自分も山を始めた頃は無茶というか、今では考えられない事を平気で何度かやらかした。
もう50年ぐらい前、まだ中学生だった頃の話し。
降雪直後の丹沢・大山に、弁当も水も持たずにカメラを手にしただけで蓑毛から登った。
靴は普通の運動靴。頂上からはヤビツ峠に降りたが、雪で滑りまくってひじょうに難儀した。
何とか無事に下山したけど、今思えばよく滑落しなかったものだと思う。
秩父の武甲山も同じスタイルで登った。
この時は途中でシャリバテでダウン。登頂は諦めて下山した。
生川から車道をてくてく歩いていたら、ダンプカーに拾われて横瀬駅まで送ってくれて助かった。
あの時のダンプカーの運転手さん、今でも元気にしているだろうか。
初めての沢登りは丹沢・勘七ノ沢だった。
これも今思えばまったくの初心者、それも子供が1人で入渓するような沢ではないのだが。
F1が登れずに右岸からF2も巻いたが、沢床になかなか戻れずマジで遭難しそうな目にあった。
高校生の時、夏休みに雲取山から金峰山へ小屋泊まりを重ねて縦走した。
金峰山に着いた時、見渡す限りの雲海の上に八ヶ岳や南アルプス、富士山が見えた。五丈岩にもよじ登り、一生の思い出の縦走になった。
しかし夏山だから暑いだろうと、半ズボンで歩いたのがまずかった。
虫には刺されるわ、ひどい日焼けで両足とも太ももに水疱が一面に出来るわで、えらい目にあった。
以上、自分の場合は「山をナメている」以前の問題。
まったくの無知で山を知らずに平気で登っていた訳です。
「ちょっと山をナメて…」の日記に登場する寒さに震えていた人も、恐らくは山を知らなかったのではないかと思う。
無事に下山出来たから言えるのだが、ひどい目にあった登山は教訓となり、いつまでも忘れる事はない。
当時は今のようにネットなどなかったので、横山厚夫さんが書いた本「登山読本」を読み、自分なりに勉強して装備も少しずつ購入した。
そういえば当時はゴアテックス製の上下に分かれたセパレーツの雨具はまだなく、雨具といえばポンチョだった記憶がある。
登る山、そして登山のスタイルにより装備も人それぞれ。
しかし万一に備えて最低限の装備は持参し「無謀登山者」なんて言われないように、気を付けて楽しく安全に登山をしたいものですね。
(画像の猫様は関係ありません)
若い頃の山行は、学生時代に山岳などに所属しない限りは、自己流だったのでは?
子供の頃、父親たちに登山に連れ出されてました
今考えると無謀・・
日光の金精山は、低学年の子供を連れて歩くにはハードルが高かった
すごい急登を登り、ぐるっと回って自分よりも背の高い笹原を湯元温泉に下ってきました
『いや〜お父さん、子供3人よく連れていったわ』
若い頃は、装備もいい加減だったし・・
ちょっと無謀なこともして来たし・・でも、楽しかった
はい、自己流でした。
高校生の時、山岳部に入りましたが、根性無しの自分は厳しい上下関係に嫌気がさしてすぐ退部しました。
若い頃の無茶ぶりは振り返ると楽しいですが、よく遭難しなかったものだと、今でもつくづく思います😅
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