--------------
松尾芭蕉の弟子”去来”が名月(秋の季語)の日に以下の俳句を詠んだ
岩鼻やここにもひとり月の客 去来
岩の突端にも一人、自分と同じように月見をする人がいる。
洒堂という人が”月の人ではなく月の猿”としたらどうか?と進言した。
馬鹿にしたのではなく、この時代・月を見上げる猿の絵が流行ったそうである
洒堂は、去来の写生+付加を生かそうと、猿と言った
去来は芭蕉に尋ねる
洒堂は月の猿が(・∀・)と言っていますが私は”月の客”が優れていると思えます。
芭蕉:”猿”とはどういうことか。おまえは、この句をどのように考えて作ったのか。
去来の答えは※岩の突端にも一人、自分と同じように月見をする人がいる。
である。
芭蕉の見解
お月さまよ、ここにも一人(私が)おりますと、自分から名のり出たことにしたならば、どれほど風流であろうか
つまり
去来 岩の突端にも一人、自分と同じように月見をする人がいる。
芭蕉の解釈 お月さまよ、私も見上げる中の一人でございます
芭蕉のほうが詩的でありますね
ただし芭蕉に誤解釈を許したのは問題です
解釈は人それぞれだから原句が重要になってきます
岩鼻やここにもひとり月の客 去来
名月や岩鼻毎の客人に ほの香添削
そうすれば突き放した孤島みたいなところに他の月見客がいる感じになる
※突き放し過ぎかも?
(岩の突端にも一人、自分と同じように月見をする人がいる。)
去来は自分の見た↑の風物に感動して詠んだのではなく写生に徹するあまり”猿”に惑わされたのでは
表題に戻ります。
僕が鑑賞されるのは暫く先なのでモーマンタイ
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する