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「クライマーは何故あのように危険な場所に出かけていくのか」
この本、「ビヨンド・リスク」は、ニコラス・オコネルが世界の著名クライマー17人にインタビューしたものをまとめたものです。
流石に世界一流のクライマーの言葉(あるいは思想)を集めただけに、とても含蓄がある内容が書かれていて、読んでいてマーカーで印をつけたくなる場所が沢山あります。
「クライマー」という言葉を「登山者」と置き換えても、そのまま共感できる点も多いでしょう。すべてを紹介しきれないので、ここではその一部だけでも引用してみたいと思います。それでもかなり長くなってしまいましたが。。。
まず「はじめに」で、オコネル自身が問題提起をします。
「本書の執筆中に、クライマーには死の願望があるのではないかという質問を時々受けた。そう決めてかかるのは、あのように危険で、あり得ないような目標に挑む人間はある意味で精神的に不安定にちがいない、登山は意識裡あるいは無意識裡の自殺行為、つまりロシア式ルーレットの類に違いないと考えるからであろう。ロシア式ルーレットでは負けは死を意味し、勝ちは−−−何を意味するのだろうか」
この問題を、数々のインタビューを通して解き明かそうというのが、本書の試みです。
<ライホルト・メスナー>
あらためて説明する必要も無いくらい、世界でも最も著名なアルパインクライマーです。ヨーロッパアルプスで数多くの困難なルートのソロクライムを実践し、ヒマラヤでは8000m峰を世界で初めてすべて無酸素で登っただけでなく、大人数の極地法遠征スタイルでなく、少人数のアルパインスタイルを積極的に実践しました。
―あなたは、これほど多くの登攀でどのようにして生き延びてこられたのですか。
豊富な経験です。万全の準備です。多量のエネルギーです。山に対する優れた直感です。これらはみな、何年も山に登ってはじめて身につくものです。また、運にも恵まれることです。自分の運を過信してはいけません。・・・・
心得ておくべきことは、「これは自分にできる。しかし、これはできない」ということです。何回も限界を超えて登っていると、必ず死にます。登山術とは生き残ることで、死ぬことではありません」
―山に登るのはどうしてですか。
その質問への答えはありません。もしあなたに「なぜ生きているのですか」と尋ねたら、何と答えますか。私にとって山に登ることと生きていることの間に違いはありません。・・・人生とは(すなわち登山とは)、自分を表現し、自分自身を知り、世界を知り、人々とともに暮らすのに計り知れない可能性を持っているという気がします。
<リカルド・カシン>
1938年に、アルプスの三大北壁のなかで最後まで残っていたグランドジョラスの北壁を初登。1954年には後述するボナッティをチームに入れてガッシャブルム4峰を登頂。1975年には上述のメスナーをメンバーにして、野心的なローツェ南壁を試みるなど、年老いても冒険心を失わずアクティブに登っていた。
―あなたは運命論者ですか。
運命論者ではないが、運命があることは信じている。
―運命を操れるのですか。
そう、自分で操られる運命がある。幸運なんかがそれだ。幸運といったものがあって、それが手の届くところにあるときは、しっかりつかまえるべきだ。人生でも山登りでも幸運は必要で、それをつかむにはすばやくやらなければいけない。
<ヴァルテル・ボナッティ>
戦後世代の中では傑出したクライマーで、過度な人工的手段の導入がクライミングの面白さや冒険性を破壊すると主張したおそらく最初の登山家。マッターホルン北壁の冬季単独登攀、ドリュ南西岩稜の単独登攀など、アルプスで歴史的なクライミングを数多く成し遂げた。中でもモンブランのフレネイ中央岩稜の悲劇は、一番印象的に残っている話です(興味ある人は、ボナッティ著「大いなる山の日々」を読んでください)。メスナーと並んで、自分が高校生の頃に最も影響を受けたクライマーです。
―人はどうして山に登る必要があるのでしょうか。
人間はどうして月へいったり深海にもぐったりする必要があるのかね。昔、オデュセウスは既知の世界の境界を越えて向こう側に行きたいと望んだが、それも人間にはいつも限界を超えて行きたいという願いがあるからだ。それが人間の条件だ。好奇心と空想がサルを木から下ろしてヒトにしたのだ。
―どうして冒険に価値を置くのですか。
冒険は人生で最大の経験だからだ。だれにとっても大切なものだ。人は冒険心を持って生まれてくる。だからこそ人は何世紀にもわたって進歩してきた。死という不確定なものがあるから人生は冒険なのだ。死はだれのところにも来るが、いつ来るかは誰も知らない。これは恐ろしいことだが、同時に魅力的なことでもある。
―ヒロイズムは今日でもあり得ますか。
ヒーローとは何かね。この世界の真の英雄とは、自分自身を信じ、自分の個性を信じ、自分は何者であるかを信じている者だ。しかしそれは実に難しいことで、不可能ですらある。私たちが住んでいるのは妥協の社会だからだ。
<ロイヤル・ロビンス>
