最近、荒畑寒村の自伝(『寒村自伝』筑摩書房、1965年)を読んでいて、「へえ」と思った。明治・大正・昭和と、日本の社会主義運動のど真ん中を疾走したこの人が、よく登山をしていたというのだ。それも、どうやら現実からの逃避のための登山であったようで、そこが意外であるし、ご本人には申し訳ないけれども、ちょっと人間臭くていい感じだ。
戦前の日本にあって社会主義者は政府から激しい弾圧を受けた。寒村も何度も逮捕投獄され、あるいは編集に携わった新聞、雑誌を次々廃刊に追いこまれた。同志の裏切り、離反、対立などの人間関係上のもめ事にも何度も巻きこまれた。そういう嫌気がさすことが重なると、寒村は山へ出かけていたようなのである。もっとも、持病の胃潰瘍を癒すため、という健康上の目的もあったようだが。
ことに恩師である堺利彦が亡くなった昭和8年以降の数年間は、毎年のように夏山登山に行っていたらしい。そのほとんどは単独行で、富士山、御岳、白馬、槍、常念などの山々を歩いている。それも、「脚絆草鞋に金剛杖一本の軽装備」で、白馬の大雪渓を登るときは友人にアイゼンを借りていったそうだ。ここらへん、「地下足袋の文太郎」と呼ばれた加藤文太郎を髣髴させておもしろい。(でも、草鞋はいてガレ場歩いたら足痛いやろね。草鞋にアイゼンつけて歩くのも何か痛そうで冷たそう・・)
社会主義の大弾圧時代を最後まで転向せずに生き抜いた荒畑寒村のような人物は、不屈の精神をもったとてもエライ人、自分にはとても真似できそうにないような人、と思っていたが、こういうことを知るとすごく親近感がわいてくる。
そう、私なんかも寒村がかつて置かれた苦境とは比べものにはならないが、日常のいろんな嫌なことを忘れるために山に登っている。「現実逃避のための登山」。それをネガティブなものとしてとらえるか、ポジティブにとらえるかは人それぞれの考え方だと思う。私は、現実逃避でけっこう、それのどこが悪い、と思っているけれども。
仕事で追い込まれる人にとって、山はリセットできる貴重な場所ではないでしょうか。山へ入れば、普通は誰も追っかけてこないだろうし。でも、携帯電話が鳴ったりするとツライところですよね。山へ逃げようと思いつつ、携帯のスイッチを切れず、「不感地帯でした、ガハハ。」と割り切れない自分の小心さが悲しい今日この頃であります。
携帯電話のない時代は良かったですな。いや、しかし、その時代でも、私、北アルプスの山小屋の公衆電話から会社に仕事の電話いれたことがたびたびあるなあ。やっぱ、私も小心者のひとりです。(携帯といえば、こないだの比婆山ではお世話になりました。笑)
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