よく「映像化不可能とされていたあの作品がついに!」なんてうたい文句の映画の広告があるけど、あれって、なんだかなあ・・・ですよね。だって、現にこうして映画化されたんだから、「不可能」てのは言い過ぎで、「映像化が難しいと言われていた」程度のものでしょうよ。まあ、確かに昨今のVFX技術の進歩にはめざましいものがあり、かつてはなかなか映像として表現できなかったイメージをもつSFやファンタジー小説があることは確かで、そういう作品が今や「なんでもあり」のC.G技術をもってして、どんどん映像化されてきた。ところがその一方で、時代が進むにつれて映像化が難しい作品もあるわけで。新田次郎先生の最高傑作「孤高の人」なんかもきっとそうではないかと私は思う。
先生の作品は、これまで「富士山頂」「八甲田山」「聖職の碑」と大作映画として映像化されてきて、ついこないだは「劒岳 点の記」まで映画になったわけですね。「劒岳」なんて、木村大作監督以下スタッフ、キャストのど根性のおかげで、全編NO C.Gでね。よくやったと思いますが、さて、「孤高の人」はどうだろう。私はきっとあれだけは無理だと思う。
「劒岳」は、山のシーンが中心で、捨て身の撮影を決行してなんとかなったけど、「孤高の人」の場合、あれを読んだ人にはよくわかってもらえると思いますが、けっこう街なかのシーンが、しかも重要なシークエンスにおいて、まことに多いのですね。戦前の神戸の街が、加藤が勤務する造船所が、大事な舞台としていっぱい登場する。あれをどうするんだ?と思うのです。
「劒岳」なんか、陸地測量部の前の街並ですか、そこをかなり狭い画角で撮影していて(明治村を使って撮影したそうですね)、それですんだけれども、「孤高の人」はそれではすまん。
戦前の三宮のあのカフェーをどうするんだ?あの女と六甲山を歩いて加藤がはからずも二人で泊まることになってしまった宝塚温泉の情景をどうするんだ?あの泣かせどころの、神戸港の船出のシーンをどうするんだ?加藤が新居をかまえる長田神社裏の町並みはどうするんだ?え?どうしてくれるんだ?えっ?!と思うのです。
かててくわえて、「孤高の人」には戦前の北アルプスの山小屋なんかも重要な舞台として登場する。もう大変なことですね。戦前神戸の町並みは、「三丁目の夕日」程度のC.Gで仮になんとかなっても(なんとかならんと私は思うが)、戦前の山小屋だけはオープンセットで作らにゃならん。エライお金がかかりますよ。知りませんよ、私は。
しかも、もっとも致命的なことに、です。加藤文太郎役の役者がいない。強いてあげるなら、私に言わせりゃ、「劒岳」にも出た香川照之さんでしょうけど、ちょっと歳くいすぎかなあ。
私に今、ざっと100億の遊んでいる金があったら、エグゼクティブプロデューサーとなって、新田次郎先生原作「孤高の人」を完全映画化してみせるのだが、哀しいかなワカンを買う金もないので、たぶん、そう、「孤高の人」は映画化不可能な作品なのである。
シーン次第のような気がします。
剣で土田のパーティに付いて行こうとして拒否されるところとか、香川照之さんが文太郎なら中村トオルさんが土田で、背景は真冬の剣、ロケはとっても難しそうですね、、、
それと、園子と宮村と金川とのやりとり、関係はドラマ向きですね。
何といっても、後半の舞台は冬山が主体になるので、夏山でさえ苦労の絶えない北アルプスではロケはムリ?でしょうね。やっぱり神戸を含めてロケ地がネックですかね。それと、加藤文太郎はどうしてもマイナーなイメージがあるので難しい?関西では受けがいいと思うけども。
そういえば、出身地といい、ラストの遭難死と残された妻という図式はあの偉大なる植村直巳氏にも重なりますね。
私に100億の遊んでいるカネがあったら、剣も北鎌尾根も、大オープンセットを作って撮影するんですけどね。
たしかに、「孤高の人」は関西以外の受けは今一つかもしれませんね。なので、「劒岳」ほどはヒットしないかも。
ええい!100億、ドブに捨てたろかい!!
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