遭難は、「万全の準備をして行動しているが予想できなかった困難に遭遇した」と思ってます。常識的に予想できる窮地に入り込むのは遭難でなく事故です。目先の利益のためにイチかバチかあるいはノリで突っ込んでいくことは自殺行為で事件です。特に異常気象が当たり前になりつつある現代で遭難は仕方がないことだと思います。ポカミスや油断も遭難で良いとは思います。メディアが十分な情報も検証もなくなんでも「遭難」と報道するのに違和感を感じます。事実は「救助を求めている」とか「滑落を目撃した」と警察等が発表しているだけだと思います。
NUMASANさんが書かれてますが、プチ遭難をすると予想できなかった困難を身体で実感することができます。また、このような経験が六感を発動します。他の遭難等の一部の情報だけでも参考になることは多数あります。それが予期できない困難を予期できるリスクに変えます。しかし、十分な事実確認もなくそれぞれの経験や知識から憶測を足した情報は何の役にも立ちません。メディアは根本的に改めて欲しいと思います。
椎名林檎が作詞してTOKIOが演奏する「雨傘」は「待って 鼻を利かせなよ 今宵は雨だろう 傘ぐらい携えて行け」で始まります。簡単に予想できるのに備えない人が多いという事でしょうか?五官と五感と脳味噌を使い切れば、厳しい困難も乗り切れる可能性も高まります。備えただけの道具や怪しい情報で思考停止になっていないでしょうか?歌の最後にどうしようも無くなったら助けに行ってやると言ってます。登山において救助に駆け付けるのは大変な事ですが、このような仲間がいれば遭難も事故も減らせると思います。
あまりにも同感でしたので、思わずコメントしました。
昨今の遭難ニュースに於いて、その多くが事故に該当と言えるかもしれませんね。
そういう私も自身を振り返ると、登山を始めて2〜3年の頃は、あまりにも山が楽しい毎日で、
人生で初めての経験の連続で、そのたび目を輝かせ、バーゲンセールのように周りも見えずに危険な行為に突っ込んだ1人だったと思います。
昔と比べて現在のほうが「危険を多く伴うジャンル」に手を出していますが、むしろ現在のほうがそれなりの準備をしているので不測の事態に陥るようなシーンがほとんど無いことに気づきます。
これこそが貴殿の言う遭難
「万全の準備をして行動しているが予想できなかった困難に遭遇した」
というところが、とても腑に落ちる表現でした。
クラック尾根のレコの感想に記載されております
「仲間が観天望気よりもヤマテンを優先するのに驚かされました。」
という部分に、とても現代の遭難問題の一端を感じます。
スマホを見ながら山を歩く事が日常となった現代では、五感を研ぎ澄まして山をやる人間が減ってきているのかもしれませんね。
コメントをありがとうございます。
私は、新しい道具や方法を否定してません。置き換える・足す・採用しないを試して考えて決ます。ヤマテンもてんきとくらすも良いのですが、観天望気や天気図に置き換わるほどではなく、足すアイテムだと思ってます。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する