申請や手続きが煩雑なのだそうで、今年はありました。
屋久島の永田岳の山頂標柱、今はあるかな?
その時の紀行文、長文ですのでお暇な方のみお読みください。
※写真は2019年4月の山行時の写真(永田岳)
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「永田岳へ登ってこられたのですか?」
「はい、行ってきました。アップダウンが結構きついですが、是非寄った方がいいですよ。何といっても眺めが最高でした」
焼野三叉路で、初めて背負った新品の65Lザックを下ろして思案していた私の前に、永田岳から戻ってきたと思われる体格の良い男性が現れた。彼は「いい山だったな、永田岳は」そういってデポしてあった自分のザックを担ぎ、新高塚小屋方面へと下っていった。
元号が平成最後になる年の四月下旬、私は深田百名山の一座「宮之浦岳」の登頂目的で、前夜泊の屋久島安房の宿から予約タクシーで早朝、淀川登山口へ向かった。淀川登山口から単独行で宮之浦岳を目指す計画はピストンではなく避難小屋一泊での縦走、白谷雲水峡への下山である。
途中初めての携帯トイレ利用も無事に行え、予定より幾分早く目的の宮之浦岳の山頂に立った。天候に恵まれたここまでの登山行程への安堵感と、山頂からの見事なパノラマ展望の満足感を味わうことが出来た。
1ヶ月に35日雨が降ると表現される位雨の日が多い屋久島、その屋久島最高峰の宮之浦岳山頂からは種子島等の島嶼はもちろん、九州本土の開聞岳まで見える眺望を恣にできた。好天に恵まれた山行は至上の喜びであった。
屋久島の海岸線にあるはずの町は見えないが、近くの森林限界を超えた笹原と奇岩だけで折り重なって続く山並みと、海や島が見える展望は、宮之浦岳山頂からならではの絶景である。中でもすぐ隣に聳えている永田岳は、山裾から山頂までは宮之浦岳と同様に笹に覆われた斜面に奇岩が点在しており、さらに掌を自分に向けた時の指先を見たような剣戟の頂の連なりは、理屈抜きに格好いいなと目と心を奪われてしまう。
強風が吹き上がる黒味岳山頂からはこれから登っていく安房岳や翁岳から宮之浦岳へ続く稜線が綺麗に見えていた。一面ヤクシマダケに覆われた斜面に神様が放り投げたように点在する奇岩花崗岩の景色を堪能しながらの登りは、体の疲れを忘れさせてくれる。
黒味岳への登りは意外と急坂だったが、空身で登ったから体力へのダメージは少なくすんだのだろう。しかし大型ザックを担ぐのが初めての私にとって、ザックのフィッティングが甘かったと、その後登りながら反省していた。どうしても足幅広く厳しい登りを強いられる箇所では、少しの体の横揺れでも体がザックごと持って行かれそうになる。そういった横振れを何度となく起こしながら登る為か、淀川登山口から宮之浦岳への登山道そのものはそれほど険しくないにも拘わらず、予想以上に足や腰への負荷がかかっていたのである。
コースタイムより早めに山頂に着いたものの、シュラフとマットや食料などを詰め込んだ重い大型ザックを背負っての登山は初めての経験、「黒味岳へ寄ったのが失敗だったかな」「情報では混雑するという新高塚小屋へ早く着いて自分のスペースを確保したいな。テントは持ってきていないしツェルト泊は避けたいしな」などと不安がいっぱい、永田岳へ登る仮予定の実行を逡巡しながら、宮之浦岳山頂から下山を開始し、焼野三叉路に到着したのだった。
ザックを下ろして小休憩するだけで新高塚小屋へそのまま下山するつもりでいた私の気持ちが、永田岳から戻ってきた彼へ出会ったことで急に変ってしまった。
ザックをここにデポしてウェストバックに財布やガーミンとカメラ、スマホ、地図等最低限の物を詰め込んで、空身で永田岳へ登ってこよう。
三叉路からは先ず少し下り、途中小川を徒渉する箇所もある。鞍部に到着、そこから100m程登り返せば永田岳山頂だ。特別急坂ではないが、後ろに宮之浦岳が次第に俯瞰できるようになると、思わず足を止めて麗しい山容に心を奪われてしまうのでなかなか進まない。
最後に太い黒いロープを掴みながら大きな一枚岩の縁を登り切ると、その先が永田岳の山頂であった。「岩の上が山頂です」山頂直下ですれ違った女性に教えてもらっていなければ、そこが永田岳山頂だとは信じられなかっただろう。