1950年代から70年代にかけて、アメリカのヨセミテの黄金時代に活躍したロッククライマー。1952年に、おそらくアメリカで初の5.9を成し遂げた。ハーフドーム北西壁の初登や、エルキャピタンのサラテ壁など、数多くのビッグウォールを初登。現代のナッツ類を使ったフリークライミングのベースコンセプトとなったクリーンクライミングを提唱し、当時のロッククライミング界のオピニオンリーダーとなった。
―どうしてロッククライミングに興味を持つようになったのですか。
ハイキングより冒険的なので、クライミングの方が好きでした。危険があれば冒険の度合いが増す、ということは十分気をつけて行動しなければならないということです。クライミングは注意力や知覚力のレベル、つまり生きていることのレベルを引き上げてくれます。・・・・クライミングには危険がなければなりません。危険を冒すことを求められているのではなく、そこに危険があることが求められているのです。その危険を行動と思考力によってうまく回避するのです。
―ほかのスポーツではなく、クライミングだったのはなぜですか。
クライミングは単なるスポーツではありません。ひとつの生き方です。テニスやスキーのダウンヒル競技以上のものです。
―あなたがたは普通の生き方に満足できなかったのですか。
情熱を燃やせるものがなければ、私たちは満足できませんでした。クライミングであろうとほかのことであろうと、誰もがそうあるべきですね。燃えることなしに生きることなんて、死んだも同然の人生です。そうではいけない。愛を注げるものを見つけて、それに人生を託さなければいけません。
<ダグ・スコット>
イギリスのクライマーで、エベレスト南西壁を初登攀。1977年の特異な岩峰オーガ(7285m)でのクライミングでは、登頂成功後のアクシデントにより両足首を骨折したが、登山史上に残る地獄のような下山により生還した。
著作に「ビッグ・ウォール・クライミング」(1977年)がありますが、これはまたそのうちに紹介するかも。。。
―登山をしている間に自分について何を学ぶのですか。
誰でも高峰の長い遠征から帰ってきたときは変わっています。出発前とは同じ人間ではないのです。私は自分自身とより密接になった感じがするし、友人とも親密さが増したような気がします。長期間の登山で極限まで耐えたあとは、故郷の人々みんなにいっそうの共感を覚えます。
―(登山で)活気づくのは危険を感じるからですか。
そうです。あるいは食べ物がなくなり、断食を強いられながらつらい闘いをするときです。こういうことは人を変え、新たな認識を与えます。少し生まれ変わるのです。すべてがまた新しくなったような気がします。
<ジェフ・ロウ>
アイス・クライマーとして良く知られており、現代のアイスクライミングギアの多くのデザインのルーツはジェフ・ロウによるものだ。しかしアイス・クライミングだけに留まらず、カラコルムのトランゴタワーでのフリークライミングも知られている。また彼が立ち上げた会社は、アメリカにおける多くのクライミングコンペのスポンサーにもなっていた。
―小さいチームの高所クライミングを好むのはどうしてですか。
大グループは安全を保証するものではないし、グループが大きいほど個々のクライマーは何を決めるのにも責任を感じなくなって、多勢をたのむ偽りの安全性にだまされてしまう。
―クライミングはあなたの人生のほかの面にどう影響しましたか。
クライミングは私の人生でもっとも明確なものになっている。誰だってクライミングに集中しているときは、金や車や家や妻やボーイフレンドに集中していられない。そういうものは影をひそめている。そしてクライミングから戻ってくると、そうしたものも重要であることが良くわかってくる。クライミングのおかげで視野が広がって、物事の遠近がまたはっきりしてくるのだ。
<ヴォルフガング・ギュリッヒ>
映画「クリフハンガー」のS・スタローンのクライミング代役をしていたが、映画の完成を待たずに1992年に交通事故死した。間違いなく世界屈指のフリークラーマーであった。世界初の5.14a、5.14bなどのルートを拓いたのみならず、フリークライミングの技術をカラコルムやパタゴニアのビッグウォールにも応用して、5.11から5.12が多数続くロッククライミングのルートを完成させた。
このインタビューを読むとしかし、彼の超高難度フリークライミングの実績とは裏腹に、ガチガチのグレード至上主義者ではなく、むしろ人間的にとても深みのある人物だったという事がわかります・・・
―クライミングであなたが一番楽しんでいるのは友情のようですね。
そうです。とても難しいルートはやるが、ちっとも面白くない人がいます。そういうのは好きではありません。かと思えば、人間は面白いが5.7しか登らない人もいます。私としては誰が5.11を登ろうと、あるいは5.14を登ろうとどうでもいいんです。その人が出した結果を皆が喜んでくれればね。5.7のクライマーと私が登るとしましょう。私には難しいルートで彼が私のためにビレイしてくれ、今度は彼には難しいルートで私がビレイしてあげる。そうすれば私は自分の出した結果に満足するし、彼は彼の結果に満足します。
