前回の「シュイナードのザック」の最後に、オリンピック競技となったボルダリングについて触れましたが、今回はそれを深堀りしてみたくなりました。高校1年(1978年)のころであったとおもいます。雑誌「山と渓谷」(ヤマケイ)の記事に、ボルダリングが紹介されていました。「ボルダーとは河原などにある大きい石のこと」とありました。その大きい石の下に、体育館にあるような体操用マットを敷いて、ノーザイル(ビレー無し)で登る、フリークライミングが楽しいよ、、みたいなことが書いてありました。当時、フリクションシューズ(摩擦靴)といわれたのが、のっぺらぼうのラバーソールのランニングシューズのような紐靴、多くはバックスキンでつくられていました。山岳部新入部員だった私は、そんな河原石登り(ボルダリング)を横目に、母校関西学院の裏山にある「仁川渓谷」で、「登攀訓練」と称する岩登りのトレーニングを月に1,2回程度やっていました。「今日は岩やろうか」と主将がいうと、「やったー!」と心の中が叫びます。なぜなら、クラブの練習は、砂袋を担いで裏山の頂点、甲山(309m)への歩荷訓練か、逆瀬川から宝塚ゴルフクラブをまわり、甲山さらに裏側の鷲林寺から甲山に戻る約10kmを走るロングと呼ばれる坂道ランニングなど、毎日が地獄のトレーニングだったからです。その地獄にくらべれば、岩登り訓練は唯一しんどくない楽で楽しい訓練でありました。学校の裏には「仁川渓谷」という知る人ぞ知るロックのゲレンデがあり、ムーンライト、バットレス、三段、摩天楼など芦屋ロックガーデンにならぶ名ルートがあります。(今もあります)その中でも初心者の練習にもってこいのがムーンライトと呼ばれる10mほどの大きな岩。まさに河原の大きな石でありました。このムーンライトをノーザイル(ビレー無し)で登るのが、新入部員の登竜門で、先輩の声を背中に、「ほら、そこ。身体を穴に入れろ」と励まされながらやっとの思いでのぼっていました。ムーンライトには真ん中あたりに穴があり、クライマーたちは「ムーンライトのへそ」と呼んでいます。今思えば、体育館マットもつかわず、ランニングシューズでやっていたものの、河原の大きな石をビレー無しで登っていた我々は、しらないうちに「ボルダリング」をやっていたのだな、、と少し自慢したいきもちになりました。
※ヤマレコにも、仁川渓谷の山行記録が沢山アップされています。みなさんご覧になってみてください。
★当日記は、おじさんの昔話を集めて「懐古録」と名付けて全体公開しています。同年代の方は共に懐かしんでいただき、若い世代の方は、年寄りの自慢話だと読んでみてください
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