大きな花崗岩の上が永田岳の山頂であり、何とそこには山頂標識が無いのである。
黒味岳も大きな岩の上が山頂であったが、山頂標識のプレートが岩の片隅に設置されていた。山頂標識が本当にないのだろうかと、山頂標識を探し少し先まで行ったが道は途絶えている。周囲の岩を飛び越えながら何かないのかと探し回ったのだが、標識だったのではと思われる木の屑が登山道の片隅にあっただけであった。確かにはっきりと山頂を示す人工物はどこにもない。
永田岳山頂と思われる最も大きな岩の上で風に吹き飛ばされないように佇立して、しばらく宮之浦岳の山容を恣にした。
宮之浦岳は確かにこちら側から見た山容が多くのガイドブックに掲載されている。円錐形に絞った形に見えるし、山頂がおちょぼ口のようにはっきりとわかるので写真の構図として収まりが良いからであろう。
永田岳の山頂からは、宮之浦岳の山頂以上の絶景が広がっていた。
近くの山の独特な景色の先に海が白波を立てて遠くまで広がっており、遠くの島々が青黒く見えているのは同じなのだが、違うのは海岸線近くに宮之浦の町や港が見えることである。
永田岳の山頂から宮之浦の町が見えるということは、逆に宮之浦の町からも天候さえ良ければ永田岳が見えるということである。
自宅に戻り、偶々某公共放送テレビ番組で屋久島の特集を観た。岳参り、お祭り、農作業、山岳修行や信仰、人々と永田岳が密接に結びついている。日常生活で折に触れて宮之浦の人々が永田岳を仰ぎ見、感謝しているのだ。
屋久島の宮之浦地区の人々にとっては、古くから山といえば永田岳であり、最高峰とはいえ山頂が見えない宮之浦岳ではないのである。
私は宮之浦岳の山容より永田岳の山容が理屈抜きに好きになった。どちらも同じように森林限界を超えた笹原の斜面に奇岩が点在する素敵な景色は同じなのだが、永田岳は山頂の尾根、約100m部分のピカソがデッサンしたような微妙な鶏冠具合が素敵なのである。
しかしこれだけ素敵な展望を恣にでき、また地元民に古くから愛されている永田岳山頂に山頂標識が無いのが不思議である。ピークハントが登山スタイルの私にとっては黒味岳のようなプレートで良いから永田岳山頂にも山頂標識を是非作ってもらいたい。
何か理由があるのだろうか。自作して自分で据え付けたい位だ。
自宅に戻り、宮之浦岳と永田岳の写真を飾っていたのだが、今飾り続けているのは永田岳だけである。
宮之浦岳の登頂の為に屋久島に出かけ、永田岳には登るつもりがなかった私だが、行き会った彼のアドバイス通りに永田岳に登り本当に良かった。
焼野三叉路への登り返しと、翌日の歩きには確かに体力的に無理がかかったが、体力消耗以上に永田岳山頂に立ったことは掛け替えのない素晴らしい体験だった。これから宮之浦岳に登る方には是非永田岳山頂にも登ることを勧めたい。
新高塚小屋は心配した程の混雑はなく、午後3時頃に到着し、余裕で寝るスペースを確保することができた。快適に避難小屋での一夜を過ごし、翌日は観光客で賑わう縄文杉やウィルソン株を通って白谷雲水峡へ、宮之浦の町まではバスで下山した。生憎下山日は曇りから雨模様に天候が悪化し、麓からの永田岳を拝むことは叶わなかった。
下山日は湯ノ川温泉近くで宿泊、翌日は飛行機で鹿児島経由羽田へ戻る予定が、雨のため飛行機が欠航、急遽屋久島空港から宮之浦港に戻りフェリーとタクシーで鹿児島空港へ、そして最終の羽田行の飛行機で自宅に戻ることができたが、屋久島縦走以上に疲れた一日となった。ただその数週間後に大雨災害で登山者が何日も下山できずに救助される事態が起きた事を考えると、飛行機の欠航位ですんで良かったのである。
山頂標識もなく、隣の百名山より50m程標高が低く、さらに人気ルートから少し外れている為登らない登山者が多い永田岳だが、宮之浦岳に登る際には必ず永田岳へ登るべきだと、宮之浦岳の話題になる度に主張している私がいる。永田岳、ありがとう。早く山頂標識が出来る日を待っている。
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