―どうして登るのですか。
岩の上で動くのが気持ちいいのです。私は難しいルートを登るだけではありません。易しいソロをしたり、ほかの人たちと適度なクライミングをするのも好きですよ。
このスポーツは非常にたくさんの面があります。・・・クライミングを通じて私はたくさんのものを見てきたし、いろいろな国に行ってきました。冒険もたくさんしました。私が今送っている人生よりも良い人生は想像できません。
―フリークライミングが将来挑戦するものは何でしょう。難度を伸ばすことですか。
そうです。でも、それはとても狭い道です。クライミング界の大半がグレードだけを見ているのは非常に残念です。「何のグレードを登った?X級(5.13c)はやったかい?」と聞かれますよ。これにはあまり意味がありません。
人によってはクライミングすることによって他人に認められたいと思っていて、クライミングをひとつの仕事と見ています。彼らの興味はひとえに「成功」です。しかし私は結果を気にせず努力する人たちのほうをはるかに尊敬します。そういう人たちはクライミングを「生きて」いるのです。こういうとロマンチックに聞こえるかもしれませんが、彼らは心の中にクライミングを抱いているのです。
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最後に、オコネルの言葉(最初の問いかけに対する答え)を引用しておきます。
「クライマー達を駆り立てるのは死の願望ではなく、生の願望−せいいっぱいに、激しく、完全に生きたいという願望である。・・・・クライミングとは難しいルートを完成させることだけでなく、自分自身を完成させることでもある。数あるスポーツや娯楽のひとつと言うより自己認識の道であり、自然と接して成長する手段である。せいいっぱい生きているときのただならぬ喜びと大きな危険に立ち向かうときのむき出しの恐怖という人間の感情の両極端を短い間に集中的に体験し、人間の生命の本質を垣間見る一つの方法と見ることが出来る。
逆境にあっても勇気を、プレッシャーを受けながらも優雅さを、腹立たしいような状況でも寛大さと忍耐を要求される。これらはすべて適度に正気を保ちつつ毎日を送るのに必要な資質でもある。クライミングには人間の経験がこのように見事に凝縮されているので、人生の縮図ともいえる。」
ビヨンドリスク厚くてよい本でしたね。
なぜ山に?という問いはいつでも、なぜ山なんかに?という意味を含んでいる事を感じること多くて、若いころは答える気にもなりませんでした。さすが、皆さんよいことばを探し当ててますね。
あれだけの山行をしたボナッティは長生きしたけどギュリッヒは交通事故。人生は本当に分からないですね。
yoneyamaさん、こんにちは!
他にも紹介したい言葉が沢山あったのですが、さすがに量が多すぎるので。。。
読んでいて「これだ!」と感じる言葉がいっぱいありました。
実はとても興味深かったのは、ギュリッヒだけでなく、フリークライミングコンペで何度も優勝を争ったリン・ヒルとC・デスティベルが、結局コンペから遠ざかって自然の中でのクライミングに戻っていったことです。
おはようございます
クライマーの方たちの真摯な考えがわずかながらもつたわってきました。
わたしの山など拙いものですが、それでも山というのは日常生活よりも死というものを意識さされます。
わたしなどはハナから遊びですから、ギリギリまで粘るようなことはしないですが、これ以上やればヤバイという境界線を意識することもありますね。
ときおり、タイトなルートで自分を徹底的にいじめたくなります。
もちろんMではありませんが
死と隣りあわせで生を享受していることを知る・・
だからお山から帰ると、ニュートラルにリセットされているのだと思ってます。
世界に名を馳せる方たちの言葉は重いですね
でわでわ
是非、読んでみます・・
uedaさん、こんにちは!
前にもヤマレコのコメント欄で書いたことがあるのですが、クライミングでも山登りでも、非日常的な危険性や困難さ、テント生活の不自由さや寒さなどが、結構本質的な魅力だと思うんですよ。
そういう世界から戻ってきたときに、日々の生活がリフレッシュされる・・・
是非、お奨めの本です
僕も読んでみます
nakashiさん、中々興味深い本ですよ!ちょっと厚めですが。。。
こんばんは〜
「クライマー達を駆り立てるのは死の願望ではなく、生の願望−せいいっぱいに、激しく、完全に生きたいという願望である。」
表現のしようがないくらい、グッとくる言葉ですね。多くのクライマーの皆さんの言葉に感銘を覚えるのと同時に、Crossさんの生きてる世界が垣間見えるようです。
売り切れになる前に購入して読んでみます
sumo-man さん、これは新しい本じゃなく古本で買いました。
Amaz○nとかで、検索で探してみてください
ちなみに、私はもうこんな厳しい世界には身をおいてませんよ〜
マイペースで登ってます。。。
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