それは伊勢湾台風や洞爺丸台風で甚大な被害を受けた事を機に「台風の砦」として建設されました。
約800km彼方の雨雲まで観測可能な、当時としては世界一を誇る気象レーダーでした。
新田次朗さんが書いた本
「富士山頂」
によると、その建設は困難を極めたようです。
富士山頂の気圧は下界の3分の2。酸素の量は下界の70%しかありません。
そのため作業員の多くは高度障害に苦しみ、作業効率は下界の半分以下だったようです。
そして最後の難関として立ちはだかったのは、ヘリコプターで600kgもの重量があるレーダードームを下界の基地から剣ヶ峰へと空輸する作業でした。
ヘリコプターのドアを除去し、消火器を下ろし、そして副操縦士の座席を撤去。
あらゆる重量軽減を施してもなお、ヘリコプターの制限荷重を80kgオーバーしていた為、最後はパイロットの腕に賭けるしかなかったようです。
私が初めて富士山に登ったのは38年前。すでにその前に「富士山頂」を読んでいた私は剣ヶ峰の測候所に着いた時、思い切ってダメ元で、測候所員に恐る恐る
「見学させていただけませんか…」
と声をかけて見ました。
すると意外や意外!
一般の方に測候所での仕事を理解してもらう為にも、見学は大歓迎との有難い返事!\(^^)/
レーダードーム内のパラボラアンテナやレーダースコープを見させてもらったり、色々な話しを聞かせていただきました。
例えば気象衛星で撮影する雲の写真ですが、これは人間が宇宙へ行ってカメラで撮影する写真と変わらない。
その雲のどの場所で雨が降っているのかは、レーダーでないと分からないんだそうです。
そしてレーダーは精密機械ゆえに時には故障する事もあるらしく、そんな時は東京の気象庁から
「早く修理しろ!」
と矢のような催促が来るとか。
故障箇所を探している暇はないので、やむを得ずユニットごと部品を交換するのだそうです。
測候所の壁には、某民法放送局の有名な女性キャスターのサイン入り色紙も貼ってありました。
初めての富士登山はおかげさまで大変有意義な登山だった事を覚えています。
35年間、台風の砦として活躍したレーダードームは1999年に役目を終えて撤去されました。
現在は富士吉田市の富士山レーダードーム館に展示されています。
ここではヘリコプターがレーダードームを空輸している時の迫力ある映像も見る事が出来ます。
興味のある方は是非!😊
・左の写真 38年前に撮影した富士山剣ヶ峰の測候所。純白のレーダードームがある。
・中央の写真 富士山レーダーが運用開始直後に捉えた台風の画像。
・右の写真 レーダードームを吊り下げたヘリコプターがホバリング態勢に入ったところ。
この大きなものが富士山の上にあったのか?と興味深く見学しました
(そしてフジヤマビールも…)
私も初めて見た時は驚きました。よくこんな狭い場所に建設したものだと。
測候所員にその事を話したら、自分もそう思うと言ってましたね。
私が富士山初登頂は34年前です。
吉田口からの入山でしたが、今ほど混んでないし、小屋ももっと質素か感じだったと記憶してます。
ちなみに実家が隣家の失火で延焼して、若い頃の山や鉄道のネガがほぼ消失してるので、このような画像は懐かしい限りです。
火事ですか…それは大変な経験をされましたね。山での写真は自分の歴史のようなものだと思いますが、それが焼失してしまった時のショックは想像出来ません。私と大体同じ頃に登られていますね。たしかに当時は登山道が渋滞するような事はなく、今ほど混雑してなかったと思います。外国人登山者もほとんど見かけなかったですね。
確か、次の年に撤去されたという記憶があります。
富士山レーダーが稼働していた最後の年に登られたのですね。
もう今では「何でこんな所に建物があるんだろう?」と思う人が増えたかも知れませんね。
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