(中略)
鍋蓋山頂上直下の小平地を過ぎると、突然パッと視界が開け、眼下の天王谷を隔てて、菊水山の偉容がその全貌をあらわした。隊の先頭を歩いていた案内人の山ガール・さわが、徳島教諭を振り返り、菊水山を無言で指さした。
徳島は、挑むような眼を菊水山に向けた。そうやって睨みつけていないと、その山に心の奥の奥まで見透かされ、自分の弱い部分を攻めたてられるような気がした。
菊水山は、その全体が不気味に揺らめいていた。いや、地震でもないのに山が揺らぐはずはない。それは、猛烈な炎暑がもたらす大気現象のいたずらであった。
(あの山のどこかに、神田教諭が・・・)
徳島は、いつも折り目正しく穏やかな神田教諭の顔を思い浮かべようとした。しかし、脳裏に浮かんだその顔はなぜかひどく悲しげに徳島を見つめていた。
「中隊長殿、いよいよ行軍の本番ですね」。
徳島の憂いは、子どもの声にかき消された。振り向くと、学級委員長の篠原がそばに立っていた。徳島は、篠原と彼につづく小隊の面々を眺めた。皆、この暑さで汗まみれになっていたが、顔にはまだ精気がみなぎっている。
修法ヶ原からここまで、迷いやすい尾根道を無事に踏破できたのは、案内人の山ガール・さわのおかげだった。このルートを熟知しているさわは、縦横に分岐する踏み跡を的確に選び、また、あちこちに潜在するスズメバチの巣や毛虫がいる木を慎重に回避しながら、徳島隊をここまで安全に導いたのであった。
しかし、その役目も終わった。ここから天王谷までは、比較的道もはっきりしていて、危険な箇所はほとんどなかった。
「出発!」。
徳島は号令をかけた。
「案内人は最後尾につけ!」。
さわは、皮肉な微笑を浮かべ、
「もう用はねえってワケかね」
そう言って、肩をすくめ、ライトグリーンの山スカートの裾をひらひらさせながら、隊の後方へしりぞいた。
徳島隊が、天王谷にかかる長い吊り橋のたもとまで下りてくると、そこには、あらかじめ手配してあった鈴蘭台の5名の山案内人が待っていた。さわはここで隊とわかれ、有馬街道を歩いて鈴蘭台の実家へと帰っていった。
案内人の中でいちばん年長らしい源造という男が、徳島におずおずと話しかけた。
「隊長様、やっぱり登るのかね。菊水山へ」。
「登るのかね・・・それはどういう意味だ」。
徳島は、冷たい口調で源造にたずねた。
「この暑さは尋常じゃねえです、隊長様。ここから菊水山の頂上までは、心臓破りの坂がつづく。体中から汗がふきでて、カラカラに干上がって、みんな死んでしまうだよ」。
「その困難を克服するのが、われわれ暑中行軍隊の目的だ。行軍は予定通りつづける。それに、われわれはこの暑さに対処するため、じゅうぶんな用意をしてきているのだ。一日一人2リットルの水と1リットルのポカリスエット、冷えピタクール、熱さまシート、スズメバチ撃退用のハチジェットスプレーなどだ。これが、近代小学校の科学的装備というものだ。お前たちとはちがうのだ」。
徳島はそこまでひと息に言って、案内人たちの顔を順番にゆっくりと眺めていった。(わかったか)という、有無を言わさぬ目つきだった。
その間うつむいていた源造が、しばらくしてやっと顔をあげた。
「ようわかりました、隊長様。お供させていただくだ」。
布引第31小学校暑中行軍隊は、5人の案内人を先頭に立て出発した。天王谷の吊り橋を渡って山腹に取りつく。
菊水山の核心部が、灼熱の地獄が、彼らを待ち受けていた。
(続く)
〈お断り〉
お読みいただいた小説には、現代においては不適切と思われる表現がありますが、執筆当時の時代背景や原作者の意図を勘案し、オリジナルのまま掲載させていただきました。
さっそく徳島隊を登場させていただき、ありがとうございます。「八甲田山死の彷徨」を読んでいるだけに、面白さがなおさらです。
一日一人2リットルの水はともかく、その後のくだりは吹きだしてしまいました。
明日から私はちょこっと仕事をするので、続きは仕事から帰って疲れを癒やすのに読ませていただくことにします。
では、又。
精鋭部隊登場ですね(^-^ゞ
山ガールと来ましたか。
またしても吹き出しながら拝読いたしました。
読む場所注意ですね。
>silverstarさん
こんばんは。
ご希望にそいまして、徳島隊を登場させていただきましたが、後のビジョンがございません。どうしようか?と悩んでおります。
>komadoriさん
アホ話にウケていただいてたいへん恐縮です。ほとんど何も考えず書いておりますので、素人の悲しさゆえ、この後の展開がノーアイデアで・・・。
しかし、ほんまの話、西日本のほんまの低山徘徊は暑さや虫との戦いですね。これに加えて本県の場合、山陽側に近い里山にも熊出没の報などがあり、なかなかタチが悪かったりします!
これはよいパロディ!
donburiさん こんばんわ。いよいよ佳境ですね
できれば 天王谷つり橋ではなく もうないかもしれませんが つり橋がなかった頃のように有馬街道を
命がけで横断して菊水山に取り付くなどのくだりを・・・次作の参考にでもなさってください。
>bokemonさん
夏場の六甲はまさに地獄であります。
山口は熊が出ますか?
六甲にはいないようですが、丹波、播州、但馬方面の山は熊が出没しますね。怖いです。
>Take_Iさん
ありがとうございます。仕事さぼって書いた甲斐があります。
>miccyanさん
吊り橋がなかった頃の有馬街道を命がけで横断・・・
それ、盛り込んだら良かったですね。緊迫感が出たと思います。
しまった・・・。
案内人の山ガール・さわ
って…。
隊長もう駄目です。
私はこの場で笑い死ぬ運命なので先に行って下さい。
>takecさん
こんばんは。
映画化するときは、やっぱり秋吉久美子さんに若作りして出てもらいたいです。
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